妄想その13

 ―日曜日—

 その日、田中はショッピングモールに赴き、1人で買い物を楽しんでいた。
 明確に欲しいものがあったわけではない。
 ただなんとなく足を運んでみようと思っただけだ。
 大衆向けの洋服店で下着や無地のTシャツを購入したり、適当に雑貨屋を回って小物を見たりした。
 割と楽しい時間を過ごしていた。
 一通りお店を回り終えたので、帰宅しようとしたが、1階の食品コーナーの前を通ったところで立ち止まる。

「お酒とお菓子でも買って帰ろうかな?」

 それほど荷物を抱えていなかったこともあり、買って帰ることにした。

 お酒に合いそうな乾きもののコーナーに行こうとしたが、その手前で田中は足を止めた。
 そこにはなんと向田がいた。
 いつもと違う普段着の彼女は新鮮で、見惚れるには十分過ぎる理由だった。
 彼女は何のお菓子を買うか真剣に悩んでいた。
 その姿がまた愛らしかった。
 軽く深呼吸し、彼女に声を掛けようと一歩踏み出したとき——

「——ハナちゃーん、決まった?」

 そこには向田を下の名前で呼ぶ田中の知らない男がいた。
 そのとき田中は咄嗟に隠れていた。
 自分がなぜこのような行動したかは分からない。
 でも隠れなければという感情が湧き起こり、その感情のままに体を動かしていた。

「これとこれにする~」
「ねぇ、なんで2つも持ってるの?アニメの1シーンだと、こういうときって1つだけ選ぶのがセオリーなんだけど」
「1個だよ。もう1つはヒロくんの分だもん」
「えっ?ボクこのお菓子別に食べたくないんだけど」
「え~いいじゃん」

 田中はその様子を隠れて見ていた。
 向田が男に見せるその笑顔は、普段会社で自分たちに見せるものよりずっとくだけていた。
 取り繕う必要のない、心を許した相手にだけ見せる笑顔。
 田中はそんな笑顔を向けられたことがない。
 いや、一度だけある…それもつい最近のことだ。

 仕事中、休憩がてら飲み物を買おうとしたときに向田と擦れ違い、声を掛けてもらった。
 そのとき彼女に向けられた表情は、比較的今の笑顔に近かった。
 だが気づいた。
 その笑顔は田中に向けられたものではないのだ。
 きっと今一緒にいる男のことを想像していたのだろう。
 その余韻が田中に向けられただけなのだ。

 田中はその場を足早に立ち去った。
 そして知らずのうちに胸を押さえつけていた。
 
「くそっ、くそっ」

 その胸を締め付けられるような現象が田中を自覚させた。
 明確に…はっきりと。
 自分は向田のことが気になる程度ではなく、好きなのだと。


 —月曜日-

 私は今日も3時の息抜きとして、自販機でジュースを購入していた。
 そこへ田中君がやって来た。
 先日の飲み会でちょっとしたトラブルがあったけど、別に彼との関係は何ら変化ない。
 会社の同僚という関係であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 田中君と何かあったら報告してと言われたが、特段報告するようなことは何も起きてない。
 彼は田中君が私のことを好きだと懸念していたが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。

「向田さんも休憩ですか?」
「うん、この時間はいつも集中力切れちゃうんだ」
「あはは、分かります」

 さわやかな笑顔。
 この笑顔でコロっと行ってしまう女の子も多いだろう。

「それで、向田さん。昨日男の人と一緒にいるのを見ましたよ?」
「えっ?」
「お菓子コーナーで見かけましたよ」

 あ~!!あのときかぁ。
 私の体温が急激に上がっている気がする。

「それであの人は彼氏ですか?」
「うん…」
「そうだったんですね」

 私は会社の同僚にプライベートのことをあまり話していない。
 話さない理由?特にない。
 強いて言えば、根掘り葉掘り聞かれるのが嫌なのかもしれない。
 でもこれで私に彼氏がいることが田中君に分かっただろう。
 これ以上のトラブルは起こらないはず…

「この前の「ひざ枕ポンポン券」は彼氏に使うためだったんですね」
「そ、それは!!」

 ここには鏡がないので自分の顔は見られない。
 でもはっきりと分かる。
 今の私の顔は真っ赤だ。

「あのぅ、田中君…申し訳ないんだけど、そのことはみんなに内緒にしてくれる?」
「あはは、言いませんよ」

 その言葉を聞いて私はホッとする。
 しかし、

「でもその代わり…ボクと一緒にご飯でも食べに行きませんか?」

 その時の田中君は先ほどと同じようにさわやかな笑顔をしていた。
 でもその顔はすぐに崩れた。
 多分それは私が彼を突き放すような顔をしていたからだろう。
 無表情に…まるで興味を無くしたおもちゃのように私は彼を見ていた。

「あなたってそういう人なのね…」
「あ、あの…」

 私は仕事に戻った。
 ジュースを飲む気など完全に失せていた。


 終業時間を知らせるチャイムと同時に私はパソコンの電源を切った。
 本来なら超勤していたが、とても仕事をする気にはなれなかった。

「お先に失礼しまーす」
「あ、あの…向田さん」

 私は田中君を無視した。


 ―帰宅—

「ただいま~」
「おかえり、今日早いじゃん」

 彼は優しい笑顔で迎えてくれる。
 その笑顔につられ、私も彼に笑顔で返した。

 洗面所で手洗いうがいを済ませ、台所で料理を作る彼に「ひざ枕ポンポン券」を渡す。

「田中氏のことで報告があります」

 私は語気を強め、険しい表情しながら言った。

「分かった」

 彼は包丁を置き、ガスコンロの火を止めた。
 私たちはソファに移動し、彼が座ると私はすばやく寝転び、彼のひざに頭を乗せた。

「ヒロくんの言う通りだった。あいつは敵だ!!」

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