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(絵本)うみべのまちで / ありふれた日常から強烈な「生」を感じるために

vol.004
今回の絵本は「うみべのまちで」
(著:ジョアン・シュウォーツ  絵:シドニー・スミス)

■あらすじ

1950年代頃カナダのケープ・プレトン島。
海底炭鉱の町を舞台に、
親子代々に渡って炭鉱の町で働いてきた家族を少年の視点で描く。
ー ぼくのうちからはうみがみえる。
  きょうは、とてもいいてんきでうみがひかっている。
  おとうさんはうみのしたのたんこうではたらいている。
  おはかにねむるおじいちゃんも、おなじようにはたらいていた。
  そして、いつかぼくも、そこではたらくんだ。 

少年側の視点で描かれていますが、その裏には、炭鉱で働く人々の壮絶かつ決して明るく無い未来も映し出されています。
炭鉱の町で暮らす少年にとって、この世界が全てであり、
自分もいつか炭鉱で働くのだと想いながら日々を過ごす様子は
単なる穏やかさを越えて、強烈な「生」を描いており、
日常の日々が鮮やかに感じられます。

■良かった点

<対比によって物事は強まって見える>
少年が町で遊んだり買い物をしたりする間、炭鉱ではお父さんや他の大人達が懸命に石炭を掘っています。所々で描かれる炭鉱の描写では、
「とうさんは うみの した。くらいトンネルで せきたんを ほっている」と繰り返し言われています。

そして少しずつ炭鉱の様子はおかしくなり……事故に巻き込まれる大人達。
ページをめくるごとに地上にいる少年との対比が強くなり、言葉の重さが増していきます。炭鉱の暗さを"闇"とすると、一見するとなんでもない日常が"光"となってひとときの幸せを感じさせます。
光を強めるには闇を深くするという手法は物語の組み立て以外にも役立ちます。

ちなみに、毎日変わりばえのしない生活を送っていると、私たちは環境に慣れていきどうしても目の前のことにありがたみを感じにくくなるものです。
今見えているものがどれだけ価値があるものかを知るには、その生活が成り立っている歴史や背景など、どういう状態から今の状態になっていくのかの「遷移」をちゃんと見せてあげることは大切なことです。


<あたりまえは きっと あたりまえでは無い>
「いつかぼくもそこではたらく」「ぼくのまちでは、みんなそうやっていきてきた」と少年は最後に言います。それが"あたりまえ"なのだと。
既にこの先の人生が全て決まっていることを悟り、静かにそのことを受け入れています。その切なさが少年の言葉や炭鉱の様子、そして海や太陽の鮮やかさを通じて感じ取れるのがこの絵本の素晴らしいところでもあります。

絵本では1950年代の時代背景もありますが、今の時代は選択肢が沢山あります。
私の中にある"あたりまえ"は唯一無二の正解などではなく、また、他人の"あたりまえ"も同様で、"そういう見方がある"ことを目の当たりにする機会を増やすことは、ある意味大人の役割であり、子供の中に生まれる「諦め」を取り除いてあげることでもあるなと、余談ですが感じました。

以上が、個人的に良かった点でした。 

■こんなときにオススメ!

・「生」について考えたいとき
・日常の幸せを振り返りたいとき
・多様な生き方と向き合いたいとき

面白いと感じていただいたらいいね・フォローなど宜しくお願いいたします。
今後も継続的に絵本の紹介をしていきます。

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うみべのまちで
(著:ジョアン・シュウォーツ  絵:シドニー・スミス)
www.amazon.co.jp/dp/4776408090


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