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ロコたろうと大河ドラマ

 ちょっと投稿の間が開きました。別に連載をしていた「思い立って資格を取るまでのお話」が終わったこともあって、以前のように投稿を続けていけるか? と思う部分もありますが、そこは気負わず、思い立ったときにこうして書いていけたらなと思います。
 
 さて、今回は、「大河ドラマ」のお話。

日曜夜8時といえば

チャンネル権は祖父

「小さいころに見ていたテレビは?」
と尋ねられると、はて? と答えに困るぐらい、我が家のテレビは、夕方はいつもニュース。曜日や時期限定で、笑点、大相撲。ガチャガチャとチャンネルを文字通り回す式からリモコンでチャンネルを変えられるものになると、先にマグロのお刺身をアテに熱燗で晩酌を嗜む祖父のそばには、いつもリモコン。
 祖父は当時にしてはちょっと長く働いた人なので、私の物心がついたときは、まだサラリーマン。帰ってくると背広を脱ぎ、シャツとステテコ姿になって、テレビをつける。たぶん定時ちょうどであがって帰ってきたぐらいだったのだろう、取り組みは結びの一番か、またはその日の勝敗を振り返る場面か。
「おお、保志がまた勝ったか」
 今の八角親方が横綱時代の四股名「北勝海」を名乗る前のお話。
 そこからチャンネルはそのまま。7時になるとニュース。他のチャンネルになっていても、午後7時きっかりにNHKニュースに変えられる。リモコンになって、わざわざテレビのチャンネルを変えにいく必要がなくなったのだから、本当に便利だっただろう。
 見たいアニメがあるのに、リモコンは祖父の手元。別に祖父が怖かったとかそういうわけではないのだけど、いつもニュースだったから、「○○が見たいよぉ」と言い出せなかった。
 土曜日と日曜日は、見せてもらえたけれど。でも、日曜午後8時になると、またチャンネルはNHKに戻された。
 
 少々脱線するが、晩年の祖父も、午後7時にチャンネルをパッと変えられるよう、腕時計とテレビ画面を交互に見ながら、今か今かとリモコンを構えていた。亡くなる何年か前、認知症が少々進んでからのことだ。

離れてからも日曜8時は

 「見た」といえるほど熱心に見ていたわけではないが、覚えているのは「伊達政宗」。「伊達政宗」という時代劇がやっていたなぁ、ぐらいにしか覚えていなくて、後に誰が出ていたのかを見て、そうそうたるメンバーだったんだなと驚いたぐらい。それ以降は、見たり見なかったりのときもあるけれど、祖父母と離れて暮らしてからも、日曜の午後8時は大河ドラマ、ということが多かった。放送が終わって、ニュースまでのつなぎに動物が遊んでいる映像が流れると(流れていましたよねっ?)、ちびまるこちゃんのあたりから薄々感じていた「あ~あ、明日から学校かぁ」という気もちが一段と強まり、寝る支度を始める、というのが、当時の流れ。
 母が武田信玄が好きなこと。同時に戦国時代が比較的好きだったから、というのも関係しているのかもしれないけれど、だからか、私も気に入ってみていたのは武田信玄や織田信長、豊臣秀吉が登場する戦国時代もの。かなり大きくなってからのものも含むけれど、だから私の中では、武田信玄は中井貴一さんだし、上杉謙信はGacktさんと柴田恭兵さんで甲乙つけがたいし、山本勘助は内野聖陽さんだし、秀吉は竹中直人さん、明智光秀は長谷川博己さん・・・、と、いろんなドラマのお気に入り俳優さんがいる。
 時々、当時を生きた偉人たちが本当にこんなお顔立ちだったのではないかと錯覚してしまうのだけ、注意が必要だ。もうひとつ、ドラマでやっているすべてが史実ではない、ということも、気をつけなきゃだ(残っている資料をもとにしていることは承知だけども)

複雑に入り組んだ人間模様

結局天下を取ったのは誰? 

 大河ドラマの何が好きなのかな、と思ってみると、私自身「日本の歴史」が好きだ。歴史といったって、民俗学者とか日本史専攻とかいうわけではないので本当に興味の範囲だけども、特に好きな時代が、戦国時代から関が原の戦いぐらいまでと、幕末。どの時代もそうなのかもしれないけれど、ヒーローが出ては代わり、思わぬ形で命を落としてまた別の流れになり、というのが特に顕著な時代なのではないかな、と思う。織田信長に、坂本竜馬に。この織田信長を語る中でも、織田信秀だ、今川義元だ、斉藤道三だ、朝倉義景だ、浅井長政だ、足利義昭だ、ここにも登場していない多くの人が関わっている。
 幕末も、そう。篤姫だ、徳川家定だ、ペリーだ、西郷隆盛だ、勝海舟だ、吉田松陰だ、新撰組だ・・・、と。
 特に戦国時代末期、信長の時代が好きな私が、中学生によく尋ねるのに、こんなことがある。
 
 結局、戦国時代に天下を取ったのって、誰だろう?
 
 北から南まで自分の領土にした、という意味では豊臣秀吉? と答える子が多い。そこで、天邪鬼な私はこう言う。
 
 そうだね。その秀吉の跡取りを生んだのって、誰だろう? 淀君なのだけど、この淀君って、妹は徳川2代将軍の秀忠の奥さんなの。姉妹で秀吉と、その後天下を取る徳川家に嫁いでいるわけよ。ということはよ? この姉妹の親って? 浅井長政と、お市の方。2人の天下人と関わる娘を産んでいる浅井長政が、天下を取った、という考え方もできる・・・よね?
 
 もっと続けたら、このお市の方の兄は織田信長だし、家臣などにも範囲を広げたら、誰の娘と誰の嫡男と・・・、ともっと複雑に入り組んでいるはずで、これは単に「それだけ複雑に人間模様が入り組んでいるんだよ」という、半分ネタとしてのお話。単なる「教科書レベルの歴史好き」の戯言だと思っていただきたい。
 
 でもこんな人間模様が、本で読むのではなくて人間が演じることでよりわかりやすく関係が整理できるのが、大河ドラマだと私は思っている。

ずっと勘ちがいしていた

 さて、今の大河ドラマ。この数年は子どももいるしで、わちゃわちゃしている時間帯なので腰をじっくりすえてみるのは難しくなってしまった。それでも、「鎌倉殿の13人」は、きっと最初から見たらおもしろかったんだろうなと悔やんでいるぐらい。
 小さいころ読んだ百人一首のマンガで、鎌倉右大臣(源実朝のこと)のところに、「甥の公暁に討たれた」とあった。だから今回のドラマで柿澤勇人さんの甥が寛一郎さんかぁ、と頭にすっと浮かんだのだけど、ん? 3代目の甥? でも、鎌倉幕府が1192年でしょ? 承久の乱が1221年、29年のあいだで、もう頼朝の孫が時代の表舞台に出てくるような年齢? と、ずっと思っていた。
 
 これ、ずっと「後継は子どもに」と私の中ではなっていたから。 
 
 初代頼朝、2代目頼家は親子だけど、2代目から3代目実朝は、兄弟なのね。で、2代目(兄)の子だから、なるほど甥か! って。公暁が頼朝の孫なんだ、って。
 こういうのも、ドラマで「立体的に」見ることで、よりわかりやすくなっているんだなって。
 
(★ 「鎌倉幕府」については、1185年説が今では優勢らしいですが、当時の私の勘ちがいの記憶のままを表したかったので、1192年にしてあります)
 
 あまり鎌倉時代っておもしろいと思ったことがなかったのだけど、戦国時代や幕末のように、いろんな人がわちゃわちゃとしていたんだなとわかって、今では好きな時代のひとつになった、かもしれない。
 こういう「気になる」気もちをもつ、大河ドラマはひとつのきっかけになっていいんじゃないかな、と思う。
 
 熱烈に! これじゃなきゃだめ! というわけではないけれど、資料を見るだけではわからない人の動きについて疑似体験ができる。人の関係がよりわかりやすくなる、という意味では、大河ドラマ、大好きだ~!!
 
 

 

 
 

 

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