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思い立って資格を取るまでのお話(19)

 いつも「思い立って資格を取るまでのお話」をお読みくださり、ありがとうございます。
 お仕事でイベント出展があり、そちらに時間を割いていたため、前回投稿から少し時間があきました。とりあえず終了したため、またこれまでのペースに戻していきますね。

勉強をやめたくなったこと

 ここまで、子どもが通う保育園が休みになるなどはあったが、大きなハプニングも特にはなく、毎日順調にコツコツと勉強してきた「かのように」書いてきた。
 果たして、本当に毎日順調に勉強を続けられたのだろうか。
 
 途中、PMS(月経前症候群)が出たりで多少の波はあったり、それ以外には福祉科目が難しいなと思った以外、勉強について苦労は特にしなかったかのように書いてきた。しかし、実際に自分の気もちがずっと折れずにいたわけではない。途中、何度も折れそうになっている。
 
 先が、どこまで到達していればいいのかが、見えないしわからない。わからないから、自信にもならない。こんな勉強、意味があるのか?
 
 先述のように、どこかで「満点でなければ」という意識が働いて、だから思ったように点数が取れなかったとき。試験対策のテキストをやってみて、問題を間違えまくったとき。「この問題、いつも間違えてる!」と、物覚えの悪い自分にイライラしたとき。
 
 ここまで勉強して、それでもこれだけ「しか」できない。こんな勉強に、何の意味があるんだろう?
 どこまでやったら「自信」をもてるんだろう。こんな、いつまでも見通しのもてない勉強は、果たして意味があるのだろうか?
 
 何度「も」とは言わない。一応片手で数えられるぐらいの何度「か」、こんなふうに思い込んで、勉強をやめたいと思った。自分が今やっている勉強が、なんの意味もないものなら、やる必要なんてない。こんなに先が見えなくて、できているっていう実感がもてないものなんて、私にとって何の価値もないじゃん、って。
 
 それでも、何とか立ち直って勉強を続けられたのは。まずは、自分への否定から何を! と思って、反骨精神で乗り切ったこと。
 今ここで勉強を辞めたら、また両親に笑われる。
「どうせお前は長続きしない」
「お前は他のきょうだいとは違うんだ」
「どうせ」
「どうせ」
 何度も頭の中に浮かんでは消えする、両親が私を見下す顔。この顔は、私が私自身と両親との関係を「長い鎖でつながれているよう」と思い始めたころに同時に浮かんできたのと同じもの。
 児童クラブのベテラン指導員
「そんな生半可な気もちで私に対抗しようとしてるわけ? 私のしてたことを否定するのなら、同じ土俵に立って代案ぐらい示して見せなさいよ」
 本当はこんなことを言われてないはずなのに、夢に出てきたのだろうか、何となくおぼろげにある記憶。
 
 今ここで辞めたら、両親を見返せなくなる。両親が何度も何度も越させまいと高く積み上げてきた壁を、私の手で壊して乗り越えていかなければいけない。もう私は、両親の思う私じゃない。「私の思う私」だ。
 子どもに意見を言わせずに萎縮させて従わせるなんて、それは本当に子どもの健全な成長なんだろうか? 子どもの福祉に携わる人間が、子どもの権利条約を「わがままを助長するもの」って言うことも許せない。
 
 かなり根性が曲がっているとは思うけれど、一度折れたモチベーションを復活させるには、沈んだ気もちを浮上させるための、こういった「ブースター的な」何かも必要だったととらえていただきたい。これで、モチベーションが少し回復した。
 
 もうひとつは、「何のために保育士を取ろうとしているんだっけ?」と、最初に思ったことを思い出したこと。主な理由としては、自分が幼少期を過ごす中での周囲との関係と、異なる二人の保育士と会ったこと。
 後付で、いつまでも旦那に頼るのではなく、自分は自分で、自立した一人の女性であるために。日常のフリースクールの業務の中で、子どもの気もちを知るのはもちろん、保護者の方の相談や助言など、子どもの育ちを支えていくための「橋渡し」をするため。この橋渡しを、ちゃんと勉強の過程で学んできたことを元に、資格を名乗って「責任をもって」やること(今までが責任がなかったというわけではないが)。
 そのために私は、「保育士」という資格を取る!
 
 勉強なんて意味がない! と思ったら、「反骨精神」と「原点回帰」、この2つで何とか乗りきり、結果、1年勉強を続けることができた。「反骨精神」で勢いよく飛び出し、「原点回帰」で軌道に乗せて安定させる。そんな感じだろうか。
 
 「あくまで私は」この方法だったけれど、他には、ネット上も含めて「コミュニティを利用する」という方法もある。同じ講座を受けている仲間同士で励ましあうことで、自分も相手も、共に高めあうことができる、というもの。
 実は「QuizKnockと学ぼう」の中でも、今日の進捗などを、ハッシュタグをつけてtwitterでつぶやいて、とアナウンスされていた。そうすることで、ハッシュタグをたどって見た人と、「私も同じ勉強をしているよ」とつながることに結びつく、ということだった。私はこのチャンネルをよく利用していたけれど、つぶやくまではせず、同じように保育士の勉強をしている人を見つけては、「あ、この人も保育士(の勉強を)がんばっているんだ」と、見るだけで満足していた。つぶやくことで、自分が保育士の勉強をしているということが知人に、万が一旦那や両親に知れるのが恥ずかしくて、だから勉強の内容についてつぶやくことができなかった。
 こういうところで、「勉強していることを隠す」のは、損だったなと思う。どーんと公開してしまえば、そこから先、別の方法がいろいろ見つかっていたかもしれないのに。 
 だから決めている。今さら公開するのは恥ずかしい。でも、ちゃんと取得したら、私とつながりのある人みんなに報告するって。そして、オープンにできるところは、オープンにするって。
 今度は保育士資格をもった自分をさらに磨いて高めるために、公表するんだって。

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