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社長の頭で考え課長のように行動する

[要旨]

冨山和彦さんによれば、日本の会社の社長にもっとアクセルを踏ませるようにするには、少人数で意思決定する仕組みをつくればよいということです。具体的には、部・課長クラスを含めた3人で構わないということです。一方で、課長程度の視点しか持っていない人が社長に就くと、「衆知を集めて熟議を尽くそう」などと、ボトムアップの意思決定を行い、自分の責任を回避しようとすることもあるので、そのような人を社長に就けてはいけないということです。

[本文]

今回も、前回に引き続き、冨山和彦さんのご著書、「結果を出すリーダーはみな非情である」を読んで、私が気づいたことについて説明したいと思います。前回は、冨山さんによれば、欧米の会社の社外取締役は、強い権限を持つCEOの暴走を止めることが主な目的となっていますが、日本の会社はムラ社会であり、トップは暴走せず、集団の不作為型の暴走や問題先送り型の暴走が起こるので、日本の会社の社外取締役は、社長が適宜アクセルを踏んでいるかどうかを適宜チェックすることが望ましいということについて説明しました。

これに続いて、冨山さんは、日本の会社の社長がアクセルを踏むようになるためには、課長クラスの人を交えて、少人数で意思決定をするとよいということについて述べておられます。「社長にもっとアクセルを踏ませる、自由にハンドルを切らせるためにどうすればよいかということを、組織論の観点から考えると、端的に言えば、少人数で意思決定する仕組みをつくればよい。意思決定には、トップを含めて、せいぜい3人もいれば十分ではないだろうか。

しかも、それは、副社長や専務といった経営上位層である必要ではなく、部・課長クラスを含めた3人で構わない。しかも、組織の縦のレイヤー(階層)はなるべく少ない方がいい。少なければ少ないほど、社長からすれば、課長の生の声が聞きやすい。社長は普段トンボの視点でしか見えていないから、アリの視点が必要なのだ。ボトムアップ型の日本の会社のよさを生かそうと思ったら、この体制がベストだと思われる。ただし、当の課長クラスはものすごく高い感度が要求される。そう、本書で繰り返し述べている、『社長の頭で考え、行動する課長』でなくてなならない。

しかし、これとは逆に、『課長のような』社長がいて、まわりの顔色をうかがいながら、いつまでもものが決まらない、決まっても、『守りを固めながら攻めろ』とか、『弾薬を大事に使いながら総攻撃しろ』みたいな、わけのわからない『戦略』(?)案になってしまう場合の方が多い。この手の社長さんは、重要問題ほど、『衆知を集めて熟議を尽くそう』とか言って、大衆討議にかけたがる。一見、民主的で開明的だが、本音は自分ひとりで決めたときの反発や、悪い結果をひとりで背負い込むのが怖いのである。

なにせ、見かけは社長でも、実際の器量は課長レベルの人だ。でも、ムラ型共同体は、この手の『安全パイ』みたいな人を、危機のときほどトップに就けてしまう傾向がある。これでは戦う前から『負け戦』になるのがきまっているようなもの。冴えたカイシャは、見かけはカイシャらしくやっているが、その実、重要な戦略的テーマについては、少数精鋭でものを決めているカイシャである」(207ページ)

冨山さんは、「課長のような社長さんは、重要問題ほど、『衆知を集めて熟議を尽くそう』とか言って、大衆討議にかけたがる」とご指摘しておられますが、このような社長さんは、多くの方が御心当たりがあるのではないでしょうか?リーダーがこのような手法で意思決定をしようとする理由は、これも冨山さんがご指摘しておられるように、意思決定に多くの人に関わってもらうことで、組織の足並みを揃えたいという思惑があるからだと思います。

そして、もうひとつの理由は、これについても冨山さんがご指摘しておられるように、もし、決定したことを実践して失敗したときに、その責任は意思決定に関わった人全員の責任ということになるからだと思います。しかし、この全員の責任という捉え方には注意が必要だと思います。失敗したことは、全員で決めたて実行した結果なのだから、結果は失敗であっても、判断は最善のものである、すなわち失敗は不可抗力であり、誰も責任をとらなくてよいというと考えてしまいかねないということです。

これは、私が銀行勤務時代に、融資をしている赤字の会社の社長から言われたことなのですが、会社の業績について、「全員が一生懸命に取り組んだ結果、赤字になってしまったのだから仕方がない」と説明されました。全員が一生懸命仕事に取り組んだということは事実だと思いますが、だからといってそのことによって赤字が許されるわけではないことは明らかです。

もちろん、その社長も、それをわかっていいてそのような説明をしたのだと思います。しかし、少なくとも社長は「全員で一生懸命にやった」に逃げず、結果責任を直視して意思決定をすることの方が、業績改善の近道になることは間違いないと思います。話を戻すと、意思決定のプロセスが、衆知を集めたものであっても、社長の独断であっても、よい結果となることもあるし、悪い結果となることもあります。

しかし、「全員で決めたから最善の選択をした」という意識があると、「もし、失敗しても、自分に責任は問われない」と安心することで心の隙ができてしまい、決定事項を遂行するときに身が入らず、悪い結果になってしまうことにもなりかねません。したがって、意思決定のプロセスが衆知を集めた場合でも、トップダウンで決めた場合でも、結果責任は社長が負うことを明確にし、その遂行も心を緩めずに全力を注ぐことができるようにすることが大切だと、私は考えています。

2024/8/9 No.2795

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