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こじらせてますが何か?

 自覚はある。あんまり出さないように気を付けてはいるけど、完全に自分はこじらせている。いや、世の中にこじらせていない人なんているのだろうか。多かれ少なかれ、そういう部分は少しは持ってはいるんじゃなかろうか。
 去年酒井順子さんの『an・anの嘘』という本を読んで、自分がもし20年早く生まれていたなら、完全なるリセエンヌだと断定できるくらいに、自分がしたい恰好しかしないし、スカートを基本はかないし、現代あるような流行りのガーリーなんかしたら、もう似合わなさ過ぎて絶望するから、自分はしない。なんならan・anが提唱していたであろう生き方を、時間差で推奨して生きている節だってある。いや、実際はそれに近い、望んでいた仕事や状況を作ってこれた訳ではないし、独身でもおかしくなかった私が、既婚で(制度上)子持ちに一応なったから、沿っているとも言えないのだが。
 なんでこんなことを書き出したかというと、中性的とボーイッシュの話からの派生である。個人的に心に残って、何度もそのことを人と話したからでもある。
 会ったことがある人はわかるだろうけれど、私の風貌というのは、人生の大半がショートカットで背が高く、デニムでTシャツみたいな感じだ。背が高くとも、かわいい人はかわいいから、背が高いから男と間違われることに対して言い訳はしない。飛田を抜け道としてチャリで走っていた時に、「お兄さん、お兄さん」と呼び込みをされたし、前職で私をよく知らない児童に、「先生は男なん?女なん?」と聞かれたこともある。
 正直に言えば、かわいいと思われたら嬉しい。だけど、「私、かわいいか?」ってなるのも事実。友人に「自分のかわいさをわからない方が、かわいいままでいれるから、わからなくていい。」と言われたことがある。「そうか、そんなものなのか。」と思ったりしたこともあった。どこがかわいいのかなんて知らないで、そのままいることでかわいいと思う瞬間が、相手側にあればそれで十分なのかもしれない。逆に自覚していいことなんて、ないものなのかもしれない。意識して出したところで、そんな自分をちょっと気持ち悪いって思ってしまうだろうし。

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 かわいさに軽い拒否感があるからといって、男になりたいのでもない。自分は女だという認識はある。男だったら楽だろうなと何万回も思って、死ぬほど考えたことはあるけれど。そんな私の根底にある思考は、ウーマンリブであり、メンズリブでもあるということかもしれない。ここまでくるとジェンダーの話になってはくるから、以前女子の話に書いたところと被ってくるところではあるけれど、要は女だからこういうのでないとか、男だからこうでなければいけないとか、そういうのは必要ないと思っている。
 なら、ボーイッシュっていうのはどうなんだって話ではあるけれど、男の子っぽい恰好をしているけど、中身は女の子なのがボーイッシュであって、中身もボーイッシュであるのは、違うんだろうなって思うのである。これはある意味、女らしさを前面に出さないことでもあるのだけども。それもいいっていう人も、多くはないけれど、いてくれるのだけれど、やっぱいざとなったら違うんだろうなとかいう感情は消えなくて、それは思い込みに近いけれど、「それでも私を選んでくれるんだ。」と思えることは少ない。ここが難しいところで、悪く言えば下品というか元気で快活で豪快な女の子っぽい感じの女に、外見も内面も男性的なところを持っていて女の子を出せない女は、勝てない場合が多いということ。「じゃぁさ、女っぽさ出せばいいじゃない?」って言われそうだけど、それができれば苦労はしない。そんなことをしている自分に拒否感があってできない。全くない訳ではないけど、広く一般に出すことなどできないのだ。
 いや、だからこそ、「それでも私を選んでくれるんだ。」と感じるために、常にフラットにいて、「私はこんなです!それでもいいですか?」って看板ぶら下げて歩いている感じもあって、「そんな君だから、いいんだ。」って好きになってもらった時は、心から幸せだと思う。

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 それこそ、中学の時に、たくさん告白されまくっていた友達に、「すごいよな、次々告白されて。」と私が言うと、「好きでもない人に好きって言われても嬉しくない。好きな人に好きって言ってもらえて、彼氏になってもらえるあなたの方がいいやん。」と言われたことがあった。周囲に、かわいいとちやほやされて人気者であった彼女ではあるけれど、心中は複雑なのだなと知った瞬間でもあった。働いている時にも、原田知世風で、私と背丈は似ているがほっそりとして、守ってあげたくなるような通称こんこんは、狙ってる訳ではないけれど、ちょっと天然なところと自己肯定感が低めなところを持っていたのもあって、職場内の男性陣にちょっと扱いを別にされる感があったのもあって、こんこんと表面的には仲良くしていた人が、陰口を言ってるのを聞いたりすると、なかなかにかわいいというのも厄介ではあるなと思ったりした。というか、陰口を言う方が、ただただ醜い女になるから、そんなことが男性陣に知れたらこんこんの株が上がるだけなのだが。
 で、お前は何が言いたいんだって話になる。今日は取り散らかしているな。この問題は自己肯定感も少しは絡むところがあるなとも思うけれど、自分が自分であることにフォーカスして考えると、そういう存在の仕方が肯定されてはきていないし、社会的に仕事は同等にするし、それを求められるのに、それに見合った報酬や地位や評価は女ということで、与えられれない上に、恋愛面でもそう有利でないとなると、さすがに自分を肯定したくてもできないのである。そのまま生きていくことを選んではいるけれど、平気な顔して何も傷ついてないフリして、後になってどっと傷ついていたことに気付いて疲弊して、「そのままいるだけだ。だからいいんだ。」と思いながらも、そのままではいけないのではないかと頭の片隅で思ってしまう。だからこそ、たまに肯定されると嬉しくて、ありがたいなって思うし、同性ならば同じようにいる人を、そのまま持っている魅力をたくさん伝えて肯定していたいとより思う。そして、私はいわゆるイケメンとか男性的な男性が苦手である。そういう部分は少なからず例外はなく女と同じで、皆男性的な部分はちゃんと持ってはいる。だけど、異性として普段見られないという人に、私は惹かれたりもするから、ちゃんと魅力があるということを、友達もだけど、大切な人にはずっと伝えて続ける人でいたい。

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