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小さな隣人が教えてくれること

こんにちは、いとさんです。

強い雨が降り続いていたある日のこと、知人宅へお邪魔していましたら、その方の飼っている犬がずっとソワソワしているのが気になって、「何かいるのかしら」とそこに居た全員で注意を向けていますと、ふと猫の鳴き声が聞こえたような気がしたのです。もう一度耳を澄ませていますと気のせいではありませんでした。猫がか細く鳴くのが確かに聞こえました。この土砂降りの中、表に猫がいるというのはおかしいねと二人が表に出て様子を見に行きました。暫くして慌ただしく戻ってきた一人の掌の中にずぶ濡れの小さな小さな子猫がいたのです。

我が家には八年前に父が保護した猫が二匹います。当時まだ目も見えていない子猫達を動物病院に連れて行きましたら、お医者さんから恐らく生後一週間くらいだろうと言われました。今目の前にいる子猫は、まさに我が家にやって来た子猫達と同じ様子です。片手の掌の中に収まるくらいの大きさで、目も見えていないようです。大急ぎでタオルを引っ張り出して来て身体を拭いてやると、湯たんぽを準備して適当な段ボール箱を見つけて来たと思ったらさっさと即席のベッドを作り上げた知人はこれまでもたくさん猫を保護していて、そのうちの三匹はすっかり彼女の家に居ついています。

湯たんぽの暖かさとタオルのおかげで濡れていた子猫の身体はすっかり乾き、安心したのか子猫はすやすや眠ってしまいました。久しぶりに生まれて間もない小さな子猫を見たものですから、懐かしさも込み上げてきてただ眺めているだけで幸せな気持ちになりました。外は雨が相変わらず強く打ちつけ降り止む気配はありません。こんな小さな身体でこの雨の中、目も見えず世界も知らないこの子がたった一人でいるところを自分に置き換えて想像すると恐ろしさを感じました。

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恐らく生まれて日が経っていないことから、近くに親猫がいるはずだと言って、子猫にミルクをやった後知人は子猫を入れた段ボール箱を表の雨を凌げる場所に移動させました。時々様子を見にいって子猫の無事を確認していましたが、数時間後には段ボール箱が空になっていました。親猫が連れ帰ったようです。

私はてっきり子猫を保護した時に彼女が飼うつもりでいたと思っていたので、子猫を猫達の世界に返してしまったことに少しだけ寂しく思っていました。けれど後から考えていると彼女のその行動は人間の傲りが無いということに気がつきました。「人間が助けてやった」「人間が面倒をみてやっている」そういう感じがしないのです。お互いがお互いの世界で生きていて、たまたま彼女と子猫の進んでいる道が交差しただけのことで、わざわざこちらの世界へ引きずり込む必要はないのです。交差した後は違う方向へ向かっていきます。

アルゼンチン人は犬を大変可愛がりたくさん飼っているということはご存知の方も多いかもしれません。犬の散歩屋がいるくらいです。これまで彼らが犬だけではなく猫も大切にしている様子を見てきました。飼われているもの、野良で生きているもの、どれも隔たりなく可愛がるのです。その証拠に通りには人懐っこい猫がウロウロしています。人に対しての警戒心が低いのです。

もし人がこの野良ちゃん達に関心を示さなければ、きっとお互いが交わることはないのだと思います。猫達は自分によくしてくれた人間の存在を知っているから、人に対して関心を示すのです。猫達は自分の目で見て、経験して知ったことから人間を「測って」います。彼らは深入りしません。そしてある一定の距離を保っています。都会で見る猫がいつも怯えて人を避けているのは、彼らが経験して知った人が恐ろしいものだったか、もしくは人が自分たちに何も関心を示さないが為に、猫達にとって未知なるものであるということが原因かも知れません。

人同士の繋がりにおいても同じことが言える気がします。時々全てを知った気になれますけれど、結局は猫達のように自分で感じたものしか扱いきれません。通りからそっとこちらを見つめてくる猫に、何かを教えられているような気がしてきました。そうだね、人間はちょっと自信過剰だよねぇ。

いとさん

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