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内と外の境界線

こんにちは、いとさんです。

アルゼンチンに来て気づいたのですけれど、私はどうも床に座る習性があったみたいです。誤解を招くといけませんので先に申し上げますと、パブリックの場でいきなりしゃがみ込んで寛ぐということではありません。アルゼンチンでは主にソファーで寛いで過ごしていましたが、少し前に新調したカーペットにぺたんと座り込んでみると久しく感じていなかった一種の安らぎのようなものを覚え、少し癖になっています。

実家の食卓は元々嵩の低かったテーブルの脚をわざわざ長いものに付け替えた父のお手製のものでして、それに合わせて椅子を置いていました。大体は食事が済むとそのまま居間へ移動しますので、そこに留まる時間は僅かです。そして家にいる時間のほとんどを居間で過ごしました。

居間は狭くてたくさん物を置けないので、ソファーもありません。丸いちゃぶ台がでん、と部屋の中央を陣取っている他はほとんど物が無いにも拘らず、大人が5人集まると狭苦しくて仕方がないのです。ちゃぶ台を囲み、床にペタンと座り込んで三姉妹と母がお喋りを始め出すと、父はすぅっとその場を離れて、ダイニングテーブルの椅子に隠れている猫たちと一緒に遠目に居間を眺めているのです。

こちらでは靴を脱ぐ習慣がありませんので、床に座る機会もありません。床に敷かれたカーペットも当たり前に土足で踏んでいるわけですけれど、どうも私はそれが落ち着きません。あまり靴の裏がくっつかないように脚を組んでみたり、端の方に座ってみたり、意味のない努力をしています。そうしながら文化の違いにそれなりに順応していたつもりでしたけれど、お風呂上がりはやっぱり裸足でいたいと思い、自宅の寝室だけは土足禁止ということにしました。お風呂は寝室の一角にあります。大体どこのお家もこのような造りですが、大家族になると全く掃除が大変なことになるなと思います。

日本で生まれ育ち、小さい頃から靴を脱いで家に上がると言う習慣がありましたから、内と外の境界線を知らずのうちに意識していたのかもしれません。学校でも教室で使う靴は上履きといって外履きの靴と区別していますし、体育館に入る時は体育館シューズを使います。面白いですね。この体育館シューズに関しては、私は道場の名残りかしらんと思っています。道場は裸足で入りますから、やっぱりそれは外の世界と区別する空間なんですね。

話が逸れました。そんなようなことで寝室を仕切るだけでは内と外の境界が曖昧なような気がして、結局家に入るとまず靴を脱ぎ、スリッパを履いています。更にカーペットの上へ上がる時はスリッパをも脱ぎます。世界がゆっくりと元の生活を取り戻そうとしている中、引き続きcuarentena obrigado“強制隔離”中のアルゼンチンではまだまだお客さんを自宅へお招きすることはできません。暫しの間、新しいカーペットが汚れることはありませんので、実家で過ごしていた時のようにゴロゴロ寝転がったりして、小さな楽しみが増えて嬉しく思っています。

私が知らず知らずに感じている内と外の境界線。生活様式が違うアルゼンチンでは、少し捉え方が違うように思います。それをより感じたのは家の門です。高く高くそびえ立つ門戸はその佇まいから檻のように見えます。そして必ず鍵がかかっています。アルゼンチンの治安は良いと言えません。犯罪も多く悲惨な目に遭う人も少なくありません。こちらの住宅の門はそれを物語るような装いです。内と外を仕切るだけでは足りず、固く閉ざして他者を排除しなければならないのです。

一方で、家という空間の中での彼らの振る舞いは外での様子と同じです。土足のまま生活していますからソファーに寝そべる時も靴のままです。そこまでするならいっそのこと靴を脱いでしまえば、よりリラックスできるのではなかろうかと思います。しかし靴を脱ぐことに対しては少し抵抗があるようで、日本での暮らしについて質問された時に「どうして靴を脱ぐんだ?菌がいっぱいじゃないか!」と言われた時にはキョトンとしました。土足で歩き回った床を靴下でも平気で歩いているアルゼンチンの人にとって、靴下はほぼ靴も同然。一体靴とは何だと思いました。

暮らしのすみっこで毎日小さな違いと出会い、それを楽しんでいる日々です。

いとさん

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