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祖父よ

先月、祖父が亡くなりました。
ゆっくり休んでくれていると良いな、と思います。


随分と痩せて細くなった腕と対照的に、浮腫んだ手先や足先を今もはっきりと覚えている。痩せた顔は遺影で見た曾祖父とよく似ている。それが第一印象だった。

その姿を見ても祖父が死んだことの実感が持てなかった。今もなお、その状態のように思う。通夜と葬式を経てお骨を拾い、線香を毎日上げていたのに、だ。慌しい数日はどこか現実離れしており、実家から戻った一人の家でようやく泣いた。寂しいのか悲しいのか、どれかの言葉に当てはめようとしても少し違う気がする。もう少し経てば、分かるのかもしれない。どこか遠くだけれど、祖父がいるような気がしてくるのだから不思議だ。今の情勢では施設へ面会に行くことも叶わず、家族伝手に様子を聞いていた。今もそのときと同じような心境である。

ただ、良いこともあった。
数年振りに親戚や同級生と顔を合わせることができた。大人になれば、冠婚葬祭でなければなかなか顔を合わせなくなる。特に今の情勢となってからは、集まることを避けていたので……。昔の写真など振り返る時間もあり、私より若い年頃の祖父の写真もたくさん見た。身内の贔屓目を抜きにしても、祖父は格好良い顔立ちをしている。堀の深い顔立ちなのだが垂れ目のお陰か優しく見え、甘いマスクといった印象だった。所謂、昭和のハンサムと言える。祖父の溌剌とした笑顔の写真を見て、私の笑ったときの口角とよく似ていると気付いた。やはり、似ているところはあるのだ。不思議なことに、祖父が生きているときには気付かなかったのだけれど。

私は祖父の祖父という一面しか知らない。
職場での祖父や父親としての祖父がどうだったのか、私には分からない。ただ、孫である私や妹を可愛がって、口にはしないけれど気にかけているのは分かっていた。晩年になっても祖父は孫の名前を一切間違えたことがない。帰省(2019年以前)で久し振りに会って髪型も変わっている孫を間違えない。じっと大きな目で顔を見つめ「○○か」と確かめるように問い掛ける。
私は祖父がゆっくりと記憶を思い出す様が、大好きだった。ああ、覚えていてくれたのだ、とほっと胸を撫で下ろすのが毎度お決まりのこととなっていた。
「こちらにはいつまで居られるのか」「仕事は忙しいのか」「元気にしているのか」
大体いつも似たような会話を交わす。頷く祖父の顔に浮かぶ笑顔は、今思い出すと昔の祖父の面影が残っていた。人懐こい笑顔だった。

祖父の遺影は、朗らかな笑顔でどれだけ見ていても飽きなかった。施設に入る前の頃に撮った写真だったろうか。家族で撮った写真の中から選ばれたものだった。私の覚えている祖父の笑顔は、この笑顔だなとしみじみと斎場で眺める。棺に花や色紙を納めたとき、最後に祖父の頬に触れた。ひんやりとしていて、掌に肌が吸い付く。初めて、祖父の顔を撫でた。私が幼いとき、祖父も私の頬を撫でていた。そのことを、ふと思い出しながら最後の別れを告げてきた。

不思議な数日を過ごして、私はまた日常に戻ってきた。
次は四十九日の法要である。そのときは夏の盛りで、山も空も濃くなっているだろう。

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