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【エッセイ】心のメジャーを伸ばしてみる

「私、友達すくないから、こんなことを話せるのはあなたくらい」と友人は私に言った。
冬の乾いたよく晴れた日のこと。
昼間っからビールを気持ちよさそうに飲む彼女は、母であり、アーティーストであり、どう考えても独身36歳の私より友達が多そうに見える。

私は、今本当に友達がすくない。
20代の頃は、たくさん友達がいたはずなのに、30代になって気づいたら、よく会う友人は片手に収まるくらいの人数になっていた。

私と友人は共に「友達がすくない話」で盛り上がった。
多分、お互いに少ないことにも居心地の良さを感じているのだ。
分かり合える人が一人でもいれば、幸せなのだと。

私は、誰かと話をしていると、話す内容を慎重に選ぶ。
自分が興味あることも「まあ、こんな話をしても相手は興味ないよな」と思ってしまい話さないことが多い。
「でも話してみたら変わるかも?話したら合う部分があるかも?」と彼女は言った。
「そうだよね」と私。
友達少ないと言うわりに、彼女は人に対して、暖かくていっつも開かれている。


私の人間関係に対する価値観はこうだ。

自分を中心に二重、三重に輪が広がるイメージ。
家族の輪、親友の輪、友人の話、知り合いの輪という感じだ。
そうなると、とうぜん話をする内容は相手との距離感で変わってくる。

ところが、私の価値観が変わることが起きた。
それは友人が不意に両手を差し出して、目の前で「幅」を作って見せたときのことだった。

友人は両手を平行に並べ大きな幅を作ってそれが、自分の幅だと言った。
次にその手をすぼめて小さな幅を作って見せて、ほほえんで言った。
「この幅は、彼と合うの」
彼女のある「幅」は旦那さんと合うそうだ。
私は、同じ「幅」が合う人と、人生を築いていけるのは素敵なことだと思った。

ふと考えた。
私は、対人関係を、輪のように思っていたけれど、彼女が両手で表したように、メジャーを持つようなイメージにしたら、もっと居心地が良い世界が広がるのでは?

つまり、彼女が示したように、自分の中にメジャーがある。そして、ある部分では、この人と合う。(例えば15cm~30cmの部分は合うとゆうふうに)

こう捉えたとき、私の価値観はコトリと音を立てて動いた。

分かり合えないから話さない、と決めるのではなく、相手と自分の幅が合うところを見つければいいだけの話なのだ。

そして、自分の心のメジャーを伸ばせば伸ばすほど、どんどん合う人は増えていくはずだ。

そうなったら、友達少ないどころではなく、「出会う人みんな友達!」みたいな現象が起きてくる。

輪っかにとらえるのではなく、メジャーで捉えてみる。

そう考えたら、どんな人との出会いも楽しくなる。

もちろんメジャーの中で、自分が大切にしている部分はあるけれど、自分のメジャーを伸ばすだけ、世界は広がっていく。

捉え方の違いで、世界のみえかたは変わるんだなと思った。

案外、人間関係は気楽なものかもしれない。

私たちは、いろんな話をして店を出た。

私と友人はお互いに「銭湯好き」の幅がある。

「今度一緒に銭湯行こうよ」「いいね」

お互いに幅を確かめ合うように、話しをする。

誰かと自分の合う幅が見つかり、話した後の心地良さ。

店を出て、歩いていく私と彼女の肩と肩の距離も、さっきより少し近くなっている気がした。

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