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僕と父(子供時代 その2)

怖くて強くてすぐキレる、そんな父から希望を託されることになったらしい、僕。一つ上の姉が小学校入学後すぐに才能を発揮し神童扱いされていたので父親の期待は否応なしに上がっていた。

しかし。しかしである。

たった一歳しか違わない次男である僕は、小学校入学時にまず字が真面に書けなかった。正確には、ひらがな、カタカナでどうしても反対に書いてしまう文字がいくつかあった。そのうえ、字が汚くて何を書いているか判読不明。大人になって分かった事だが、これは生まれつきの乱視が影響していたらしい。また、落ち着きがなく今で言う学級崩壊の導火線みたいな子供だったら。母が大事に保管してくれていた小学校からの通信簿には例外なく、落ち着きがなさ過ぎる、家でどうにかしてくれ、的な先生からのお願いがオブラートに包まれて記載されていた。

これで成績が優秀であれば問題ない。

さて、小学校1年生の頃の通信簿を見てみると、3段階評価で主要4教科が1と2。どちらかと言うと1が多い。特に国語と算数が悲惨な事になっている。音楽や体育も、落ち着きがなく先生の指導を聞かなったせいか、1と2だけ。最高評価の3が1、2,3学期を通じて1つも無いのである。

要は、落ちこぼれだった。兄など比較にならない全体的に残念な子供だったのだ。一年生の夏休み前、担任から一本背負いを喰らい床に背中を叩きつけられたくらい先生から怒りを買うダメな子供だった。

そんなダメな僕を、父が許す筈がなかった。期待が高かった分、裏切ったために発生した怒りのエネルギーは尋常ではなかった。(続く)

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