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ワインレッドのランドセルがとてもとても嫌いだった

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一泊二日で渡名喜に行ってきた。
青くて広い空とフクギ並木。蝉の声だけが鳴り響く島だ。


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宿泊先の食堂で同じく旅行中のご家族に出会った。息子さんは5歳、来年には小学生になるという。元気に動き回り、「光るランドセル買うのー」と教えてくれた。どうやら反射板がいっぱいついている、光ってかっこいいランドセルらしい。まさにお先真っ暗!なご時世のなか、彼は小学生になる未来を楽しみにしていた。見ず知らずの名もなき少年のランドセル姿を想像して、なんだかほほえましくなった。


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わたしが小学生のころ使っていたランドセルはワインレッドだった。すごく嫌だった。
いま思えば正面についた金具もころっと丸っこくてかわいい、私立学園みたいなおしゃれランドセルなのだけど当時は本当に嫌だった。みんなと同じ赤いランドセルが良かった。

当時はカラフルなランドセルはそこまで流行っていなくてクラスに5人程度の反普通派がいるだけ。それも色や刺繍、金具、ポケットなどの形が違うだけのマイナーチェンジがほとんどで、ワインレッドなんていう大人っぽい色で形もガラッと違うのはわたししかいない。母と姉とランドセルを買いに行ったとき、2人はそれを見て「これだ!」「これにしなよ!」と盛り上がった。そしてわたしはそれに負けた。

とても嫌で毎日心のなかで抵抗しながら反普通の証を背負っていたが、とてもじゃないけどそんなことは親に言えなかった。このランドセルは反普通の証でもあり、意志を伝えられなかった弱い自分の証でもある。それを毎日、6年間。ふとした時に嫌だなぁと思い出しては飲み込んできた。


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うちの母は美容師という職業柄か個性を大事にしている人。さらに姉は6歳離れているから感覚がわたしより大人っぽい。2人とも意志をはっきり伝えてくるし、逆にこちら側が伝えないでいると負けてしまう。でも下っ端のわたしは伝えるのが面倒で疲れるし負けるのも嫌。だからそもそも抵抗しないで飲み込んで流すことを選びがちだった。ランドセルに関してもそういう選択をしてしまうのは必然的だった。にしても、まさか6年間も自分の背中に乗ってくるとは考えてもいなかったから当時のわたしはまだまだ子どもだったなと思う。(そりゃ5歳だから子どもか)

くり返しだけど、いま思えばおしゃれなランドセルだった。だからいまのわたしはおしゃれなランドセルを背負っていた自分のことは好きだし、その判断をわたしに代わってしてくれた母と姉には感謝をしている。だけども後悔もしている。あのランドセルを弱い自分の証ではなく、自分の誇りとして背負いたかった。自分が好きだと思えるランドセルとして背負いたかった。


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渡名喜で出会った少年はランドセルの話をしながらゴーヤチャンプルーを美味しそうに食べていた。光るランドセルを背負った彼はどんな顔をしているんだろう。
なんだか久しぶりに明るい未来を想像した気がする。


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