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天使さん

SNSが今みたいに普及するずっとずっと昔の話だ。

当時高校に入ったばかりの僕はアルバイト代から自分で支払うという条件で初めて携帯電話を持たせてもらった。
今の若い読者からしたら信じられない話だと思うが、SNSやマッチングアプリ、出会い系サイトさえなかった当時、自分の携帯電話番号の下1桁をひとつずらした番号宛てにあてずっぽうで「よかったらメル友になりませんか?」とショートメールを送るのが流行っていた。名前も顔も性別すらわからない相手なので無視されることが多かったのだが、時たま返事がくることもあった。

天使さんとはそんな風にして知り合った。
どんなメールアドレスだったか覚えていないが、ショートメールで交換したアドレスに”angel”という単語が入っていたので一番最初のメールで『天使さんですか?』と聞いてみた。
しばらくしてから『そうだよ!そちらは?』と聞かれたので、とっさに自分は宇宙人だと名乗ってしまった。

それからほぼ毎日天使さんとメールをした。
天使さんは天国に住んでいる設定、僕は遠い宇宙から地球に来た宇宙人という設定でメールをしていたのだが、たまに設定が崩れて”中の人”が出てくることがあって、それがお互い面白かった。

どうやら天使さんは僕と同じ高校生の女の子であるようだった。
彼女は峯田和伸が(銀杏BOYZの前に)組んでいたGOING STEADYというバンドのコピーバンドをしていて、ギターボーカルをしていた。
チョコエッグのおまけの玩具を集めるのにハマっていて、今日は何が出たかメールで教えてくれた。天使さんの影響で僕もGOING STEADYやハイロウズ、ミッシェルガンエレファントを聴くようになった。

天使さんとメールし始めて半年くらい経った頃、カメラ付き携帯電話が世に出始めたが、顔写真を交換することも電話もしたことがなかった。

高校2年になり髪を茶色に染めてピアスを開けた。勉強も周りから遅れ、ガラの悪い友人達との付き合いが増えた。でも天使さんとメールしている時だけは、まだ高校1年の黒髪の頃の気持ちに戻っていた。

天使さんに聞きたいことは山ほどあったが、大事な話になると例の天国にいる設定に戻ってしまいなかなか教えてくれなかった。時折メールに混じる関西弁でなんとなく彼女が関西圏に住んでいることだけはわかっていた。

当時、関西を中心にお洒落な男女がストリートスナップで紹介される『チョキチョキ』という雑誌があり、天使さんがたまたま下界に下りて来た時に写真を撮られたという話をしてきた。
僕は大慌てで池袋にある大きな書店で雑誌を買い求め、天使さんを探した。もちろんどれが天使さんであるかはわからない。その月の号だけでもアメ村で撮られたというストリートスナップに載っている女の子は30人近くいた。僕は勝手にその中の1人を天使さんだと思うことにした。僕の中の天使さん像に一番近いのが彼女だった。

彼女は髪を赤く染め、びっしりと鋲が打ち込んである丈の短い黒のライダースにタータンチェックのミニスカート、黒のドクターマーチンという典型的なパンクス系のファッションだった。

彼女の影響で僕の当時のファッションスタイルもそれまでの裏原系ストリートファッションから、パンクス系スタイルに変わっていった。当時の僕は本当に天使さんの影響を受けていたと思う。

今であれば東京と大阪は大した距離ではないが、高校生だった当時の自分からすると、大阪はまるで違う国のように遠く感じた。だから、その年の修学旅行の行先が沖縄から大阪に変更になった時、ほとんどの生徒が、がっかりして不満を漏らす中、僕だけは内心小さくガッツポーズを取っていた。やっと天使さんに会える道筋が見えてきた。

正確に言うと、行先は大阪ではなく4泊5日の旅程で広島から神戸までを本州を通るルート、瀬戸内海を通るルートなど4ルートに別れ、それぞれのルート毎で宿泊し、最終日は神戸にあるホテルに1泊して東京に戻るというユニークなものだった。生徒の自主性を高める目的で宿泊先以外のルートについては4~5人からなるグループで自由に決めて良いとの事だった。僕は最終日にグループを外れ、天使さんと会うことを決めた。

天使さんにそのことを告げると、彼女は最初かなり戸惑っているようだった。会わない方がいいと思うとまで言われてしまった。でも、僕はこの機会を逃したら一生彼女に逢えないかもしれないという思いが自分の背中を押し、当時女性に対しては奥手であったのにも関わらず半ば強引に約束を取り付けた。

彼女は大阪ではなく、京都に住んでいるとのことだった。学校の都合もあるので神戸まで行くことはできないと言われた。僕は関西の地理にまるで疎かったが、なんとか修学旅行の最終日、神戸のホテルに戻る時間までに京都に行き、天使さんと会う計画を立てた。



修学旅行当日。広島にいても、瀬戸内海を渡り四国にいても、僕の頭の中は天使さんと会う最終日の事でいっぱいだった。同じグループの友人に協力してもらい、その日だけは別行動を取らせてもらうことにした。
「でも、夜は神戸港のフェリーの前で記念撮影があるからそれまでには絶対戻ってこいよ?点呼の時にいなかったら連帯責任で俺たちまで怒られるんだから、それだけは勘弁しろよな」と釘を刺された。

神戸から京都まではJR神戸線長浜行で約1時間の距離だった。そこから彼女に指定された待ち合わせ場所の三条駅まではまた在来線で30分ほど掛かった。待ち合わせ時間の30分前に着いたので、まだ天使さんらしい女性はどこにもいなかった。僕は自分の特徴をメールした。

MisfitsのバンドTシャツに黒のパンツ、(彼女とお揃いであると勝手に思って買った)ドクターマーチンを履いていると伝えた。

彼女から返事はなかった。

約束の時間から20分が過ぎた。
何度もセンター問合せをしたが、まだ彼女から返事はない。

もしかしたら、すっぽかされたのかもしれないと思った。考えてみればお互い顔も知らずに2年間もメールだけで連絡を取り合ってきたのだ。今さら会うなんて相手からしたら夢にも思わなかったはずだ。もしかしたら天使さんはこのまま会わずにメル友としての関係を望んでいたのかもしれない。それを修学旅行を口実に半ば強引に会う約束を取り付け、彼女の気持ちも確かめず無理やりここまで進めてきたのだ。

あと5分だけ待とう。それでも彼女が現れなかったら諦めようと思った時だった。


後ろから「宇宙人?」という声がした。

僕が慌てて振り返ると、そこに車椅子に乗った女の子がいた。
彼女は黒のワンピースを着ていて、胸のところまである長い髪はほんのり明るい色に染められており、赤いセルフレームのメガネを掛けていた。
僕が頭の中で何度も思い浮かべていた天使さんとは全く別の女性だった。そもそも、彼女が車椅子に乗っているという話自体、一度も聞いた事がなく、僕は茫然と言葉を失ってしまった。

僕が声を出せずにいると、天使さんが口を開いた

「ごめん、驚いたやろ?」

僕は小さく頷いた。

怪我をしてるの?と聞いてみたが、彼女は笑いながら首を振った。

「うちな、生まれつき足が悪いねん。どんどん麻痺が酷なって治る見込みがない病気なんやって」

「君に会いたい言われた時、正直めっちゃ迷っててたんよ。だって、今までずっと嘘を付いてきちゃったやんか。音楽好きなのはほんまのことやけど、見てのとおりこの足じゃバンドなんてできへんし、雑誌に撮られたなんて嘘言ってしもうたし」

「あれな、全部うちの妄想やねん。普通の人みたく歩けたらバンドをやってみたかったなぁ、とか、お洒落してアメ村行って、スナップ撮られたかったなぁ、とか」

「ずっと道路の向こうから宇宙人のこと見てたんよ。君は背が高いからすぐにあれやなってわかった。一度も会うたことないけど、うちがずっと想像してた男の子が目の前に現れるんやから驚いたよ。30分も前に来てずーっとそこにおるんやもん」

「正直な、君のことを観察だけして帰るつもりやったんよ。遠くから一目見れれば満足やったから。君もきっとうちが現れないことがわかればそのうち諦めて帰るやろ思って。でも全然帰らへんから、だんだん申し訳ない気持ちになって…そんで出てきちゃった。幻滅したやろ?」

僕はようやく口を開いた。
勝手に突っ走って天使さんの気持ちを確かめずに会おうとしていたことに怒ってすっぽかされたかと思ったこと。
雑誌に載ったと聞いたのでずっとその雑誌に載っていたとある女の子を天使さんだと思っていたこと。気付いたら彼女のファッションを真似ていたこと。

そのことを話すと天使さんはケラケラ笑った。

「ほな残念やったね。お洒落なパンクガール来る思ってたんやろ?こんな可愛ない車椅子の子が来たらガッカリしたやろ?」

驚いたけどガッカリはしてない、それに可愛くないなんて思ってない。想像の天使さんとは違ったけど、ワンピースもメガネも髪色もすごく似合ってると慌てて言う僕を見て、天使さんはまた笑った。

「そんな慌てんでもええよ。そしたら車椅子押してくれる?この先に川沿いの道があるんよ。」

天使さんに言われ、僕は彼女の後ろに回り車椅子を押しながら、駅から鴨川に架かる橋を渡り、納涼床と呼ばれる川沿いの道を歩いた。
心地よい風が吹き、その度に彼女の長い髪が風に揺られるのを後ろから見つめていた。

ちょうど夕暮れ時で川沿いの飲食店に灯りが灯り始め、鴨川がオレンジ色に輝く中、僕は天使さんの車椅子を押して歩きながら、これまでの2年間を埋めるように話をした。
音楽の話。学校生活の話。卒業後の進路の話。彼女は関西の大学を受験するとの事だった。僕はまだ進路を決めてなかった。


彼女は話をしながらたまにこちらを振り返った。彼女と目が合いそうになるとドキッとしてわざと目を逸らした。

車椅子の人と話をするのはなんとなく不思議な気分だ。手を繋いでいるわけでもないのに、車椅子を通じて彼女の一部に触れてる気分になる。
たぶん1時間そこらの時間だったと思う。最後は昔からの知り合いのように彼女と打ち解け親密な関係になった気がした。きっと彼女の関西弁のせいだ。元々大阪出身なので京都弁みたいに上品な関西弁じゃなくてごめんと言われたが、そのおかげでこちらの緊張も解け、最後は彼女の関西弁が少し移ってしまい、その度に彼女はクスクス笑った。

本当のことを言うと、あくまでも僕の妄想の中の赤髪の少女は男の扱いにも慣れてて積極的に僕を誘ってくるかもしれないと考えてた。こっそりと財布の中にはコンドームも忍ばせていたのだが、本物の彼女と話をしていると、そんなやましいことを少しでも考えていた自分が恥ずかしくなった。それよりもただこうして彼女の車椅子を押しながら歩く時間が何よりも尊く愛おしく感じた。

気付いたら辺りはすっかり暗くなっていた。時計を見ると19時を回っており、とてもじゃないが点呼の時間に間に合いそうもなかったが、1秒でも長く彼女と一緒にいたかったので、彼女に時間を聞かれるまで時計は見て見ぬふりをしていた。

彼女の父親が車で迎えに来るとの事だったので、父親が来る前に僕が駅の改札で彼女に見送られる形になった。別れ際、「あとで開けて」と言われ小さな紙袋を渡された。改札を過ぎても彼女は車椅子に座ってずっと僕を見守っていてくれた。僕は2回彼女を振り返り手を振った。神戸に戻る電車の中で彼女からもらった紙袋を開けると中にCDが入っていた。

CDはMONGOL800のファーストアルバムの初回限定盤だった。「ボーナストラックの曲がカッコイイ」と彼女に教えてもらったが、その頃には初回限定盤はどこにも売ってなくて、必死に探したけど見つからなかったという会話をメールでした事を思い出した。

帰りの電車で天使さんにメールを打った。

『今日はありがとう!すごく楽しかった!CDもありがとう!あとで聴くよ♪また会おう』と。

しばらくして天使さんから返事があった。

『会ってくれてありがとう』

それだけだった。なんて返せばいいのかわからず、とにかく神戸に着いてからは友人と引率の教師に散々怒られた記憶しかない。



それからも僕は天使さんとメル友の関係を続けていたのだが、大学1年の時に付き合った彼女に天使さんとのやりとりを見られ浮気を疑われ、彼女とのメールと連絡先を全て消されてアドレスを変えられてしまった。

天使さんとはそれっきりぷっつりと連絡が途絶えてしまった。

どうにか彼女と連絡を取ろうと試みたが、当時はSNSもなく、彼女と僕は携帯電話のメールでしか繋がりがなかった。

実は天使さんのことを文章にしたのは今回が2回目だ。一度目は大学4年の終わりの頃、就職が決まり、引越しの準備でダンボールに荷物を積めてる時に、彼女から貰ったCDが出てきた。
当時mixiというSNSの走りのようなサービスが流行っており、僕は日記に天使さんのことを書いた。
電車男などの携帯小説が映画化された事もあり、僕のエピソードは一時期、ごく限られたコミュニティ内ではあるが、それなりに有名になった。
僕のエピソードへの感想や応援のメッセージが寄せられたが、結局天使さんに繋がる情報は最後まで得ることはできなかった。

それから何年経っただろう。

仕事やプライベートで京都に行く機会があると、僕は当時彼女が好きだった音楽をイヤホンで聴きながら、鴨川沿いを歩いた。


もう彼女の顔を思い出すことはできないが
目を閉じると彼女の長い髪が風に揺れる
車椅子の後ろ姿がよみがえってくる
何度でも

STAY WITH ME 

このままこうしているだけで
時は流れ変わってゆく
今何を考えているのかわからないけど
ただあなたの暖かな
ぬくもりを感じているだけ

何も言わないで
ただじっと2人だけの時を過ごせるなら
Baby,baby,baby
Stay with me
あなたさえいれば
Baby,baby,baby
Stay with me
何もいらないさ

そのままそっとしておいて
人は誰も変わっていく
今何を問いかけているのかわからないけど
ただあなたのうしろ姿を
そっと見つめているだけ

何も言わないで
ただじっと2人だけの時を過ごせるなら
Baby,baby,baby
Stay with me
あなたさえいれば
Baby,baby,baby
Stay with me
何もいらないさ


https://youtu.be/C71Y6eLd06s

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