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【小小説】ナノノベル

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2022年9月の記事一覧

帽子の男

帽子の男

「帽子のツバが好きでね」
 シャッターの下りた店先で男は言った。
「ツバのない帽子ってのもあるんですかね?」

「ツバは影を作り出す。俯いて見れば子猫をお菓子を恐竜を昆虫を復讐を昨日を夏を……。光の加減と自分の立ち位置次第で作り出せない影はない」
 それはイマジンだと男は言った。

「ツバはサインを作り出す。触れたり離したり。また、その触れ方。触れる回数。他に触れる場所との組み合わせによって、高度

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レインボー・ゴール

レインボー・ゴール

 胸についたバッジ(俺の主治医)が黄色から激しい点滅に変わり、そのペースは徐々に速さを増していた。ついにこの日がきたか……。色が赤になった瞬間、俺の引退が確定する。ピッチ袖では交代の準備が進められていた。あの番号は。(やっぱり俺か……)

 遠のいていく意識の中で、俺はバイタリティ・エリアに入っていく。新しいサイドバックから最後の贈り物。トラップはできない。精一杯に伸ばした足の先が微かにボールに触

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魔法の壷

魔法の壷

「ぶん殴ってやりたい」
 私はT氏への不満を漏らさずぶちまけました。

「ことある毎に嫌みばかり言ってくるのです。しかも私にだけ目の敵のように言ってきます。他の人に対しては善人顔でどうやらいい人で通っていうようです。それが余計に腹立たしい。顔を見るのも嫌になってきて何かの拍子にかーっとなって殺してしまうかもしれません」

「それはよくないですね。そういう不可解な人というのは、どこに行ってもいるもの

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成り上がり(アピール・トレイン)

成り上がり(アピール・トレイン)

 目立ちたい。突き進みたい。掲げたい。酔いしれたい。魅せたい。教えたい。考えながら走りたい。飢えを秘めてピッチサイドを駆けた。俺はアピール列車だ。発車時間はまだ知らされていない。仲間は劣勢だと風が歌うのを聞いた。きっと必要とされる時がくる。
 読解力、走力、俯瞰力、突破力、シュート力、奪取力、推進力、応用力、語学力、包容力、馬力。種々のスペックを身につけて往来する俺の光を、どうか目にとめてくれ。

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ゲリラ役員会の分解

ゲリラ役員会の分解

「急に1000万カットなんて生活が成り立たんよ」

「そうだ!そうだ!」

「ビール1杯いくらすると思ってんだ!」

「ビールなんて飲まなくていい」

「そうだ。ワインにしなさい!」

 役員会は荒れに荒れた。

「ワインの方が高いだろうが」

「それはものによるんじゃないの?」

「そうだ!そうだ!」

「パチスロ1日いくらになると思ってんだ?」

「ギャンブルじゃないか。いくらでも足りませんよ

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空回りチェーン

空回りチェーン

「最大で半額!」

(ただで美味しい思いはできないものだ)

 まずは規約に目を通して申し込み用紙に記入。会員カードを作成する。それから厨房に入ると皿洗いを手伝った。社訓を暗記してマネージャーに納得してもらう。厨房の清掃が終わるとバックヤードに入って投資ビジネスについて学んだ。猫店長に挨拶を済ませてようやく本題の寿司と向き合うことができた。客になるのも楽ではない。少しつまんだくらいでは話にならない

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ドラキュラの果て

ドラキュラの果て

 昔は噛みついて自身の分身を増やすことができた。私はドラキュラ時代を振り返って鳴いた。今では吹けば飛ばされるようなちっぽけな存在に成り下がってしまった。もはや骨も筋肉も唇さえも失った。愛を叫ぶこともできないけれど、人恋しさが消えない。私は忘れた頃に現れることを習性とした。
 風に乗って道を渡り、微かな人の温もりを関知して侵入を試みた。部屋の壁にしがみついて、甘美な一瞬を夢に見た。それは遙かなる過去

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思いきやカレー屋さん

思いきやカレー屋さん

 思いきやカレー屋にメニューは1つかしない。
「カレーください」
「あいよー!」
 威勢のいい店主の声が返ってくる。
 出てきたのは本だった。
(読みなさい)
 不本意ながら運命を受け入れて読み進める。フィクションか。お気楽で気まぐれな荒唐無稽。読んでいる内にあくびが出て筋書きを見失い、気づくと真っ暗になっていた。
 
チャカチャンチャンチャン♪

 看板にメニューは1つだけ。ワンコインのカレーだ

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魔女の配送手配

魔女の配送手配

 昔々、あるところにお腹を空かせて動けない少女がいました。いざという時のために備えた缶詰もレトルト食品もなく、冷蔵庫の中はすっかり空っぽでした。あまりにお腹が空きすぎていたために、自分で外に出かけて食料を手にすることもできません。顔を洗うほどの元気もなければ、靴下を履く力さえ出ないのでした。
(私の人生はここでおしまいか……)
 少女が絶望しかけた時、天井から魔女が降ってきました。魔女は少女のスマ

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純粋なものたち

純粋なものたち

 アリクイがオオアリクイに道を譲るのをアリクイさがしはじっと見届けていた。戻りライオンがくるにしてはゆとりキツネが涼しい顔でいるのはうそつきザルの言うことだからに違いない。雨まち虫の子を哀れみ交じりの目でみていた犬待たせのお腹は少し大きかった。笑い杉につながれた悟り牛の背にはようなし鴉がくっついている。

「海まで行ってもアリクイさがしはいなかったよ」

 アリシラズがぼやいていたのはまだ夏のはじ

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おとり寿司

おとり寿司

 味のある暖簾に惹かれて私はがらがらとドアを開けた。

「へい、いらっしゃい!」
「イカ、タコ、エビください」
「ごめんなさい。売り切れです」
 出鼻をくじかれると萎えるが、気を取り直して。

「じゃあ、マグロを」
「ごめんなさい、寿司は……」
「ないの?」
「じゃあ……」

「うどんになります」
「じゃあ肉うどん」
「あいよっ!」

 私はうどんで胃袋を満たすことにした。
 可もなく不可もなし。

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