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おとり寿司

 味のある暖簾に惹かれて私はがらがらとドアを開けた。

「へい、いらっしゃい!」
「イカ、タコ、エビください」
「ごめんなさい。売り切れです」
 出鼻をくじかれると萎えるが、気を取り直して。

「じゃあ、マグロを」
「ごめんなさい、寿司は……」
「ないの?」
「じゃあ……」

「うどんになります」
「じゃあ肉うどん」
「あいよっ!」

 私はうどんで胃袋を満たすことにした。
 可もなく不可もなし。そういううどんだ。

「ごちそうさん。また来ます」
「ごめんなさいね。さっき団体が来て」
「団体?」
「そうなんです。ダンサーの」
「へーっ、あるんですね。ではまた」


 また出直して来よう。そうだ来週にでも。

「へい、いらっしゃい!」
「イカ、ハマチ、マグロください」
「ごめんなさい。売り切れです」
「じゃあ、ホタテを」
「ごめんなさい」
「じゃあ、トリガイを」

「ごめんなさい、お客さん、寿司は……」
「えーっ、今日も全滅ですか?」
「さっき大食いの人が来てね」
「大食い?」
「バンドマンで」
「バンドですか」

 バンドと言えばせいぜい5人、6人のことじゃないか。それで全部なくなるとはいったい。しかし、私は深く追及することはしなかった。これから先の長いつきあいにならないとも限らないからだ。

「それじゃあ……」
「うどんになります」
「じゃあきつねうどん」
「あいよっ!」

 可もなく不可もなし。何より私の望むものではなかった。

「ごちそうさん」
「ありがとうございます! すんませんでした」


 1ヶ月後。私は少し間を開けて藍色の暖簾を潜った。

「へい、いらっしゃい!」
「イカ、ハマチ、ウナギ」
「売り切れです」
「じゃあウニを」

「ごめんなさい、お客さん、今日寿司はもう……」
「えーっ、じゃあもう」
「あとはうどんになりますね」

「でも今日は寿司の口で来たんですよね」
 私は素直に自分の気持ちを打ち明けた。

「ほんとそこは申し訳ない」
「うどんはわるくないけど、うどんにもわるい気がするんで」
「うどんならすぐできるんですが……」

(すぐ食べられるうどんなら他にいくらもあるんだ)

「団体ですか、大食いですか、今日は」
「いやそれがさっきウーバー法人が来て根こそぎ運んで行ったもので」
「ウーバー法人? 何ですかそれは。呪われてるんですかね」

「お客さん、一度みてもらった方が……」

「いえいえ、また来ます」

「申し訳ない。お待ちしております!」

 私は何も注文せずに店を出た。
 味のある暖簾なのだが、惜しい。
 呪われているのは、私ではないのだ。


#笑えない夜に

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