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【日本ワイン ‘’酒井ワイナリー” ワイナリー情報】

2017/3/30

〒999-2211 山形県 南陽市赤湯980

奥羽本線赤湯駅からは歩いて25分程。
赤湯の昔ながらの風情ある温泉街の中に、ワイナリーはあります。

創業1892年(明治25年)
東北で最も古い歴史を持ち、"100年前の農業"に立ち戻ろうと日々の畑を考える5代目 酒井一平社長。
明治20年 当時の山形県令(県知事)三島通庸により奨励された果樹栽培に手を挙げたのが、酒井ワイナリー初代酒井弥惣氏。

意外にも山形県で江戸時代から栽培されていたという古い歴史を持つのが、山梨県中心に醸造に用いられるブドウとして知られる甲州種。
というのも、当時周辺の産業は鉱山を堀り金を採掘することで、当時得ていたのは山梨県からの人手。
その時に山梨県から一緒に持ち込まれたのが甲州ブドウの苗木。

また、赤湯の地に洋の文化を持ち込んだというのが、イギリス人"チャールズ・ヘンリー・ダラス"氏
「米沢牛」は今でこそ山形を代表するご当地でもあるが、このブランド構築のきっかけは彼が「そこら辺の牛を食べてみよう」
という発想をしたことらしく、それに合う飲み物を探していたちょうどその時、″明治7年にワインが造られた″という文献を読んだ初代弥惣氏。
ブドウから酒がつくられることを知った彼が初めてワインを醸造したのが、27歳の時。

"技術は自然を模倣する"
というのが酒井一平さんのモットー

今の農業は例えば農薬や機械など外から何か技術や原料を持ってこないとやっていけない。
けれど100年前は違った。

数年前の大震災の時。
水・電気・ガスが使用できなくなり思ったのは「ここをワイン産地と呼び、文化と言えるのか?」ということ。

昔に立ち戻りやりたいことは、徹底して自給自足をしていくこと。
ボルドー液も出来れば違うものにし、車を走らせるガソリンさえも馬を利用することでなくしていきたい。
「手段をできるだけ調達することでようやく文化、産地として成り立つのでは?」との考え。

ワイナリー周辺の畑も日本の農業の例外ではなく、高齢などによりやむおえず畑を手放してしまう契約農家さんも。
このままではここ一帯も放棄地が増えるだけでなく産地の存続危機が迫る…
と、産地を守るためにも畑は少しずつ増えているそうです。

ワインの原料が収穫されるブドウ畑は、南~東南向き。
栽培に適した山肌を開墾した5か所に点在。
麓の方は粘土質、砂まじりの土壌が、山の上の方は石ころがごろごろとしていて水はけ良好。

昼は地上から暖かい風が吹き上げ、夜は山の上から吹き降ろす冷たい空気。
盆地特性が生み出す昼夜の寒暖差が見られる。
一方で、寒さ厳しい冬の積雪に備え収穫後の仕込が終われば、ブドウの木に積もった雪の重みで棚が崩壊してしまう虞を防ぐために、冬が来る前にブドウの樹の選定をしなければならない。
厳しい産地でもある。

"肩"と名付けられた急傾斜の畑に植わるのはカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、
マスカット・ベーリーA、ベーリー・アリカントA、シラー、プティ・ヴェルド、タナなど。棚栽培で育て上げられる。
畑の栽培には、生き物の重要性と植物生理学の両方を取り入れた方法を実践。

ここの畑はそばで見ているだけで下まで転げ落ちてしまいそうであり、ここでブドウ栽培を行うことに身震いする急勾配。
素人にはそう思えるような畑ですが、ここは段々畑状に石の段で上下の移動がしやすいように工夫されている。

これを先人の努力の賜物だと感謝しながら作業をする一平さんを支えるのは、5頭の羊たち。

一切除草剤を撒かない畑の雑草を食べる役割を果たす大切なパートナー。
(7頭いた羊たちのうち昨年までに2頭を食べ、現在は5頭)
循環型の農業を実現するための一つの方式として動物が必要だった

醸造は昔ながらのこだわり。
櫂入れ棒は杉素材を使い続け、醸造所は清潔に保つが滅菌・殺菌はしない。
微生物が入る隙を作ってあげることで安定した微生物環境を保ち、そこでしか出せない味わいを造る。

熟成のセラーは明治からの土蔵。
樽は海外から寄せるが敢えて味わいごとにセレクトはせずも自然に出来上がるワインを大切にする。

ワインのシリーズ名の"バーダップ"というのは、畑の斜面全体の呼び名である鳥
上坂の英語読み(bird up)。
「鳥も上れぬ急な坂」、鳥上坂。
その坂を駆け上がるイメージとしての鳥がヤマドリ。
それがワイナリーのシンボルになっています。

土地、ワイナリーの個性を大事に表現。
機械や農薬に頼らず、羊やそこに棲む動物、微生物と共に生きるワイナリーです。

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