見出し画像

私がここで働く理由。

働くってなんだろう。
この一年、何度も考えた問いだった。

去年の夏、まだコロナのコの字もなかった頃、上京が決まった。東京に行ったらやりたいことリストも作った。23区全部行ってみたいとか、山手線に乗ってひとつひとつの駅で降りてその街を探検するとか。本当に一駅分歩けるのか試してみる、一人焼肉専門店に行く、箱根駅伝を沿道で応援する、東京オリンピックでブルーインパルスが描く五輪の雲を生で見る、なんてのもあった。やってみたいことなんていくらでも思いついた。

だけど、2月になり雲行きが怪しくなった。3月になり、なんだか胸がザワザワした。得体の知れないものと対峙しようとしていることはわかった。自ら大火災の中に飛び込んでいくような気にもなった。

だけど行くしかなかった。ずっと働いてみたかった東京の大病院だ。せっかく受かったのだからと、実際のところ少しのワクワクもあった。トップクラスの看護がどんなものなのか知れることに喜びを感じ、希望にも満ちていた。

だけど、これまで経験したことのない状況の中では、病院なんてどこも同じだったのかもしれない。どの病院もいっぱいいっぱいだった。


***


Covid-19が世界的に大流行する前だって、防護服をつけて看護することなんて往々にしてあった。真夏だとかそんなことは関係なく、防護服を着て、自分の方が息苦しくなりそうなN95マスクもキャップもアイシールドもつけて、密閉された陰圧管理室で一人、救急車で運ばれてきたホームレスの結核患者さんを受け持ったこともあった。バイタルサイン(血圧、脈拍、呼吸数、体温、酸素飽和度、意識レベル等の生命徴候)を測り、洗っても洗っても水が茶色く濁る体を全身洗い、マスク越しにもムセかえりそうになる何日洗われていなかったか分からない長い髪の毛を何度も洗いクシでとかした。排泄行為を手伝い、栄養管理を行い、自分が感染するかもしれないという恐怖がついてまわる中で看護した。

空気感染、接触感染、飛沫感染、、、医療現場にいて自分が感染するかもしれない経路なんて様々だ。採血ひとつとってもそうだ。血液は無菌的に見えても、さまざまな病原体を含んでいる可能性がある。検査をしていないだけで感染しているかもしれない健康そうな人だっているから、誰の採血をする時でも針刺し事故なんかが起きないように細心の注意を払う。アルコールで手がガサガサにならないように、ささくれが酷くならないようにケアしているのはおしゃれのためなんかじゃない。切創や傷のある皮膚や粘膜へ血液や体液が接触することにより、体内に侵入して感染の原因となる微生物は沢山いる。だからできるだけ自分自身が感染しないようにできることはやって自分を守ってきた。目に見えない敵となんて、これまでだってずっと闘い続けてきた。


Covid-19が世界的に大流行する前だって、治らない病気なんて山程あって、治療の限界を、医療の限界を痛感することは往々にしてあった。

癒着性イレウスのオペ後、心肺停止し、私が働いていた集中治療室に運ばれてきた患者さんがいた。原因検索も含め3回も再手術をしたけれど全身状態は下降する一方で、もう手術には耐えられない体になった。栄養状態も低下し、開腹した創部は閉じることなくお腹がぱっくり開いたまま集中治療室で管理することになった。

プライマリーナースとしての経験もまだ浅かった看護師2年目の私は、必死に現状に食らいつくしかなかった。毎日面会に来てくれる旦那さんのこわばった顔つきも、患者さんの不安そうな表情も、忘れられずに脳裏に焼き付いて眠れない日もあった。だけど私なんかよりも何百倍も辛いのは患者さん本人で、この先どうなるのか、いったい自分はどうなってしまうのか、不安と痛みと吐き気でどうにかなりそうな中闘病した。この患者さんのために、私は何ができるだろう。衰弱していく患者さんと日々向き合いながら、医療の限界を感じて悲しくなった。悲しいけれど、悔しいけれど、医療には、確実に限界があることを知った。



ある日、医療とは無関係の仕事をしている幼馴染みと久しぶりに会った。他愛もない会話から、友人が発した何気ない一言ではっとした。「病院が本当にやるべきことって、病気にさせないことなんじゃないの?」

私はずっと、もう病気になってしまった人を看護している気になっていた。だけどそうか、病気を治すことにばかりフォーカスを当てていると、治らない敵に打ち勝つことなんてできないじゃないか。確かに医療には限界があるかもしれなくても、看護には、限界がなかった。いのちが終わるさいごの一瞬まで、いや、いのちが燃え尽きた後だって、エンゼルケアという形で、看護だけはできる。私が今すべきことは、今生きている彼女を、これ以上、心まで病気にさせないことだ。

そう気付いてからは、窓の開閉が許されない集中治療室でも移りゆく季節を感じられるよう部屋を装飾したり、わかっているか分からない状態でも今日が何日なのか、ここがどこなのか、今なんの治療をしているのかを話し続けた。外の空気を吸えなくてもせめて窓が見えるようなベッドの向きに変えたり、旦那さんのお仕事がお休みの日には足浴や手浴を教えて一緒に行ったりした。患者さんの調子が良い日には小さな目標を決めて、ひとつずつ、達成していけるように支援した。

その都度、彼女と彼女の旦那さんの生きて家に帰るんだという強い意志に、何度も救われた。諦めちゃいけない。彼女が退院できる日が来たら、この日々を、「あんなこともあったな。こんな辛い治療も乗り越えて、今、生きているんだな」と思い返すことができるように、他の看護師にも協力してもらいながら、毎日写真つきの日記を書いた。

その裏で、彼女に携わる医師や看護師、薬剤師、リハビリスタッフ、栄養士等の医療スタッフを定期的に集めて、彼女が回復に向かうための作戦会議を行った。時には集中治療室にメーカーを呼んで、彼女に使える医療機器はないか検討したりもした。

そして、少しずつ、少しずつ、彼女が回復していくのが目に見えてわかるようになってきた。


ゴールが見えない治療がどれほど辛いか。治るかわからないことに治ると希望を持ちながら闘病することがどれほど辛いか。誰だって、頑張る先に希望や可能性があるのならば頑張れるけど、確実に治るって、確実に大丈夫って言い切れない中で頑張るのは、想像を超えて辛い。

だけど、頑張るしかない。生きるか死ぬかをつきつけられたときに、どれだけ最悪な状況でもその人が生きたいと思うのならば、生きてお家に帰れる日まで、サポートするのが私たちの仕事だ。

「みなさん、長い間お世話になりました。わがままばかり言ってごめんなさい。本当にありがとうございました」彼女がくれた手紙だ。リハビリを頑張って、文字を書けるまでになって退室の日を迎えた。本当に、長い長い153日間だった。回転が早い集中治療室の平均在日日数は1週間にも満たない。そんな中で、彼女は153日間も闘った。迷惑なんて、1ミリたりともかけていない。逆に、なんでこんなにガマン強いんだろう、なんでこんなに頑張れるんだろうと、何度も彼女を尊敬した。彼女は集中治療室を卒業し、一般病棟へ移った。

患者さんの、そんな姿をみるのが嬉しくて、こんなにも辛くて苦しい仕事を、今日まで5年も続けてこれた。

上京後、私は今、新たな目標のために今までの集中治療領域に区切りをつけ、一般病棟で働いている。血液内科の病棟だ。白血病の患者さんたちがいる、いわゆる血液のがんの病棟だ。ここにいる患者さんたちはみんな、病気のせいで免疫力が著しく低く、Covid-19どころかありとあらゆる菌、ウイルスと接することのないように闘病している。外の空気を気安く吸うこともできず、部屋の外に出ることが禁じられ、アイソレーターという透明ビニールに囲まれたベッドの中で極力過ごしている。自分が無症状で感染していた場合、患者さんと接するとどうなるかなんて考えなくてもわかる。

一年間、飲み会に一度も参加しなかった。ご飯のお誘いは極力断った。病院内でのお昼ご飯はもちろん会話禁止、新しい環境に慣れるためのコミュニケーションもとれなかった。家族とご飯を食べたのは一度だけ、おばあちゃんのお葬式で出たお弁当。彼と会えたのも何回だったろうか。地元の友達にも、会いたくて仕方がない。

今年の年末年始は、31日も1日も2日も3日も病院で働く。本音を言うと実家に帰って家族とこたつでみかんでも食べながら紅白歌合戦を観たい。もう頑張れないかもしれない。そんなふうに弱気になる日もある。

それでも頑張れるのは、世界中の研究者達が日々これまでの何倍もの総力をあげて、ものすごいスピードでワクチン開発に取り組んでくれていることをニュースを通し見ているからだ。

医療には限界があるのはみんな知っている。
だけれど心強いことに、その限界を突破して、未来の誰かが治るために日夜研究に励んでくれている人がいる。

ありがとう。私には、ワクチンの開発はできない。

ありがとう。私には、そんな開発をしている人たちの努力を取材して、正確に報道する力もない。

ありがとう。私には、それを観るためのテレビやスマホは作れない。

ありがとう。働いて疲れて帰っても、スイッチひとつで明かりが灯る。

ありがとう。病院から帰り、何がついているかわからない身体を洗い流すためのシャワーがある。水が出る。水道がつまったとしても24時間かけつけてくれる誰かがいてくれるから、安心して生活ができる。

ありがとう。食事がおいしい。

ありがとう。YouTubeやNetflixに動画をあげてくれる人たち。おかげで知り合いの少ない東京でも、ひとり爆笑する夜もある。

ありがとう。noteやTwitterを作ってくれた人達。おかげでたくさんの言葉に触れ、こうして自分と向き合えて、素敵な友達もできた。

ありがとう。すべての働いている人たち。

働くって、こうしてみんなで生きることなのかもしれない。

自分が生きるためにお金を稼ぐことが目下の目的であっても、巡り巡って、その仕事のおかげで、他の誰かが今日も生きている。

ありがとう。

私たちは今、間違いなく歴史に刻まれるこの時代を、頑張って生き抜いて、そして一生懸命に働いている。

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。