言葉を持たずに生まれてきたのに
今日、東京の街に、あたたかい雨が降った。
空はこんなにも晴れ渡っているのに、しばらくの間、ひとしきりあたたかい雨が降り続いた。
雨が上がった空には、雨と晴れの境界がなくて、それがなんだか、不穏だった。
家に帰りたくないなぁと、思うことが増えた。
家に帰りたくない。
このまま何処か遠くへ行ってしまいたい。
だけど、どこへ行けばいいのか分からない。
何処へでも行けそうな気がするのに、何処にだって行けない。
雨が降っているのに空は青く澄んでいて、皮膚にあたっているのは紛れもなく雨なのになぜか生温くて、なんだかとても、嫌な気持ちになった。
生理がくるたびに女の子は、準備万端に生成される赤ちゃんのベッドが、使い道なく流されていくことを目の当たりにする。
身体はこんなにもずっと、待っていてくれているのだと言うことに、頼んでもいないのに月に1度、現実を突き付けられる。そのたびに、子宮から剥がされていく鈍痛が伴う。
あーあ。
こんなにも丁寧につくって準備していたのに、また使われなかった。
あーあ。
そんなふうに、身体が不貞腐れて、雑に破壊されていくように感じる。
心と身体が相容れない。
ごめんね、と呟く。
まるで他人事。
身体の中にある卵子の数は決まっていて、新しいものが作られることはない。排卵される度にひとつずつ、生まれるかもしれなかった命が消えていく。
ごめんね、と呟く。
この世界の何処かに、私と結婚したい人なんて、いるのだろうか。
自分のことなのに、そんなふうに無責任に、ぼーっと考えてしまう。私自身が一番、結婚したいと、ちゃんと思えていない。
「早く結婚・出産したほうが、生物学的に歴然と上がっていく高齢出産のリスクから免れることができることは、統計から明らかなことだ。
学生時代の恋愛は予防接種みたいなもので、予防接種を打たずに病に罹患したときの重症化率は高いから、恋愛をすることについて俺は、何もとやかく言わない。高校時代は好き勝手学んで、恋愛の予防接種を打っておいた方がいい。」
その先生が教えてくれる生物学の授業は、毎回とても面白いものだった。未だ当時のレジュメをとってあるくらいに「自分が想像つかないもののその先を学ぶ」楽しさを教えてくれたのは、あの授業だった。
先生の授業はいつも、根底に、命についての教えがあった。それはどれも、机上の空論では終わらないものばかりだった。
上京前夜。先生に電話をして、「明日から、東京行くんだ!」って言った時、呆れたような声でこんなことを言われた。
「お前は突拍子もないようなところへ向かって急に走り出すようなやつじゃない。意外と臆病で、意外と思慮深い。だから、ちゃんと考えてそうするって決めたんだろうとは思う。思うからこそ、25歳で東京に出ていくリスクを忘れるなよ。
仕事にのめりこんだり、仕事以外のことが楽しくて仕方がなくなって、結婚とか子供とかを別にいいやって思うときが来たとしても、授業で教えた通り、生物学的に高齢出産はお前自身の身体に負担をかける。子供を生みたいと考えるのであれば、人生の中で、人を好きになることのできる心の余裕を、いつでも忘れないで持っておけよ。
お前はもう、いつでも命を授かる可能性のある身体なんだっていうことを自覚して、自分自身を、大切にしろよ。」
新型コロナ感染者が30人くらい出始めたと言われた当時の東京の病院に、火の中へ飛び込んでいくようにして転職した私が弱音を吐く前に、こんな言葉をくれたのも、先生だった。
「だからこそ、必要な人間になれ!」
そうやって、送り出してくれた。
私は、あの時から変わらずに今もずっと、ただ、誰かにとっての“必要”になるために、命を燃やしている。仕事として、の“必要”であっても。
「出世前診断についてどう考えるか。この問題を考える時、一言では言えない葛藤がある。自分の良心の間で、きっと様々な感情が揺れ動くはずだから。」
誰とでも友達になれそうなフリをして、最後の一枚の心の扉だけは絶対に開かないようにして自分を守ってしまう私が、東京ではじめて、心をゆるして話ができる友達ができた。
その友達が、こんなことを言っていた。
「この問題を考える時にまず最初に来る感情は、命を選別するようなことはしたくないということ。親として育てる覚悟っていうのは、どんな我が子が生まれるにしたって愛情を注ぐことだと思うから。そして、子供が産まれるってたぶん奇跡だ。障害の有無だけで両親が生死を決めていいわけないって思うし、障害などの特徴を超越するのが「生きる」ってことだと思う。
ただ、現実は現実だ。そもそも、自分や奥さんは、その子を育てられるくらいの年齢なのか。流産を繰り返してたり、親戚に障害をもった人がいて奥さんが不安になっているかもしれない。そんな状況下で「命の選別なんてしたくない」という正論を振りかざしてなんになるんだろう。
子供を産む女性だからこその思いや考えもあるだろう。相手への配慮を欠いた正論は人を傷つける(心に負った傷は一生消えないこともある)。もし染色体異常などがわかったとしても、考えるべきことは山ほどある。そもそも、その確率はどの程度妥当なのか。経済的負担はどの程度になるのか。仕事は辞めければいけないのか。転職しなければいけないのか。それが好きな仕事だったら辞める、あるいは時短勤務になったりすることに本当に納得できるのか。
一言で「出生前診断したい」「したくない」とスタンスが明確なほうがカッコいいのかもしれないけど、自分にはそんなスッパリと結論を出すことができない。
でも、「自分たちで話し合ったよね」と奥さんとの間で互いに納得していることが大事なのかなと思う。男はどう逆立ちしたって子供を産むことはできない。診断をする際の不安や診断結果をもらった後の葛藤は、女性だからこそのものもあるだろう。奥さんの考えに耳を傾けて、俺はこう思うとちゃんとコミュニケーションすることがたぶん大事だ。
医療技術が発展しても、人の心がそれに追いつくか、追いつくべきかは別問題だと思う。あと、そもそも最近出産を経験した人に話を聞いたことがほとんどない。最新の出生前診断の内容等についてもほとんど知らない。だからもっと自分には勉強が必要なんだ。命と向き合うことってそんなに軽くないから。」
そんな風に私に話をしてくれたこの友達は、医療関係者じゃない。それなのに、こんなふうにして会話の中で、自分の気持ちを展開することができるのは、本当に、日々、あらゆることを、考えようと、向き合おうとしていることの証のように思えた。
すごいな。
尊敬した。
歳の変わらない友達と、こんなふうに、バカ真面目な話を夜通しすることはこれまでになかったから、驚きのような、楽しさのような、そんな感覚があって、いつか思い出したくなった時にちゃんと思い出せるように、noteの下書きに放り込んでおいた。
この友達に、こんな話をしたら、なんて返してくれるだろう。そう思うくらい、返答がいつも突拍子もなくて、面白かった。
「どうして休みの日にも、娯楽のためでなく、知識をためるための本を読んだり、勉強をしたりをしていられるの?」
そんな風に聞いてみたら、「なんていうか、自分らが金魚だとしてさ、泳いでる水槽の中がオレンジジュースに変わってたら嫌じゃん」と、当たり前のように返された。
恐らく、この友達の中では腑に落ちた話なんだろうけれど、聞いた方の私の理解力じゃ到底及ばず、正直、何を言っているんだか、さっぱり分からなかった。
分からなさすぎたから、さっきの話の続きに話をすり替えて、「女の人は実際に子供を産みおとすわけだから、自分の子って実感が湧きやすいのは割と必然だと思うんだけど、男の人ってどうやって自分の子だなぁって実感していくんだろうね」って問うてみると、唐突に、「ゴリラはさぁ」って話始めたから、笑った。
折角、私の何気ない問いかけに対しても、ゴリラを例に出して教えてくれていたはずなのに、その答えがなんだったのか、忘れた。
ペラペラ、いろんなことを、よく話す人だと思った。
ゴリラが、なんだっけ。
ただただ笑えて、なんにも、覚えてないや。
その友達は、すぐに涙を流す印象があった。
映画みて泣く。ドラマでも泣く。ただの短編アニメですら泣く。正直、私にはどこが泣きどころだったのか分からないようなところで心を揺さぶられて「あれ、泣いちゃったんだよなぁ」って笑って言う。
そういうところが、羨ましかった。
私は、いつから泣けなくなったんだろうって、同時に思ったから。
だけど多分、今、その友達は、忙しくしていて、今の私よりも、もしかしたら、感動して泣くとかの機会が、減っているのかもしれない。
この友達には、ずっと何かについて、ぺらぺら喋っていてほしい。(?)それを聞いていたい。
私たちはあと、幾つまで生きるのか分からない。
1年後、あるいは10年後、何をしているのかも分からない。
言葉を持たずに生まれてきたのに、こんなにも言葉を持って、ありったけの言葉を尽くしている理由はなんなんだ。
いつの日か、なんの気無しに喋っていたはずの言葉なんて、自分は忘れていても、誰かの中に残り続けていることがあって、それをある時、ふと思い出すことがあって、そんな時、私はやっぱり、言葉があってよかったなと、不甲斐ないけれど思い出す。
言葉なんて持たずに生まれてきたのに、生きてきた数だけ、会話した数だけ、読み込んだ数だけ、見聞きした数だけ、その人の中に、あらゆる言葉が溢れていく。
考えることって大切で、誰かと話をすることって大切で、それを残しておきたいと思ったときに、ちゃんと残しておけることってきっととても難しいけれど本当は、いつか、なにかのためにとても大切で、だから、だから、分からないけれど、書いておきたいと思った。
だからどうした、っていう、とりとめのない散文だ。
それでも、書いておこうと思った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。