見出し画像

老いること、生きること

村の神社の門松

アメリカ、ブラジル、上海と仕事で回り故郷にI-TURNし早いもので7年経過。そして故郷の介護施設の仕事と出会う。親の死に目にも会えなかったロベルトには皮肉な巡り合わせだ。ただ母が少しだけ世話になっていたので、どんな場所でどんな生活をしていたのか知りたくもあり、恐る恐るだが介護の世界を見てみたかった。そんな邪悪な好奇心はまだ残っていたようだ。

早いことに介護の仕事も5年がアッとゆう間に過ぎ、いまでは介護のベテラン、きずいたらロベルトも71歳になっている。老いの真っただ中を走っていることを忘れていた。

大事なものを失いかけている。あんなに世界を飛び回って、知らない街を見つけては旅していた情熱が、こだわりが、好奇心がうすれてゆく。ペンギンやエミューのように、羽はあるのに”飛べない鳥”になっている。????そんな自分が怖く、そう思う自分が情けなくなる。

これが老化かな??

コロナと戦争の影が漂うが世界に旅する気持ちになれなかった。おかげで ”尻に根がはえたよう”に体が動かない、動けない、動きたくない。そんな毎日だ。そのうち飛べない鳥の羽も退化し醜い姿になっていくのだろう。

これが老化かな??

コロナで利用者は”初詣”もできない。そんな利用者は自分たちで鳥居を作り新年を祝ったようだ。

利用者のいない介護サービスの部屋で新年の飾りつけを見つめている。利用者のほとんどは何らかの不自由と闘っている。支援が必要な人たちだ。そんな利用者が、たとえ介護のマニュアルどうり仕上げた”書初め”は力作ぞろいだ。

迎春、正月、初夢、新雪、初空。
老いることを止めることはできない。生きることはかならずとまる。人のいない施設の正月。”元気で体にだけは気を付けて働けよ”と、旅立ちを見送ってくれた両親の言葉が聞こえてくる。遠い遠い昔の話だ。

さて、ここから75歳の壁。やらなきゃならないこのと山ほどある。羽がなくともロベルトは飛べるはずだ。(2023年1月)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?