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NYと下北沢から表現をひらいていく。yosemicが目指す世界とは?|yosemic・植田 響&福田捷太郎|下北沢と人vol.2

下北沢らしさってなんだろう。下北沢に住んでる人、活動している人、そんな下北沢で生を刻んでいる人たちの話を聞きまわりながら下北沢「らしさ」を探っていく連載になります。第二回目は2019年にNYで結成し、2020年から活動拠点をNYに加え下北沢にも構えたアーティスト集団yosemicの主要メンバーである、表現者の植田響さんと、yosemicの活動を表現者とは違う視点から支える福田捷太郎さんにお話を伺いました。なぜ、日本での活動拠点を下北沢にしたのか。音楽、写真、パフォーマンスとジャンルを絞らない彼らにとって表現とは何か。

初めてアートに触れた地・NY

ー まずはお二人の出会いから教えてください。

植田響(以下、植田)2018年の夏に『U25』というNYの日本人コミュニティで出会ったんです。参加者が20歳前後と若い中で、24、25歳は僕らだけだったので、自然と二人で話す機会が多くなって、友達になりました。僕がyosemic設立計画の話をしたら捷太郎(福田)がその活動を応援したいと言ってくれたんです。yosemicは、U25を作った美術史専攻のTaitoとロックギタリストのKotaroと一緒に、楽しいことをしたいと話をしたのが結成の始まりでした。

yosemicの詳しい創立の軌跡はこちら▼


ー 福田さんがyosemicをサポートしようと思ったのはなぜですか?

福田捷太郎(以下、福田)それまではずっと会社勤めをしていて、仕事に明け暮れていたんです。NYってなんだかんだ厳しい世界なので、僕がいた会社も10人中3人が半年の試用期間後に残ればいい方。成果が出せないとすぐクビになっちゃうんです。数字に追われる世界は嫌いではなかったし、幸いにも最年少でマネージャーになれたんですけど、このままずっとこの業界で働くのもどうなのかなと考え始めていて。そんな時、自分と全く違う業界にいる響(植田)がおもしろいことをやると聞いて、興味を持ちました。自分と全然違う世界のことを知りたいなと思って。

ー 普段からアートや音楽に触れていたんですか?

福田 全く縁がなかったです。

植田 よく興味を持ったよね。

福田 なんでだろうね。あ、でもNYにいなかったら芸術や表現に対して興味を持たなかったかもしれないですね。2016年の社会人1年目の時に、僕とアメリカ人3人でルームシェアをしていたんですが、僕以外の3人がみんなアーティストだったんです。1人がNYUの大学院に通っていたピアニストで、2人目がPratt InstituteというNYではかなり有名な美大のdrawing専攻のアーティスト。3人目が建築で有名なCooper Union卒業生の彫刻家。当時は、みんなが和気あいあいと自分の好きなことをやって生活をしている中で、僕だけが朝早くに家を出て夜中に帰る生活を送っていました。生きているのか死んでいるのかわからないとよく言われていましたね。忙しいことが自分の業界では普通だったし、仕事は好きだったんですけど、芸術や自分の好きなことでお金を稼ぎながら、NYでイキイキと暮らしている人を目の当たりにしたのが、アートに興味を持ったきっかけかもしれないですね。

植田 NYならではの展開だね。

NYで受けた表現の洗礼

ー 植田さんは小さい頃から音楽をやっていたんですか?

植田 そうですね。クラシックピアノから始めて、ジャズに出会って音大まで行きました。そのあと、せっかくジャズを勉強したならジャズの本場と言われているNYに行きたいなと、渡米しました。でも、最初は英語を喋れなかったので不安しかなかったです。TOEFLも本当に点数が取れなくて。大学を受験していたら50点は取れると聞いていたんですけど、最初に取ったのが14点で(笑)。危機感を覚えて、頑張って勉強した2回目も27点。それでこの点数だったら、勉強するのをやめてアメリカに行っちゃった方が早いと、すぐ行動に移しました。そこから最初の1年間は語学学校、その後の2年間は大学院に行って、最後の1年は音楽活動をして日本に帰ってきました。

ー 英語は喋れるようになったんですか?

植田 ぶっちゃけ喋れるようになってはいないんですけど、ある程度音楽がよければNYのバーやカフェでセッションができると思って、途中でTOEFLの勉強をやめました。大学院への入学も、必須条件の曲を準備しては教授から入学許可が下りるよう何回も直談判しました(笑)。

ー 自分が否定されるんじゃないかと、怖くなかったんですか?

植田 否定されまくりだったんで、すごくダークな時期がありました。僕、渡米前は結構うまいなと自信を持っていたんですけど、NYに行ったら全然うまくないことを痛感して。僕が3時間続けるときついなと思うピアノの練習も、僕より全然技能があるやつが朝から晩までずっと弾きっぱなしで練習するんです。才能も技術も時間も全てが上回ってる人がゴロゴロいることを目の前で思い知らされて。それでアメリカにきた意味とか音楽やる意味を考え始めてたんです。僕から音楽がなくなっちゃうと生きてる意味もなくなっちゃうんで、結構キツかったですね。

ー それでも音楽を続けられているのはなぜですか?

植田 yosemicがきっかけです。発起人の1人のKotaroが寛大な心の持ち主で、「表現の価値とか、技術の差なんかどうでもいい」と言うんです。yosemic初期の頃、僕はちゃんと時間を費やして技術レベルを上げた人と初心者とを、同じステージに立たせるのに反対していたんです。練習した人へのリスペクトがないと思っていたので。僕は培ったものの違いで線引きをしていたんだけど、彼は「表現っていう枠組みでは一緒なんだから、全員が同じステージに立てるのはいいことじゃん。表現は素晴らしい。それだけでいいじゃん」と。彼と一緒に活動していくうちに、費やしたものの素晴らしさだけが人を感動させるんじゃないな、と気づかされたんです。仕事がもらえないとか、人と比べて下手くそだとかは関係なくて。家族に一言「響の曲いいよ」と言われたり、自分の価値基準さえあればそれでハッピーじゃんと、僕自身もその考えに助けられました。

yosemicも彼の思想がベースに反映されています。たぶん彼自身もいろいろ悩んで、行き着いた考えで。たまに行き詰まることもあるんでしょうけど、yosemicはみんなで背中を押し合いながら、支え合える場所になったらいいなと。ある意味、馴れ合いのように感じるかもしれないんですけど、そうじゃなくて、一緒に次へ進めるような仲間になったらいいなと思っています。

ーその考えは素敵ですね。 Kotaroさんはどんな方なんですか?

福田 Kotaroは大阪出身で、灘中学校・灘高等学校を出ていて。灘って卒業したらみんな京大か東大に行って、クラスの3分の1は医者になって、3分の1は政府機関に勤めて、3分の1は年収1千万円を稼ぐようになる学校なんです。だけど、彼は高校卒業とともにロックギタリストになってアメリカに行った変人なんですよ。響と同じでおもしろくて、人格者でもあるし頭もいい。赤いロン毛の変なやつで、「THEアーティスト」タイプ。一方で僕は、常に頭でお金の計算をしているようなビジネスタイプ(笑)。そしてみんなをしっかり後押ししてくれる響と、主要メンバー3人のバランスが成り立っているから、yosemicはうまく活動できています。

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下北沢とNYに通ずる、良質なカオス


ー 日本に戻られたきっかけはなんだったんですか?

福田 コロナですね。芸術関係は特に活動の収縮が厳しくて、当時のコアメンバー10人のうち7人は、アメリカにいたいけど残れないという状況でした。そのメンバーたちが日本に戻ったのがきっかけです。

ー なぜ活動拠点として下北沢を選んだんですか?

福田 下北沢とNYは似ていると思うんです。yosemic内の話し合いで「良質なカオス」という言葉が出てきたことがあって。NYにはお金持ちの人もいれば、ホームレスもいる。そういうのも全部ひっくるめて、NYは魅力的な街だなと思います。バックグラウンドも考えも、何もかも違う人たちが混在しているにもかかわらず、それらが刺激しあって一つのカラフルな場所を作り、いいカオスが生まれている。「カオス」と聞くといいイメージがなかったりしますけど、本当は「いいカオス」と「悪いカオス」があると思うんです。東京を見渡したときに、「良質なカオス」という言葉が一番合う街が下北沢なんじゃないかな。

ー 下北沢の良質なカオスはどこから生まれていると思いますか?

福田 個人的にその街の歴史を深掘るのが好きなんですが、下北沢はもともと畑や農村だったのが、下北沢駅ができて発展した街らしいんです。本多劇場の本多さんが一番大きなきっかけとなって、表現や舞台に関係する施設ができた。その傍ら、娯楽で人が集まることで商業もすごく増えて街が賑わってくる。あくまでもビジネスからではなく、表現や娯楽からスタートしたところが良質なカオスを生んでいる気がします。

ー 他の街と違う、下北沢の魅力はありますか?

福田 せっかくだから日本でも活動しようと話をした時に、ライブハウスが多い吉祥寺やモダンアートが盛んな渋谷・六本木も可能性としてあがっていたんです。その中で下北沢になったのは、ぶっちゃけ近かったのも理由の一つで。僕は小田急線の経堂生まれ経堂育ちなので下北沢にはそもそもゆかりがある。

植田 僕も井の頭線久我山生まれ久我山育ちなんです。

福田 なので、自然と下北沢になりました。I LOVE 下北沢を謳ってるし(笑)。ニューヨーカーもNYのことが大好きだし、そこに住む人がその街をすごく好きなのは、いいことじゃないですか。そういうところも似ているなと。下北沢で活動していると、夢を目指している人との出会いも多いので、人との繋がりもできやすい街だと感じました。なので当分は、NYと下北沢の二刀流で活動する方針です。

植田 下北沢には新参者も入れる受け皿がある気がします。下北沢、吉祥寺、渋谷で箱を探していた時に、下北沢を歩いていたら、劇場もあるし、ライブバーもたくさんあるし、若い世代の人たちもいるし、外国の人もちらほらいて。何か夢を抱いたり、チャレンジしに来ている人間が多いところが魅力なんじゃないかなあ。そういう人への応援を楽しんでいる人もいる。やっぱりエネルギーがある人が、たくさんいる街なんじゃないですかね。

ー NYや下北沢と、街が表現に影響を及ぼすことはありますか?

植田 ありますね。やっぱり人かな? 僕は人と一緒に演奏するので、アグレッシブな人がいる街とそうでない街では、音楽のレベルも楽しさも、何もかもが変わってきます。NYや下北沢は表現に興味を持って生きている人が大勢いるので、芸術をアウトプットしやすい。且つ、インプットしやすいサイクルができている気がしています。

福田 僕は表現者ではないので、側から見ている感想ですけど、「多様性」という言葉が一番しっくりくるんじゃないかな。NYには本当にいろんな人種がいたり、貧富の差や年齢層にも幅がある中で、表現そのものより、表現を通して何を伝えたいかをすごく大事にしていると思うんです。僕らが目指していることは、その多様性をちゃんとシステムの中に入れること。難しい言葉で言えばdiversity and inclusion。年齢や国籍関係なく、エコシステムの循環に多様な人を入れる。NYでは多様性という言葉が既にキーワードとしてありますし、それを伝える表現方法が多い街だ思うんです。下北沢にも、そんな人がいるんじゃないかなと感じています。

植田 表現にはすでに多様性が含まれているような気もするな。表現においてはみんな平等というか。NYのカフェでオープンマイクをやっていた時に、準備して作ったものを持ってきた奴もいれば、すごくフランクにマイクを手にする人もいたんです。中には、コーヒーを飲んでいたらなんかやってるじゃん、とステージに立ち寄ってトランプ政権への苛立ちを喋るだけ喋って帰った人もいたんです。そんな風景を見て「これだよ!」と思いました。きちんと作られたものと、そうでないものでは全く違う表現に見えるかもしれないんですけど、自分の意思を訴えるという点では同じ表現なんです。

ー みんながフラットに表現できる場所を作っていきたいんですか?

植田 yosemicでは僕たちが大事にしている、自分・相手・場所の3つにちゃんとリスペクトを持とうという前提があるんです。すごく簡単にいうと自分を大事にする、人を殴らない、使った場所を汚さない、とか。それを度外視する表現はよくない。ただ、この3つのリスペクトさえあれば、表現は誰にとっても平等なものだと思うんです。それを気づかせてくれた、あのマイクパフォーマンスはすごくおもしろかったし、勢いがあったな。「俺言っていい?」とうずうずしながらマイクを借りて、ガーっと喋るだけ喋って、「ありがと!じゃあ!」と帰って行ったんです(笑)。

ー スッキリしたんですね(笑)

植田 そう(笑)。 それも表現だなと。それでもいいかと思って(笑)。表現は、日頃から表現について追求している人がするべきという、昔の自分の考えを覆されました。

福田 表現はこうあるべきという発想自体が違うんだよね。

植田 もちろん上手い奴らの表現はすごいなと思う。技術があれば表現できる幅が広くなるし。だけど、技量関係なく誰でも表現していいんだよね。

ー yosemicのイベントでは、いろいろなアートとパフォーマンスを楽しむことができますよね。

植田 この前、ロバート下北沢を借りて開催したイベント『さらけだし』も、本当にいろんなジャンルの表現者に集まってもらったんです。僕自身、このイベントで社交ダンスを生でほぼ初めて見て。ダンスを見る機会ってなかなかないじゃないすか。なのでイベントは、アーティストにとってもいろんな表現に触れることができる、意味のある場所なんです。違う刺激をたくさんもらえるし、一緒に作品も作れる。そこに、イベントの可能性を感じています。僕がやっているジャズも、ロックやポップスに比べればニッチだと言える。Apple Musicでわざわざジャズなんて聞かないだろうし、お金を払う人もほとんどいないような音楽ジャンル。だから、関わったり聞いてくれる人が増えるような、表現のジャンルを限定しないイベントはすごく意味があるんじゃないかな。

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いろいろな表現に触れられたyosemicによる『さらけだし』の様子はこちら▼

自由に表現できる空間と文化づくり


ー 非表現者の福田さんがいることによって、yosemicにどんな影響をもたらしますか?

植田 今まで表現活動に全く触れたことがなかった人が、興味を持ってくれたのは大きな一歩でした。表現は世界がよくなるきっかけになるものだと、僕は思っているんです。表現をしろと押し付けるつもりは全然なくて。ただ、一歩踏み込んで、その表現を感受しておもしろがってくれるだけで嬉しい。表現を通してキャッチボールしているような感覚なので、この人ってこういう風に表現するんだと受けとめると、相手への理解につながる。そうやって相手のことを考えていくと、いろんな人間や、僕たちが住んでいる地球に対しての、思いやりのマインドも増える気がするんです。おもしろそうと思ってくれた捷太郎がそれを証明してくれた。yosemicの場だけでも、いい世界をつくるきっかけになれたら光栄ですね。

ー yosemicのスローガンがまさに"表現を通して、自分と他者の存在の価値を認められる世界を” ですよね。

福田 今はそれで落ち着いているんですけど、他にもっといい言い方があれば変えたいなと思っていて(笑)。自分たちのやりたいことを言葉に表すと、今はそれです。

植田 一度yosemicのイベントに来てもらったり、表現に触れたりしてくれた人たちだったら、共感してもらえる内容なんです。だけど、そうじゃない人たちからしたら、「はて、これは一体?」となっちゃう。言葉で伝えるのには限界があるから、yosemicに来るきっかけや表現に触れる機会を増やすことが近道かな。イベント風景をインスタライブで配信しているのも、広げていきたいから。好き勝手表現している人が常にいられるような空間を自分たちで持って、輪を広げて行けるようになりたいですね。

ー ロバート下北沢もそういう場所を目指しています。いろんな人が集まって話していくうちに、何かが生まれたらいいなと思っていて。だからyosemicさんたちが、ロバート下北沢にいらっしゃることはすごく心強いです。

福田 ありがとうございます(笑)。下北沢でyosemicのミーティングができる場所を2人で探していた中で、ロバートさんに決めたのも、ロバートさんが新しかったというのもあって。これから、一緒に切磋琢磨していく関係性を築けるんじゃないかという期待がありました。それに、ロバートさんが掲げるコンセプト「あそびながら働く」「働きながらあそぶ」を見た時に、NYの頃に遊びを真剣に定義する話をしたことを思い出して。

植田 遊びってめちゃくちゃ深いぞという話をしたんだよね。yosemicの4~5人で公園に集まって話していると、Kotaroがタモリの名言『真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!』という言葉を出してきて。仕事じゃなくて遊びの方が大事なんだから、仕事なんか適当でよくて、遊びなんだから真剣にやれよって。公園の遊具なんて、考え尽くされた遊びの結晶じゃないですか。人の動線も考えられているし、お金がなくても子どもたちが大はしゃぎで遊べる。yosemicでもこういう空間を作りたいと思いました。

福田 よくビジネスの世界では、「努力は夢中に勝てない」って言うじゃないですか。まさにその通りですよね。仕事柄いろんな会社を見てきたんですけど、仕事を遊びだと思っている人の方が遥かに強いんです。成果もちゃんと出ているし、そういう意味で遊びは最強。遊びながら仕事できる人は本当に強いです。

ー これからyosemicは、どうなっていきたいですか?

植田 イベントを開いても、アーティストやスタッフにまでお金を回すのが結構大変で。だけどフラットに立ち寄れるようなイベントにして、表現に触れるハードルを低くしたいので、チケット代を高くするのも僕としては嫌で。表現者って表現したいだけなので、本当はお金周りのことなんて考えたくない。自分を売り込んだりお金を生むことを考える時間を練習に回したい奴らなんです。『さらけだし』ではチケットを安くして、アーティストに対して感動した分のチップをもらえるようにしたんです。そうしたら想像以上にチップを入れてくれる人が多くて、可能性を感じました。

福田 アーティストがどう稼げるようにするのかは、yosemicの一番大きな課題だと感じています。表現者は自分の創作活動に専念するべきだと思うし、それ以外の人たちがアートを社会的価値にするのが責務だと、僕は思っていて。どうやってアーティストが表現だけで生きていけるようにするかが、僕の中の永遠のテーマです。『さらけだし』も、感動した分だけお金が生まれるシステム作りの、大きな一歩でした。NYだったらチップだけで生活している人がザラにいるので。

植田 毎日路上で演奏しているだけで、生きていけるんですよ。NYだったら。

福田 そういう場所を作ることは、文化を作ることとほぼ同じ。1日2日でできることではもちろんなくて、数年とか数十年のスパンで考えています。NYと下北沢でやっているのも、表現という観点でお互いの文化のいいところを取り入れつつ、日本から海外に出たいっていう人たちのサポートも、ゆくゆくはできたらなと思っているからです。

植田「yosemicにフラッと立ち寄って、演奏したら夜飯を食べられる」みたいな場所になれたら最高ですね。


合同会社yosemic(ヨセマイク)
ニューヨークで結成されたアーティストとクリエイターの集団。
今では仲間が20人程まで増え、2020年から活動拠点をニューヨークに加え下北沢にも設けた。
福田捷太郎 ・ふくだしょうたろう
SF CONSULTING NY, LLCのCEO、RecursionのCFOでCS(コンピューターサイエンス)を教えるWebサービスを手がける中、yosemicの共同代表として表現者のサポートをする。落語(Rakugo) Association of Americaの理事を務める。
植田響・うえだひびき
ジャズピアニスト兼、作曲家。yosemicの発起人の1人であり、今は副代表として日本のイベントや表現活動を担う。洗足音大を卒業後、2016年にNYに渡米しQueens College 修士課程を修了。代表作: ジャズ「Inner Thoughts」/ 映像音楽: Google Play Gaming Week OP 楽曲、JT Ploom Tech Plus Web CM など

(取材:李生美・新野瑞貴 構成:李生美 文章/写真:新野瑞貴)

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