安達ロベルト

Share the inspiration of life. サウンドアートとビジュアルアートの統合アーティスト。創造性スペシャリスト。リコーGRシリーズのカタログ写真等を担当。写真、水彩画をギャラリーで販売。アルバム「Eclipse」発売中。マインドフルハンドパン奏者。上智大卒

安達ロベルト

Share the inspiration of life. サウンドアートとビジュアルアートの統合アーティスト。創造性スペシャリスト。リコーGRシリーズのカタログ写真等を担当。写真、水彩画をギャラリーで販売。アルバム「Eclipse」発売中。マインドフルハンドパン奏者。上智大卒

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言語化が大切なたったひとつの理由

駆け出しの頃、尊敬する先輩写真家に言われた。 「考えすぎると撮れなくなるよ。」 私が頻繁にブログで写真に関する考察を書いていたからだろう。「言葉で考えるな、感じろ」ということだと理解した。 たしかに瞬間を捉えるスナップ写真には思考がじゃまをすることがある。私は先輩の言葉にささやかな反発を覚えながらも、それは自分のプライドがそう思わせているのだと考え直し、思考をできる限りやめ、心の動きに従って撮るように自分を仕向けた。 その後、デジタルカメラ、さらにはスマートフォンが普

    • 20年前のこの出来事以来、人物スナップを撮れなくなった

      写真を志したばかりのころ、まっさきに興味を持ったのが人物スナップだった。主にストリート。木村伊兵衛、カルティエ=ブレッソン、牛腸茂雄、ドアノー、森山大道、上田義彦と、貪るように写真を見て、感化された。 被写体だけでなく、フィルム感度が ASA 10とも25ともいわれていた時代の木村伊兵衛さんのカラーや、上田義彦さんのコントラストの低いモノクロのトーンにも憧れた。 ライカM6とリコーGR21を持ってはじめて行った海外、ラオスでは、人物スナップばかりした。次に行った香港でもそ

      • 想像の斜め上に連れていってくれるハードウェア

        弦楽器の響きが好きだ。自分では弾けないけれど、ヴァイオリン、チェロなどを使った曲をこれまでたくさん書いてきた。 作曲を志すとき、音楽にまったくネットワークがなかった自分が、全方位の知り合いをつたってようやく師匠にたどりついたように、弦楽器奏者を探すときも、ありとあらゆる人をつたって、ようやく信頼のおける奏者に出会った。その後しばらくはずっと、自曲はほぼほぼピアノと弦楽器を使ったものばかりだった。 理由は、弦の響きがが好きだったことに加え、アカデミックな音楽に興味があったこ

        • 元禄2年のカルティエ=ブレッソン

          ある日、こんな妄想が脳裏に浮かんだ。 もしかしたら松尾芭蕉は、我々がカメラでスナップショットを撮る感覚で俳句を詠んでいたのではないだろうか。 五月雨をあつめて早し最上川 荒海や佐渡によこたふ天の河 多くの写真家が旅に出て写真を撮りたいと思っている。私もそうだ。ネット通販のほしいものリストのように、行きたいところリストがいつもある。べつにいま住んでいるところでも写真は撮れるし、そのほうが他の人には撮れないものが撮れるという話もあるが、旅先で撮るときの高揚感が好きなのだろ

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        言語化が大切なたったひとつの理由

          豊かに個性的に表現するために大切なふたつのこと

          いまとなってはどこに行ったかわからないが、若い頃に「ゴーヤチャンプルー」というエッセイを書いた。 あるとき、ゴーヤチャンプルーが食べたくなった。想像上のレシピでつくったところ、沖縄のそれの味にはならず、故郷の田舎料理のような味になった。作曲でもそうで、ジャズをやろうとしたらジャズではなく慣れ親しんできた音楽みたいな響きになった、それが個性だ、みたいな文だったと記憶している。 たしかに、演歌歌手がビートルズを歌ってもなんとなく演歌に聞こえるし、武満徹さんがコテコテのバタくさ

          豊かに個性的に表現するために大切なふたつのこと

          飽和する写真表現だが、これがあるからおもしろい

          写真を仕事、そして表現としてやっていると、正直、近年の飽和状態に絶望する。 デジタルカメラより前にはまだブルーオーシャンだった写真表現のマーケットは、今日ではブラディレッドオーシャンだ。2000年代初頭に高額だった写真作品もどんどん値下がりしている。 極端な話、もう写真の新しい表現の可能性なんて、新しい彗星の軌道を見つける可能性くらい低いんじゃないかとか思わないわけでもない。 来年の個展開催が決まっていて、それに向けて少しずつ準備をしている過程でいろんなプランが浮かぶが

          飽和する写真表現だが、これがあるからおもしろい

          プノンペン、そういう流れ、静かな雨

          「プノンペンに来たんだからぜったい行くべき。行こう、カフェのあとに。」 先日、20年ぶりに会ったダラヴィが、ランチをしたプノンペンの中心部にある洒落たカンボジア料理のレストランを出て、ブラウンコーヒーというカンボジア資本のこれまた洒落たエスプレッソベースのカフェに向かう途中、レクサスを運転しながら言った。 「夕方やりたいことがあるから、もしフェリーの発着場までそのあと送ってもらえるなら。」私は言った。今回の旅ではプノンペンの中心地からフェリーで渡った先にあるメコンに浮かぶ

          プノンペン、そういう流れ、静かな雨

          人生は旅。その逆もまた真なり。旅は人生を表す。

          今朝突然、上記タイトルの言葉が降りてきた。毎朝短い詩(的なもの)を1つ書く日課をつづけて3ヶ月。今朝もコーヒーを一口二口飲み、さあ何を書こうと考えた。そのときに降りてきたフレーズだ。 30代前半で写真を始めて以来、旅の目的のほとんどが写真になった。それまでの旅には持っていかなかったカメラを2、3台も持っていくようになり、まったくといっていいほど興味のなかった観光地にも行くようになり、誰かと言葉や心を交わすことや何かを経験したりすること以上に写真を撮ることに熱中するようになっ

          人生は旅。その逆もまた真なり。旅は人生を表す。

          おまえは人真似ばかりでいいのか

          中学生のときから料理をしている。弁当から始まり、高校時代のアメリカ生活、日本の大学生活での自炊を経て、独身時代、結婚してからもほぼ毎日料理している。ベテランだ。 だが、長い間ずっと美味いものをつくれずにいた。自分の料理を例に挙げ「必ずしもなにかを長くつづけたからといってそれが上手くなるとは限らない」と、継続は力なりはケースバイケースということの論拠に使っていたほどだ。だって何十年と継続しても上達しなかったのだから。 ところが近年になって、人から料理がおいしいと言われるよう

          おまえは人真似ばかりでいいのか

          過去の自分と今の自分からこんな手紙が届いた

          先月、アトリエにしている新潟の実家に行ったとき、ふと思い立って探した場所から、10代でアメリカに住んでいたころに撮ったビデオテープが出てきた。120分の8ミリビデオ6本。 なくしていたと思っていたから、見つけたときはうれしかった。住んでいた地域では当時、ビデオカメラはもちろん、フィルムカメラさえ所有している人が限られていた。そんな時代の映像だ。 映像をデジタル化したい。しかも動画編集ソフトで編集したいから、DVDとかブルーレイにしてもらうんじゃなくて、MP4のデータにした

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          視覚で考える人々

          周囲の親しい人は、思考、認識、問題処理、表現などにおいて、いくつかのタイプに分かれる。 ひとつめは、言葉に長けているタイプ。言葉がよどみなく出てきて、話し合いでも常に先頭に立って意見する。若い頃にやった外務省や総務省、文部省がらみの仕事のときも、そこで会ったエリート官僚の多くがそういう人たちだった。とにかく頭が切れる。息子が小学校に入ってから接することが増えた学校の先生方の多くもそのタイプだ。 ふたつめは、身体能力に長けているタイプ。若い頃コンテンポラリーダンスの曲をよく

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          アーティストにとって「原風景」がもつ意味

          むかしから写真作品が「暗い」とからかわれる。 あるカメラメーカーでお世話になった人が、かつて新製品に±2段の露出補正(撮るときに写真を明るくしたり暗くしたりできる機能)を入れることを会議で通すとき上司に「-2段補正なんて使う人いるのか」と訊かれた際に「はい、安達ロベルトという写真家が使います」と答えて無事通ったと教えてくれた。 息子が低学年のときパスポート申請窓口で、私が撮った息子の証明写真を手渡すと、職員の女性がしばらくそれを見ながら「写真が暗いですね。受理されない可能

          アーティストにとって「原風景」がもつ意味

          ナイル川でバタフライ(6)〜セレブ体験?

          前回まで (1)〜以前の私にとって、旅とは純粋に体験だった (2)〜出発 (3)〜思いがけず、バンコク (4)〜エジプト到着 (5)〜バクシーシ ルクソールで一泊し、翌日ルクソールとアスワンの間にある街(名前は失念。サッカラだったかな)に途中下車した。当時はガイドブックにもほとんど載っていなかった。遺跡もそれほど多くないので、さくっと降りてさくっと見て旅のつづきをしようと思っていた。 駅に到着した。ここでもまたバクシーシの群れが押し寄せるのだろうと覚悟を決めて外に出た。す

          ナイル川でバタフライ(6)〜セレブ体験?

          そのとき、「しらける」とはどういうことかを知った

          2000年代前半のことである。山梨の高原にあるレコーディングスタジオで、ある歌手のアルバムのレコーディングを泊まり込みでやっていた。私はすべての曲のアレンジとピアノ演奏を担当した。 レコーディングも大詰めのある朝、我々ミュージシャンたちは予定よりも早くスタジオに入った。 レースのカーテン越しに高原の朝日だけが入る薄暗い、だが澄んだ雰囲氣のスタジオで、誰からともなくその日レコーディングする予定の曲を弾きはじめた。 1人、また1人とミュージシャンが加わった。全員が音の輪に入

          そのとき、「しらける」とはどういうことかを知った

          AI時代に求められる知性のかたち

          中3の息子の友だちが高校受験を終え、毎日のように我が家に入れ替わり立ち替わり遊びに来る。多い日は5名くらい来て、ここのところ週5ペースで彼らの夕食をつくっている。さながら「子ども食堂」だ。 「うま!」「ロベルトさんのつくるご飯おいしいです」と言ってくれるものだから、調子に乗って(乗らされて)つくっている。 料理をしながら彼らを観察していると、本当に個性があっておもしろいと思う。 有名私立に合格した者から不登校で出席日数が足りずなかなかいい結果を得られない者まで、要領のい

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          雪を愛する韓国人と、雪を嫌う新潟県人

          文学でもドラマでも映画でも、韓国の人々は雪を愛している。 「冬のソナタ」でも、ユジンとチュンサンの重要なシーンに雪がある。映画でもロマンティックな感情の象徴として雪が使われることも多い。 初雪はとくに重要だ。 私の知る限り、韓国語の「처음」は、日本語の「はじめて」よりもずっと特別であり、ずっとロマンティックに響く。だから韓国でその年はじめての雪、つまり初雪は、格別にロマンティックなのだ。初雪が降った日、人々はよろこび、恋人たちが微笑む。 一方、故郷の新潟では、初雪が降

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