想像の斜め上に連れていってくれるハードウェア
弦楽器の響きが好きだ。自分では弾けないけれど、ヴァイオリン、チェロなどを使った曲をこれまでたくさん書いてきた。
作曲を志すとき、音楽にまったくネットワークがなかった自分が、全方位の知り合いをつたってようやく師匠にたどりついたように、弦楽器奏者を探すときも、ありとあらゆる人をつたって、ようやく信頼のおける奏者に出会った。その後しばらくはずっと、自曲はほぼほぼピアノと弦楽器を使ったものばかりだった。
理由は、弦の響きがが好きだったことに加え、アカデミックな音楽に興味があったこと、録音に頼らず楽譜で表現することの普遍性に興味があったことだった。
お金がかからないのも、若い私には魅力だった。クラシックの作曲なら、つまるところ、五線紙と鉛筆さえあればできる。
一方で、電子音楽へのあこがれはずっとあった。
小学生のときに知ったモーグシンセサイザー、渡米直前に信濃川で聴いた冨田勲さん演奏の「惑星」、アメリカの友人が教えてくれたジャン・ミシェル・ジャー、そしてYMOなどに、若いハートは揺さぶられつづけた。
そのあこがれは作曲を始めてからも継続した。シンセサイザーに囲まれて演奏する姿を幾度となく想像した。だが、自分のアイデンティティはクラシックの響きにあるはずと、弦とピアノにこだわって作曲をつづけた。
あるとき、ZOOMという日本メーカーが、当時の私でも入手可能な金額でサンプラーを出したので、それを手に入れた。
ローランドのSP-404の廉価版といえるそれは、いま思えば非常に限られたスペックしかなかった。だが、その制限のなかでできることを探るうちに、いろんな音ができあがった。
容量に制限があったから、ビット数を下げざるを得なかった。すると、いまでいうところのビットリダクションの効いたローファイサウンドになった。当時の「がんばってもそれしか出せない」音が、いまでは「わざわざ出す音」になっている。
また、ビット数を下げた音をめいっぱい引き伸ばし、フィルターをかけると、元の音からは想像がつかない、いまでいうアンビエントドローンになった。
当時いっしょにやっていたコンテンポラリーダンスの振付家、増子浩介さんがそれらを聴いて言った。これだけでアルバムつくれるんじゃないですか、と。
だが、再びクラシック楽器の響きを追い求める日はつづき、電子音だけ、ノイズばかりのアルバムをつくることはなかった。
DAWの登場で、パソコンのなかで音の編集をするようになり、そのハードウェア・サンプラーの出番はまったくなくなった。
時は流れ、2016年、たまたま「題名のない音楽会」を観た。テレビを所有しないので、実家に帰ったときくらいしかテレビを観ない。地元の祭りのために帰省したとき、ジェフ・ミルズがTR-909をオーケストラといっしょに弾いていた。
衝撃だった。ハウスの基音となる909のキックとクラップ、ハイハットが、宇宙人のような風貌で洒落た服を着た紳士の巧みな指さばきによってオーケストラをリードしているのだ。
そこから電子音楽への旅が始まった。しばらくは寝ても覚めてもドラムマシン、シンセサイザー、サンプラーなどのことを考え、調べ、学んだ。まだシンセサイザーに囲まれたスタジオは実現していないが、自分の鳴らしたい音を実現するために少しずつハードウェアも増えている(正確にいえば、増えたり減ったりしている)。
その過程で手に入れたこれ。手に入れてからしばらくたつのに、ほとんど触れずにいた。なにしろ世界じゅうのみんながむずかしいむずかしいというシロモノなので、ビビって音を出せずにいたのだ。しかし、覚悟(というほどのものではないが)を決め、触りはじめている。
かつて、ハードウェアの制限が思いもしない方向に音を導いてくれたように、このマシンもまた、私のちっぽけな想像力の斜め上に連れてってくれることをワクワクして期待しながら、日々学んでいる。
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