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021「北極星」

 黒い仏壇のなかに、しろくかわいた、一粒の米が落ちている。暗い扉のなかで、ぼんやりと浮かびあがってみえる。それは、本当は米ではなく、青白い金平糖で、祖母の家を訪れていたひとりの少年が、たわむれに置いておいたものだった。少年は、山へ虫を取りにでかけ、大きな滝壺に落ちて死んだ。遺体は最後まで見つからず、祖母は孤独のまま、つつましい葬式が執りおこなわれる。青白い金平糖は、その時とまったく変わらない位置にある。

 無数の災害に見舞われた年だった。この年に死んだものは、不可解にも、少年ばかりだった。あらゆる少年の死を、あらゆる祖母が飲みくださなければならなかった。悲しむ祖母、怒り狂う祖母、首を吊ろうとした祖母も、鴉のように、笑う祖母もいた。陶芸に適したなめらかな粘土を、両手に抱えたまま、燃えさかる窯の奥をじっと見つめていたのは、孫と息子たちをすべて失った祖母だった。

 ひらかれた目と口ばかりの夏が、音もなく過ぎていった。一台の鉄道が、薔薇の花びらを路線に撒いた。祖母は、帰ってこなかった。

 どんぐりの通貨は失われ、滝壺の奥で、ふくれあがった少年の死体が浮かびあがり、また、深く暗黒の雲のなかへ沈んでゆく。年月は、滔々と過ぎてゆく。森が失われ、街が滅び、また森のようなものが生まれはじめる。森のなかには、苔むした仏壇があり、変わらない位置に、青白い金平糖がある。最後の島の、最後の森で、最大の苦痛を、一粒の金平糖が、背負わなければならないのだ。誰も、それを救うことはできない。

 少年が、金平糖を口に放り込んでいる。油蝉の鳴き声が、祖母の家に響いている。少年は学校よりも、戦争に行くことを夢見ている。裸電球だけが吊るされた天井に、小さな桜の木が見えることを、彼だけが知っている。




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