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068「燃える老婆の小景」

 轆轤をまわしていた老婆が、ふいに粘土と、雲海のように溶けあって、一塊のおおきな粘土質の物体に変化する。回転体はひとりでに整形されてゆき、ひとつの歪みのない丼が立ちあがってゆく。


 老婆は、3人の孫がおり、3人とも歌をよく歌った。その早朝、二番目の孫が酒に酔って、川に落ちて死んだことを、ついに、誰も知ることはない。漁港の街で、死んだ孫は、まもなく海中へ運ばれ、海底の泥の中に消えていった。老婆は、黙ったまま、孫の死体のかたちがきわめて明瞭に思いうかぶみずからの脳髄の信号を察知した。老婆の轆轤は、数十年来の縁につながれて、老婆と、ほとんど同化し、すばらしくなめらかに動いた。轆轤と粘土には、老婆の神経がめぐり、糸で切りはなすことをくりかえして、無数の老婆の分身が産みだされていったのだ。


 信じがたいほどの快晴がひろがっている。街の路面の温度が上昇してゆく。それは、首尾一貫している。老婆は、使い慣れた窯のなかで、その身をぎりぎりとかたく焦してゆく。ちいさな煙突からたちのぼる夜のような煙を、死ななかったふたりの孫の名にすり替える。やがて素焼きを終えた丼は、暗褐色の水盆のようにもおもえる。水爆実験の日に、正義や秩序を重んじる人々が、ひとつの山を砂漠にしたことを思いだしたことを最後に、老婆の思考は、糸を切ったように消失した。


 死んだ孫は、歌を最後に思い浮かべた。それは、姉が幼いころに歌っていた流行歌で、もう題名も思いだせない、ひどく、悲しい失恋の、陳腐な歌だ。だが姉は、いつでも、その流行歌を、家族らの前で、楽しげに歌って見せていたのだ。

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