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081「人参」

 花瓶のような寝室で、電球を割った夜は、しんしんと、笛の響く、痛ましい、祭りの夜だ。主催者が、老人の集団から、大酒飲みの若い男に変わり、年に一度しかない祭りのはずなのに、もう何ヶ月も繰りかえし開催されている。あらゆる家は、踊りのための太鼓と称して、はげしく殴打される。もはや一切は、誰にも、予測できないのだ。祭りによって、わたしたちは、櫓を組み、笑いつづけなければならなくなる。


 林檎の香りのする虫が、よく、階段の手すりに、とまっている。雑然とした、影ばかりのしめった廊下だ。ふいに、火星よりも冷たい風が、足のあいだを吹きすぎる。次から次へと、昔のことを忘れてゆく。ひどい音をたてて、玄関の地球儀がまわる。何年か前に、弟が置いていったものだったはずである。模様は、ほとんどかすれて、いくつかの国名は、すでに、存在しない。実家が古物商なのだという隣人に見せると、おそらく二十年代ごろの品だろう、とだけ言った。冷蔵庫には、即席のハンバーグがひとつある。それを消化しなければならない、そんな、虚像のような日がくるのだろうか? そうなれば、わたしにはいよいよ、地球儀ひとつしか残らない。耳のない女が、板張りの床に転がっている。腹に桐の箱がひとつ、のせられているほかは、なにも、身につけていない。雲のように、箱は、上下にゆれている……地球儀は、徐々に、加速する。雀の声が、比例して、大きくなってゆく。首に、雨粒の灼熱を感じながら、わたしは、窓に、泥のついた人参をこすりつけている。

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