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098「魔境の春」

 火山の麓の村で、呉服屋を見つける日は、人々の消える、静かな春の日だ。紺色の反物ばかりがならぶ、せまい店の奥で、白髪の男が、ちいさな盤を弄んでいる。どこで見かけたこともない、銀色の盤に、畳針のようなものが、林のように、群れをなして立っている。呉服屋の窓から、葬列が見える。ふるい活気の香りが、黒ずんだ壁や床に染みている。


 魔境と呼ばれる村で、わたしの両親が生まれたのだということを、羊皮紙の手紙が、知らせたのだ。無名の科学雑誌によれば、まもなく、噴火にのまれ、村は燃えつきるという。蕎麦ばかりが育てられ、夜這いの風習が残るという、その村だ。火を崇め、秋には、家を焼く祭が、ひらかれるという。焼死は、名誉であり、溺死は、愚かな死因であると、今も考えられているという。


 銀の針を、男の針のそばに刺す。子孫の繁栄を模した遊びであるという。いちども、わたしは、白髪の男に勝つことができない。風が凪いでゆく。反物が、海のようにひるがえり、山桜が散ってゆく。わたしは気づく。葬列が、わたしの遺骸を運んでいるということに。家に火をつけた母は、居間にもどり、羊羹を切り分け、かじっている。不幸でも、幸福でもなかった私たちは、誰ともなく、心中することとなり、常識のように、燃えてゆくことを受けいれたのだ。針の群れは、液体のような盤に溶けこんでゆく。


 虚構の呉服屋で、ふいに、一生を終えている春がある。あらゆる家に、呉服屋の看板がかかげられ、火山の麓の村は、いよいよ、海のような反物に、飲みこまれてゆくばかりだ。色を失ったおびただしい桜の花弁が、山頂から、成層圏まで吹きあがり、父母の海にふりそそいでゆくのを、窓から、静かに眺めている。何度でも、燃えてゆく一家を、何度でも、わたしは、殺しつづけるために帰郷する。

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