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ニホンノフツウ

(これは1年前くらいに書いた文章な気がする。)

押し殺してきた願望は、いつか爆発する。

なんだか、私の勘違いなのかもしれないけれど、

高校生まで、もしくは就職するまでの日本の家庭で育った子供って、願望や欲望、感情を押し殺す場面が多すぎないかと思った。

就職活動であなたの個性はなんですかと聞かれるけれど、それはただ定番化した質問で、いかにも興味があるように見せかけている。でも実際は個性を聞いたところで、採用側は何かに生かしているのか?一読するかメモして終わっていないか?

頑張って自己分析を何ヶ月もやったり、何回も履歴書を添削してもらったり、たくさんの会社にエントリーしたり、そういうことが日本の就職活動だ。努力とストレスの積み重ねであり、ああ頑張ったと言いたくなるような期間だと思う。

でも、それは就職するための「レール」であって、常識と慣習に塗り固められている。あまり有意義な時間とは言えない。だったら、最後の学生期間に世界旅行でも日本旅行でも、インターンでも、留学でもした方が個性をもっと豊かにできるのではないかと思う。確かに企業から個性は求められないけれど、人生は個性の積み重ねであるから、確実に必要だ。いつか仕事上にも個性が求められる企業が増えたらと思う。

小学校のときは、ただひたすら外で遊ぶのが好きな、純粋な子供だった。

中学生になって人間関係の大変さを知った。

高校生になって、力を抜くことを学んだ。

専門学校に入って、周りとの熱量、同年代の人たちとの楽しみ方や遊び、興味がちがうことに気づいた。

そして今、卒業していわゆる社会人7ヶ月目、やっと自由になれた。小学校からの夢だ。早く大人になりたいと思っていた。

だが、今は小学生に戻りたいと思っている。自由だけれど自由ではない。周りの「常識」や「普通」、「お金」に縛られているからだ。

中学2年生のとき、ある先生のおかげで30点を取るような英語が大好きになった。それからは洋楽や海外の文化に夢中だった。そして留学したいと思うようになった。高校では年に何回か、留学しませんかという内容の紙1枚を配られるようになった。初めて配られたときは、行きたい!と強く思った。持ち帰って親に話した。でも取り合ってもらえなかった。原因はお金。2回目に配られたときは、持ち帰って見える場所に置いてみた。でもすぐに捨てられた。3回目は学校のゴミ箱に捨てた。

塾には勝手に通わせたのに、留学はダメなのか。私の願望だって聞いてほしかった。妹も、弟も塾に通わされた。みんなすぐ辞めた。

実際、家でも頻繁にお金の話をする。進学先、今まで通った10年間のピアノのレッスン料のこと、幼少期の苦労、など。

もう私はお金の話にうんざりだ。お金で何かを諦めたくない。特に経験だ。何か高級品を買ってと頼んだことはない。その歳でしか経験できないことを、私は得たかった。もし子供が欲しくなったら、そのときの収入に見合った人数にすると決めた。諦めることのないよう、自由に生きていけるように。

こういう問題は、家庭には多いのだろうか。収入や考え方の違いにもよるけれど、もっと子供が受けたい教育を制限なく受けられる国になってほしい。義務教育のときには敷かれたレールをただ通ってきたが、もっと多様性を受け入れ、個性を生かした教育があればと思う。

今まで我慢してきたものや、まだ叶っていないことが多すぎて、忍耐力も計画性もない性格から、仕事をすぐやめた。20歳にして爆発したのだ。将来のために、というより私は今日どれだけ満足できるかをポリシーにしている。

学校を卒業して、当たり前のように就職をする。それが大多数。私もその当たり前にしたがって生きてみたが、合わなかった。それが世間から見るとすぐ辞めるダメなやつ、とかニートとか、そういう立ち位置になる。それはそれで何を言われても構わないけれど、毎日自分の欲望からわざと目を背けて、お金のために心と体を痛めつけながら仕事をする人のことが心配だ。人それぞれ事情はあるから、仕方がないけれど。本当にそれでおじいちゃん、おばあちゃんになっていいの?70歳の誕生日を、もう70歳だ!あっという間だったな〜まだまだ楽しむぞ!と迎えられる?

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