虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #11
久しぶりの更新になる、待ってた方々はごめんなさいね。
中学三年生になった、その頃にはタバコを吸うのもすかっり板についていた
元旦の初日の出を見ながら「今年こそ変われますように、苦しみが消えますように」と願った記憶がある
風向きが少し変わってきた
フリースクールさえスリッパを置いて逃げ帰った俺も少しづつ「ふれあい学級」というものに行くようになっていた
中学の中にあるのだが、そもそも有名でないし、保健室登校さえも不可能な、いや保健室に行けば他の雑多で無神経な生徒に会うのだからますます無理なのだが
名前こそ気に入らないが行ってみることにした
同じように不登校な人間がほんの少しと
足が悪いがとてもやさしい女性の教師がそこにはいた、仮に小野田先生としておこう
勉強も無理強いはされなかった、どれだけ苦しかったかを少しづつ話した
たまに将棋やオセロ、トランプなどをしながら
ひたすら褒めてくれた、こちらがどれだけ否定しても、小野田先生は俺を肯定し続けた
「もう普通の段階ではない」と判断されたのだろう、まずはほんの小さな自己肯定感だけでも持たせようとしてくれていたのが今ならわかる
けれど自分がネグレクトを受けている自覚も無かったのでやせっぽちで昼食は全てカップ麺だという話を当たり前のようにすると
母に連絡が行ったようだ
ちゃんと料理を作ってあげて下さい、と言う事で自宅の昼食には小さなおにぎりと、卵焼きが二つウインナーが二つ付くようになった
囚人食と弁当の内容をまぜたようなラインナップだな、と今更ながら思った。
中学の総まとめに入る前にその他書きこぼしたことを書いていこうと思う
弟たち、特に次男は「生きる価値なし」とよく俺に言っていたが
名前は裕福な志と書いて裕志、ユウシという名前だった
俺が父と母の虐待を一身に受けたために自分だけ安全に、そして障害になることも無かった愚弟だが
その「生きる価値なし」という言葉を無意識に俺が現在では使っていることがあり、決まってその時の記憶がないのである
解離症状、複雑性PTSDによる健忘の様だが
あの忌まわしい家の長男は実質は次男だった
弟を引き連れ、なつかせ、兄をいないものとしたのだから
三男以外の全てに虐待され、考えれば一家総出での虐待だった
中学2年の時、林間学校とでも言うのか名称は忘れたが
ここで行かなければきっと後々、後悔する、全部逃げた人間になってしまうと思い
とてつもなく嫌だったけれど這うようにして参加したが
フリークだらけの中学校は「アイツ、普段は学校来てないのに調子に乗ってる」
と、てんで的外れで想像力のない凡俗な生徒は言っていたらしい
他の生徒の反応も俺を毛嫌いしているものばかりだった、一年間通っていないから話したこともないのに本当にこいつらには知能があるんだろうか
アルミホイルの粉末と火薬を混ぜてテルミット反応を起こすか、硝酸を輸入してグリセリンと混ぜて学校を爆破するか少し悩むほどだった
そして喫煙者だったため三日間の禁煙は厳しく、ニコチンガムをもっていったのだが
煙草も念のため持っていていた、そして夜、見える範囲で一番ひと気が無い所で一服し、部屋に戻るため外を歩いていると
別部屋の生徒を注意している担任教師に窓越しに見つかってしまった
そして説教が始まり「楽しい楽しいだけじゃいけんのんじゃけえ」
と言われたがこの学校そのものが苦痛以外の何ものでもないし
この旅行は不愉快のカタマリでしかなかったのにわざわざ出席してやった人間の気持ちを、なぜくみ取れない人モドキしかいないんだ?
そうあきれ果てた。
さて、中学三年に話を戻すと小野田先生のお陰でほんの少しづつ元気を取り戻したが
結局の原因である家族を取り除けていないのだから焼け石に水と言ったところだった
卒業も近く、俺はひとまず普通科の高校と同じ内容で、高校卒業と同等の資格を得られる専門学校への進学に向けて軽い試験勉強を始めた
試験の為の勉強な範囲は限られるため、それほど難しくはなかった
合間にあった卒業アルバムの写真を撮るの本当に苦虫を嚙み潰す思いで撮影した
二枚ほど撮らなけばならなかったが
「笑って!」とカメラマンに言われるので「なぜ最低の肥溜めで一つも良い事が無かった学校に笑顔で媚びてやらなければいけないのか」
ハラワタが煮えくりかえりそうだった、きっと酷くゆがんだ顔が撮れただろう
卒業式には出席した、それも逃げないためだったのと、小学校が同じ友人の顔を立てるためだった
母が昔言っていた「周りが泣いているとき、きっとあんただけ笑っとる」
あのセリフは現実になった
周囲は学校への思い出だかなんだか、下らない思いがあるため泣いていたが俺は「気持ちわりい…」と嘲笑していた
帰ってすぐしおりだの卒業アルバムは苦笑いしながら原型がなくなるまで踏みつけつづけ
猫の糞と生ごみ用のゴミ箱に捨てた
だがちょっと惜しいことをしたな、と思う、取っておけば中学生の同級生の個人情報を反社会的なあれこれに売ることができたのに、お金がもったいなかった。
散々書いてきたが晴れて自由の身!
俺には客観的に見て外見や思考の深さなど、アドバンテージがあることは自覚していた
眼鏡をはずしコンタクトにする、美容やファッションに気を遣えば様々な可能性があるに違いないと自負し、希望はあった
なぜ希望を捨てなかったかと言うと
おかしいからだ
理不尽すぎるからだ
説明がつかないからだ
帳尻が合わない
ここで終わるわけがない、さすがに世界はそこまで俺が思うほどアンバランスではないとどこかで確信していた
案の定、高校一年の5月に恋人ができた、仮にミキとしておこう
その後9年も付き合う事になる
眼鏡もやめた、ファッションにも気を使った、道行く人の身なりを観察し
「あれいいな、靴とシャツ」そう思うと脳内で手持ちの服で合わせてみて
似たものを探して安く購入した
恋人を得ていつも受け入れ、褒められ、過去の苦痛を全て聞いてもらい
めきめきと自信がついて行った、いつも一重だった目はパッチリと二重に開くようになり
ため息をつく癖も消えた
ああ、人間は生きているうちに地獄にも、天国にいくんだな
そう思った
快進撃と、青春の始まりだ。
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