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香港・深圳旅行201905

2019.04.27-05.06
全日空(ビジネスクラス)


天皇即位の10連休は日本脱出

5月のゴールデンウイーク、2019年は通常の休みに加えて、天皇の代替わりに伴う休みが加わって、全部で10連休になる。

そうした特別な連休だからだろう、航空運賃も値上がりしている。エコノミークラスの料金が値上がりしてビジネスクラスに近づいていて、エコノミークラスとビジネスクラスで料金が3万円ぐらいしか違わない状態となっていた。それならばと、ビジネスクラスを予約した。

1日目 (2019.04.27) 香港への移動日

朝からちょっとしたトラブル。中央線快速電車が、新宿駅手前で防護無線を受信したとかで緊急停車してしまった。発報元は東海道本線の列車らしい…。直接関係のないところの列車に抑止かけられていることにいらだつ。間もなく復旧はしたが、乗り換えるはずだった京成線は既に行ってしまっていて、次の電車は30分待ち。成田空港に到着した時には出発時刻から1時間を切っていた。
国際線でこのタイミングはちょっと焦ってしまうが、今回は何と言ってもビジネスクラスである。[専用カウンター]でチェックインして、[優先レーン]で保安検査場を通るという優遇を受けることができる。10連休初日という混雑のピークでも、成田空港の地下駅到着から、出国まで、この間20分で済んでしまった。そして慌ただしいながらもラウンジに立ち寄って朝食を口にして、ついでだからビールも飲もうかなという余裕まであった。ビジネスクラスならではの待遇を存分に利用する。hasslefreeというやつだ。
このスムーズさを一度覚えてしまうと、もう元には戻れないかも。

ビジネスクラスの機内食。高知の銘菓「かんざし」が付いていた。

飛行機の中からは日本各地の風景を見ることができた。

ホテルは九龍の尖沙咀に取ってある。香港の中でも一、二を争う繁華街だ。

宿の近くの小さな食堂に入って夕食。この時、衝撃的な出会いをしたのが「香港スープ」。写真のように、生煮えのトウモロコシ、冬瓜、牛骨が入ったスープだ。徐々にこれが一番オリジナルな形で、様々なアレンジがされているのがわかっていくのだが。

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2日目 (2019.04.28)スターフェリーで香港島へ

朝8時を少し過ぎて、起きる。香港での連休が今日から始まる。本当はもっとわくわくしてもいいのだが、天気は曇り、どよんとしていていまいち元気が出ない。ホテルの部屋は、隣のビルが迫っていて眺望があるんだかないんだかという感じで、これまたテンションが上がらない。でもクリケット場が見えているのは良い。イギリスの植民地の名残りを感じて、香港にいるんだなという実感がわいてくる。

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初日ということと、せっかく尖沙咀に泊まっているので、今日はのんびり九龍を散策してみよう。香港島へ渡るフェリーにも乗ってみたい。

ホテル近くの茶餐廰と呼ばれる地場のレストランで朝食を採る。

九龍の観光地へ。金色のブタは香港では幸福のシンボルだ。

香港島に渡って、元監獄だった建物を整備した大館に行ってみることにする。大館までは麓から観光客用のエスカレーターが伸びているが、行きは、坂道を登っていくことにする。狭い通りには雑貨屋が並んでいてにぎやかだ。

元監獄だった建物を整備した大館

16時半、まだ明るいのに宿に帰ってぐだぐだする。ビールのつまみは、ホテルの近くの弁当屋みたいなところ(飯+麺+飲み物+ハンバーガーみたいなのも出来ちゃうなんでも屋)でハンバーガー(チーズ追加)HKD20 をテイクアウト。オーダーすると鉄板の上で調理してくれるスタイルで、すごく美味しかった。時々、あの時の味を思い出してまた食べに行きたいなと思うくらいだ。

3日目 (2019.04.29)城門ダムから九龍水庫へ

天気予報によると今日は晴れ。週間予報ではあまり天気がすぐれず、貴重な晴れ間を活かして新界にトレッキングに行ってこようと思う。

お昼ごはん用にセブンイレブンに立ち寄っておにぎりとお茶を買う。日本と(ほぼ)同じものが手に入るのは良い。

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城門ダムから第二次世界大戦時、イギリスが香港防衛のために新界の山嶺に築いた防衛線(Gin Drinkers Line/醉酒灣防線)の跡を散策しながら九龍水塘に抜ける。
九龍水塘は一度来たことがあるので、途中から見覚えのある景色になる。

Gin Drinkers Lineは太平洋戦争の戦跡だ。
昭和6年(1931年)日本が満州事変を起こしたのを見た香港のイギリス軍は、日本は中国国内での軍事行動をいとわないとみて、中国との国境線の防衛強化を決定する。イギリスが見通した通り昭和12年、日本は日中戦争を起こして中国を侵攻することになるのだが、そうした日本軍の行動を想定して構築された香港の防衛線がGin Drinkers Lineだ。
ジン飲み線とは、秘匿のためかどうか知らないが、あるいはたまたま司令官がジン好きだったのかもしれないが、なんともふざけた命名だ。

昭和16年(1941年)12月8日、日本はアメリカ・イギリスに対して戦争を布告し、真珠湾攻撃と同時にイギリス領香港に対しても軍事行動を取った。日中戦争で昭和13年(1938年)に広州を攻略していた日本軍は、イギリスが想定していた通りに中国側から香港へ侵攻を始めた。
日本軍は当初の作戦要領では4週間での香港攻略を目論んでいたが、実際には3日後の12月11日にはGin Drinkers Lineの要所を押さえて無力化し、12月13日までには九龍半島全域を占領した。侵攻開始から17日後の12月25日には香港島も陥落し、香港全体を手中に収めた。

「若林隊占領」の文字が刻まれた甬道の壁。
若林隊とは若林東一中尉が率いた第10中隊のことで、日本軍がGin Drinkers Lineを攻撃した際に独断専行で部隊を進めてイギリス陣地を奪取するという戦果を挙げた。独断専行ではあったが、この戦果によって日本軍の進撃速度が速まったという功績の方が上回って、最終的には「斥候中の挺進奪取」という形で決着が付けられた。結果の良し悪しは別として現場の独走を統制できない旧日本軍らしいエピソードでもある。若林中尉には感状も授けられた。
この文字は、一番乗りを誇示する目的で刻まれたものだろうか。

4日目 (2019.04.30)雨の香港

天気予報通り朝から雨。それでも諦めが悪く船湾ダム(大美督ダム/大尾篤ダム)へ行こうと新界の大埔墟 Tai Po Marketまでやって来たけれども、土砂降りの雨。とりあえず時間を潰そうと、駅のフードコートに入って朝ご飯を探す。ちまきを買って中を開けてみると、手羽先とかソーセージとか入っててなかなか美味しい。
フードコート付近ではwifiがつながるので降雨レーダーを見てみると、線状の降雨帯にはまっているようで、当分雨は止みそうにない。一旦撤退しよう。

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九龍に戻る列車を待つ間も、雨はどんどん激しくなる。列車が水飛沫を上げながら入ってきた。

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雨で予定変更。
とは言え、狭い香港の中、移動しても移動しても雨が追いかけてくる感じ。降雨レーダーには雨雲が波状になって押し寄せてきている様子が表示されている。一度油塘に行ってみるけど、雨に変わりはない。
こういう時は屋内で時間を過ごせるところということで博物館や美術館に行ったりするのが定石だが、タイミング悪いことに今日は火曜日で香港の博物館は軒並み休館日。行く当てもなくなってホテル近くの近くまで戻って(文字通り振り出しに戻る)、見つけたスターバックスに入ってまったりネットするぐらいしかやることがない。あ、ストローが紙だ。
この後どうしたのか、記憶も記録もないのだが、もしかしたら一度ホテルの部屋に戻ったのかもしれないし、そのままスタバで時間を潰したのかもしれない。10日間も日程があれば1日ぐらい無為に過ごしても良い気がするが、まさにただぼーっと雨が上がるのを待っていた。

午後になってようやく晴れてきた。とくに当てもなく、香港理工大学のザハの建物「ジョッキー・クラブ・イノベーション・タワー Jockey Club Innovation Tower」、九龍城跡、界限街 Boundary Street を回る。

夕食はホテル近くの茶餐廰で。
梅菜扣肉飯というのを頼んだら、どんぶりで出てくるのを想像していたら、平皿で出てきた。これはこれで新鮮。

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水餃子を頼んだらでっかいのが出てきた。何事も想像を上回ってくる店だった。

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食後に香港名物のサクサクエッグタルト。美味しいのだけれどもサクサクの生地がパラパラと落ちてしまうので、路上で立ち食いするのが良いかも。

夕食後はホテルに戻って、テレビで天皇退位の特番をやっていたので見る。広東語はわからないが、字幕を読み取りながら、日本のことなのである程度の察しを付けながら見る。
香港のテレビ局が東京・皇居前から生中継をする力の入れ様だ。午後行なわれたという退位礼の映像を流しながら、退位して上皇になること、退位礼正殿の儀は内閣の承認による国事行為であること、退位の規定がない日本国憲法との整合性、「代表皇権」の三種の神器、前例のない10連休まで、徹底解説していた。
字幕に「持続30多年”平成時代”落下帷幕」と出ている。30余年続いた平成時代が幕を降ろすということで、意味が取れる。

特番エンディングの曲はRADWIMPSの『なんでもないや』。アニメ映画『君の名は。』の主題歌だった曲で、なじみがある曲だが、香港でも「日本と言えばこの曲」というほどヒットしていたのだなというのもなんとなくわかる。
歌詞の「あと少しだけでいい、もう少しだけくっついていようか」のところで字幕に「一點點」と出ている。「い~でんでん」の響きがかわいい。
香港は日本よりも1時間遅れているので、日本が5月1日になって令和を迎えた瞬間も、まだ前日の23時。あまり実感がわかない。天皇の代替わりに合わせて固関使が派遣されていたとしたら今頃空港も閉鎖されて入国できなくなっているんだろうなと、海外にいる状況ならではの妄想をしたりする。

5日目 (2019.05.01)砲台めぐりをしてから深圳へ

令和になった。昨日の夜はずっと退位・即位関連のテレビを見ていたのに、香港にいるせいか特段の感慨はない。
それよりも今日から中国の労働節(メーデー)の連休が始まる。中国人観光客が大挙して香港にもやってくるわけで、そうしたことを見込んでホテル代が急騰している。今泊まっているホテルも1泊1万円以上の値付けをしている。ホテルは尖沙咀にあって確かに立地は良いが、古ぼけていて、部屋の壁にはタバコの臭いも染み付いている。需要で値段が決まるのは仕方ないが、1万円もする部屋ではない。
それであればと、今日と明日は深圳に宿を取ることにした。

午前中は砲台めぐり

深圳へは午後から向かうとして、午前中は砲台めぐりに充てることにする。
油塘から魔鬼山砲台 Old Devil’s Peak Battery

魔鬼山砲台からさらに東側へ進むと、そこは将軍澳(將軍澳)華人永遠墳場という華人系の墓地になっていた。山の麓から上まで、斜面一面が墓地になっている。実はこの墓地と油塘駅を結ぶシャトルバスがあるのを知っていて、帰りは墓地からバスに乗って戻ろうと思う。

午後は、魔鬼山砲台と対になって鯉魚門海峡を守っている香港島側の西湾砲台跡 Old Sai Wan Battery に行く。地下鉄(MTR)の筲箕湾駅から坂道を歩いて登る。
ここは砲台のために拓かれた道路が当時の雰囲気をよく残していて、日本の長崎県佐世保市で見た砲台跡とよく似ているところがあった。

本当は、海に面している香港海防博物館 Hong Kong Museum of Coastal Defence (ここにも砲台跡がある)に行きたかったのだが、そこは改修中で閉館中だったため、今日の探索はこれで切り上げる。

深圳へ脱出

ホテルに戻って荷物をピックアップして、深圳へ脱出する。

香港の宿代が高いのがきっかけではあったが、元々、日程が10日もあればマカオや深圳への小旅行、あるいは高速鉄道に乗って広州日帰りもできるかな、とか思っていたところはある。

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それで、深圳で予約したのはシャングリラホテル。こちらも1泊1万円するけれども、中国の祝日に合わせて価格を吊り上げた香港の安宿に同じお金を払うよりも断然良い。
ホテルの場所は深圳駅の真ん前にあって歩いていけるのだけれども、地下道に「シャングリラホテルこっち」って矢印が出続けていて、それに従っていけば簡単にたどり着いた。すでに別格感が漂っている。

ちなみに、チェックインの時にあと480元だか出したらハッピーアワーだの朝食付きだのになるとオファーされたのだけど、せっかく深圳まで来てそれももったいないように思えて、断った。
部屋にバスローブがあったりしてゴージャス。風呂上りはコニャック片手にくつろぐとしよう。

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6日目 (2019.05.02)深圳でダムめぐり

深圳でダムめぐりをする。
まずは東になる深圳水庫(貯水池)に向かう。小学校の名前になるくらいインフラ整備が社会的な影響をもっていたことがわかる。

深圳に来たら見逃せない鄧小平の壁画。

7日目 (2019.05.03)香港へ戻る

深圳から香港に戻る。

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深圳から戻ってきてホテルにチェックインして荷物を預けたら、少し時間が余ったので香港歴史博物館を見学する。午後からは、知り合いの唐先生に会いに香港中文大学最寄りの大学駅まで行く。同じ路線を行ったり来たり忙しい。

唐先生にお招きいただいての夕食。地元の名店という感じのお店で、洗杯の用意もあった。食事の前に茶碗などの食器にお茶を注いで洗う作法で、かつて衛生状態が悪かった時に客が自衛のために行なった行為が作法になったものだという。

今では茶碗だけを洗って形式的に済ませることも多いようだが、私が面白がって写真を撮っていると「皿も洗いましょう」とやってくれた。箸やレンゲも洗杯してもいいそうで、どこまで洗杯をするかは人によるらしい。

8日目 (2019.05.04)船湾ダムと屯門

4日目に雨で断念した船湾ダム(大美督ダム/大尾篤ダム)をリベンジしに行く。
船湾ダムは、戦後、中国大陸から多くの難民が流入したことで人口が急増した香港の水不足を解消するための切り札として1968年に建設された。香港は狭くて新しいダム/貯水池の建設候補地は限られていたため、海の入り江を長さ2km、高さ28mの堤防で締め切り、淡水を溜めて貯水池とした。1973年にはかさ上げ工事を行なって、貯水量を2億3,000万m3にまで増やしている。香港の水道水は域内だけでは賄えず中国の東江からも送水しているが、その水も一旦ここに貯留してから配水している。
写真右手の少し緑がかって見えている水面が淡水の貯水池で、左手が海だ。海面の方が低くなっているのがわかる。

Plover Cove Reservoir

船湾ダムとその貯水池周辺はレクリエーションエリアになっていて屋台も出ている。お昼はそうした屋台で食べることにする。
それで、前から気になっていた「出前一丁」を頼んでみる。インスタントラーメンをそのまま調理して目玉焼きとポークランチョンミートが載っている。
海の家の味と言ったところだろうか。

山を越えて屯門へ行く。屯門は、香港の中心地から切り離されて開発されたニュータウンで、域内に独自のトラムが走っている。

郊外の湿地帯。もっと快適なハイキングになるはずだったのだが、途中から雨が降り出してきた。まずいことに傘は持って来ていない。ずぶ濡れでホテルに戻ることになった。

9日目 (2019.05.05)郊外うろうろ

前日の船湾ダムに続いて、今日も香港のダムめぐり。
大㰖涌ダムへ行こうとするけれども、入り口が刑務所になっていて、入っていいものやらだめなものやらわからず…。結局遠巻きに眺めて引き返した(実際は自由に通行できた)。
刑務所の近くなので差し入れ品の専門店もある。
「符合規格」。差し入れ品には規格が決まっていて、それに合ったものでないと持ち込めないだろうという事情はわかる。

成果がないまま九龍に戻って尖沙咀の周辺を散策してみる。

10日目 (2019.05.06)帰国日

帰りもビジネスクラスなので、少し早めに空港に行ってラウンジで時間を過ごしたりする。

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帰りのフライトの目玉は成田空港への着陸間際に見えた地上の風景だった。
九十九里浜から進入した飛行機の窓から、地上に描かれた大きなバッテンが見えた。これは戦時中に作られた香取航空基地の跡で、滑走路跡が工場の敷地や自動車のテストコースとしてはっきりと残されている。今の空港の滑走路のレイアウトは平行に並べるが、この当時は交差させるのが一般的だったようだ。

それから印象的だったのが平野一面水浸しの光景だ。5月のゴールデンウイーク明け、ちょうど田植えの準備で田んぼに水が入っている時期だ。
日本の風景とはこうだったのかと感動する。

最後に絶景も見れて、香港旅行の素晴らしい締めくくりとなった。

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