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きっとではない、現に世界は良くなっている~「21世紀の啓蒙」


メディアやSNSの普及により、様々な情報にアクセスできるようになったのは良いことかもしれない。しかし、それらは性格上決して公平・公正な情報源ではないという前提はよくよく理解しておかないと危険である。
メディアもSNSもその動機は、注目を集めること、センセーションを起こすことがほとんどだ。故に良いことや普通のことよりも、異常なこと危険なことに偏重しがちなのだ。

そういう世界に生きているとどうなるか。
世の中はテロが多い、銃乱射事件が多い、ヘイトクライムが増えてきている、犯行の低年齢化が進行している、民主主義は崩壊目前だ、というネガティブな思考に陥ってしまう。

トランプ当選の素地をつくった物の見方は、実のところ右派にも左派にも、知識階層にもそれ以外にも幅広く浸透している。世界は悪化しつつあるという悲観論や、現代の諸制度に対するシニシズム、宗教より高い目標をどこにも見つけられないといった無力感は、今やどこにでもはびこっている。

著者のピンカーによれば、それらは誤謬であり、科学的なデータに立つ以上、それらとはまったく逆の方向、良い方向に世界は向かっている。何より人類が”啓蒙思想”に基づいて発見・改善を繰り返していくかぎり、進歩し続けることができると言う。

しかしそんな啓蒙主義も常に危機に瀕していると警鐘も鳴らす。啓蒙主義を構成する3つの要素は、理性・科学・ヒューマニズムだと著者は挙げる。たしかに現代は、これらを斜めに見ることが思慮深く、クールで、カッコイイという風潮があるように思う。近年ニーチェがもてはやされるのもその一例だ。

そんなばかなと思うかもしれないが、21世紀になってもなお、こうした反啓蒙主義の考え方が驚くほど広範囲のエリート文化や知的運動に見られる。いっそうの繁栄をもたらすため、そして人類の苦しみを軽減するためにこそ集団の理性を生かすべきだという考えは、粗野で、未熟で、軟弱で、頑愚だとみなされている。

しかしそれは啓蒙主義が、それなしではこの世は立ち行かないほどのコモンセンスになっていることの証左でもある。
これを否定する声は、とかく耳目を引きがちではあるが結局は少数派であることを意識して、決して分かりやすく目立つ言説に惑わされぬようにしたい。

わたしたちが完璧な世界を手に入れることは決してないし、そんなものを求めるのは危険だと考えるべきだ。だが、わたしたちが人類の繁栄のために知識を使うことをやめないかぎり、人類の向上に限界はない。
この英雄的な物語は、新たな神話ではない。神話はフィクションだが、これは真実の物語である。真実というのは、最善の知識という意味であり、それはわたしたちが手にできる唯一の真実でもある。

前著『暴力の人類史』でもそうだったが、読んでいると人類の未来は明るく感じてくる。
そしてカントが啓蒙について、こう言っていたのを思い出す。

知る勇気を持て

常に学び続けることが大事なのだと改めて感じた。

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