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長い仲直り

 嫌いだったものが、ふと食べられるようになる。多少なりとも年齢を重ねて、少しずつ大人になってくると、誰もが自然と、このような体験をすることがあるだろうと思う。生憎僕の舌はいい歳していまだにお子様舌で、好きな食べ物はと聞かれたら、カレーだのハンバーグだのエビフライだのラーメンだの、おそらく20年前に、学校のクラス替えのたびに書かされていた自己紹介シートに記入した好物と何一つ変わらないそんな答えを、今も僕は返すだろうと思う。とはいえ、それでも昔は全く受け付けなかったワサビ入りのお寿司を、いつの間にか鼻に抜けるあの風味を全く気にすることなく食べられるようになったし、(むしろ、あのピリッとした風味がないと逆に寂しくなってしまってもいる)ネバネバドロドロとした食感がずっと苦手だったとろろなんかも、どういうわけかズルズルとご飯と一緒にかきこむのが好きになり、今ではごく普通に食べられるようになった。「一体こんなに苦いものをどうして大人は好き好んで食べられるのだろう」なんて思っていた秋刀魚の内臓も、今では焼き魚に該当する味の中で、最も好きな味の一つにもなった。子供の舌では敏感に感じていた好き嫌いが、年齢を重ねるにつれて鈍感になってきた証拠なのかもしれないが、こうして美味しく味わえる食べ物が増えたのだと思うと、一つ歳をとって行くのも悪くないのだろうなと思う。


 さて、そんな僕が今年に入って突如として食べられるようになったのが、小学校以来かれこれ20年もの間、仇敵として僕の前に立ち塞がっていた、納豆である。


 あれは僕がまだ小学校の低学年だった頃、たまたま日曜日の朝にアニメ(確かひみつのアッコちゃんだったかゲゲゲの鬼太郎だったかを、平成版?としてリメイクしてた番組だったと思う)を見ていた時の事だった。番組の合間のCMで流れていた納豆がどうもおいしそうに見えて、母に「あれ食べてみたい」と言って、近所のスーパーに行って買ってきてもらったのが、僕と納豆の出会いだった。納豆という食品を、テレビというメディアを通して知った僕は、およそ視覚と聴覚という、食品にとってなんとも優先度の低い五感情報でしか納豆を知らなかった訳である。そんな僕だから、最初にあの白い発泡スチロール状の四角い蓋を開けた瞬間、きっと納豆が苦手な人の誰もがここで躓くであろうあの臭いを前に、呆気なくその淡い期待を打ち砕かれ、納豆という食品を前に敗走を決めたのだった。そして、なんとかもう一踏ん張りして食べてみようと挑戦するも、そのねばねばとした食感の目に、ついに僕は「これは無理だ・・・」と膝を折り、その日はなんとかそのパックだけは完食できたものの、それ以来、あの臭いと、口中に広がるネバネバとした糸を引く食感をただの一度も克服する事なく、ただ年月だけが経過していったのだ。


 それがどういうわけか、今年の頭になったある日の朝、ふと、本当にふとした思いで納豆を食べてみようと思い立った。理由はいろいろあっただろう。少しは健康に気を使ってみようとか、ねばねばした物体をご飯と混ぜて食べるあの食べ方(場違いな世代の例え方かもしれないけれど、いわゆる紋次郎食い的な食べ方である)に食欲をそそられたとか・・・そんな、漠然としたことこの上ない理由で、僕は冷蔵庫に眠っている納豆のパック(僕以外の家族はみんな食べられるのだ)に手を掛け、ペリペリとあの白い蓋を開けた。一瞬鼻をつく、一体いつ以来だろうかという臭い。しかし、30にもなった僕の鼻は、かつての繊細さと鋭敏さなんかはとっくに失っていたようで、以前ほど匂いは気にならなくなっていた。僕なんかはとっくに差し置いて、当たり前のように納豆を克服した妹や弟の食べ方を思い返し、見よう見まねで僕は付属のタレと辛子をかけ、箸先でグルグルとかき混ぜ、そっとご飯の上に乗せた。しかし、この納豆の味だけではどうにも不安になった僕は、テーブルにたまたまあったおかかのふりかけをかけ、これで少しは味が紛れるだろうと思い、そして、かれこれ何年振りかとなる納豆を、口にした。一月の終わり頃の、曇り空のある朝の話である。


 ネバネバとした糸を引く食感。しかし、その粘性が、白米と実に相性がよく、まるで猫まんまをかきこむような勢いで、スルスルとお米が口に吸い込まれていく。醤油風味の味付けがされたおかかのふりかけが、丁度よく舌に甘じょっぱい風味として残る。なんだ、思ってたより悪くないじゃないか。長年苦手だった納豆と、その朝僕は、和解と呼ぶにはあまりにも呆気なくさっぱりとしたこと形で、やっと打ち解けることが出来たのだった。


 その日以来、僕の朝ごはんは、この納豆ご飯にふりかけをかけた一杯のご飯に決まっている。僕と納豆の、長い長い仲直りが、ようやく終わったのだ。


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これからもよろしく頼みます、納豆くん!


 ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。ちょっとしたお暇つぶしにでもなれたら、僕はとても嬉しいです。

#私の朝ごはん

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