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アンジェリーナ/佐野元春 Angelina / Motoharu Sano 

T橋君は千葉から出てきた先生の息子で、なぜだか知らないけど幸運の持ち主だった。
イケメンでもないし、テストの点はひどいし、千葉訛りは抜けないし。
パイロットになりたかったのだそうだが、英語の成績が壊滅的であきらめたと言っていた。

よく羽田空港へボーイング767を見に行くのを付き合わされた。
俺が「あんな鉄の塊がよく空を飛べるよね」と言うと、
「いやいや俺君、あんな鉄の塊を飛ばす技術があるんだから落ちるわけないでしょ」と言った。
なるほどと感心したのを覚えている。

不思議と憎めない性格で、ずいぶん若いころから周りの人と上手に付き合う術を心得ていた。
最初は戸越銀座のアパートに住んでいたのだが、バブルの前に新丸子にマンションを買い(どうせ家賃払うなら頭金出してやるから買ってしまえと親が資金援助してくれたらしい)それがバブルの波に乗ってのちに一戸建てに化けた。
本当に幸運の星の元に生まれたのだ。
そしてこれが大事なところだが誰にも妬まれない。
ここが彼の最大の魅力だ。

そんなある日彼の家でギターを弾いて欲しと言われて訪ねてみた。
リビングにはTEACの4チャンネルオープンリールデッキが鎮座ましましていた。
俺はそんなもの初めて見た。
子供の頃に小さなオープンリールデッキは見たことあったが。

彼は自分でドラムマシーン(たぶんローランドのTR―606)を借りてきて佐野元春の「アンジェリーナ」のドラムとベースのトラックを完成させていた。
彼は高校時代吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたのだそうだ。
「俺君、ここにギターを入れて欲しいんだけど」
「うん、分かったよ。ちょっと練習させて」そう言って何度かコードとソロパートを弾いてみた。
「いいよ」準備ができたので録音することになった。
「じゃあ最初はイントロだけコード弾いてみて」
「え?イントロだけ?」
全部通しで間違えないように弾かなければならないと緊張していた俺は驚いた。
「うん、パンチって言って繋いでいくから少しづつ弾けばいいよ」

「すげえええええええ。そんなことできるんだ」

感心してイントロを録音し、次に歌のパートと順に小刻みに録音していった。
「じゃあ上にソロの音をかぶせるね」

「え?かぶせる?どういうこと?」

4チャンネルのデッキにドラムとベースをまとめたもので1チャンネル。ギターのコードとソロ2本をまとめて1チャンネル。コーラスとトロンボーンを入れて1チャンネル。最後にボーカルを入れて完成なんだそうだ。
つまりオーバーダビングするのだがこれは特殊なレコーダーじゃないとできない技だ。
プロのスタジオじゃないと出来ないようなことが、アパートの一室でできるなんて。

「すげえええええええええ。」

またしても感心してとにかくギターのソロパートをハモらせて2本弾く。
「OKだよ、いい感じだね」
「俺君、ギター上手だね」
横にいたT橋君の彼女が演奏を褒めてくれた。
少しくすぐったかったが曲はなんとか完成した。

この後カセットMTRという多重録音機が登場するのだが、それはまた後の機会に。

ちなみにT橋君はそのまま東京で就職後、独立してビデオ編集会社を設立して社長になり、大成功してメルセデスに乗っている。

ああ、うらやましい。



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