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「いい歳して」という言葉はいつか自分に返ってくるかもしれない

私はよく「○○歳にもなってそんなことする?ありえない。どうやって歳を重ねたのか。」という愚痴を漏らしたりする。

これは年齢を重ねるごとに自然と精神が成熟し、思慮深い人間になるはずだという思い込みの現れなのかもしれない。
今の今まで無意識だった。

年上の恋人が思ったより子どもっぽかった、と失望したことが何度もある。
期待しすぎなのか、実際に子どもっぽかったのか、真偽はわからない。

職場の嫌な人に対して、なぜその歳にもなって、こんな簡単なことがわからないのか?もう少し感情を抑えて仕事できないのか?とうんざりしたことが幾度もある。

では果たして、自分は年齢相応に成熟しているのだろうか?

今年26歳になるが、自分が思っていたような大人になっているとは思えない。ここ3〜4年ほど変わっていないような気さえする。

さすがにそれはないか。

いや、さすがにそれはないとも言えないくらいには、成長を感じていない。
いつまで経っても怒りっぽくて、自分の機嫌を自分でとれず、偏見が強い。

謙虚で控えめで、物腰柔らかな女性になった将来の自分を想像できない。

こんなことを考えていると、数年前に付き合っていた26歳の恋人を思い出して「たった26歳の人に求めすぎだったな」と反省する。

喧嘩ばかりしていた恋人を思い出して、あの頃の彼は今の私よりも年下なのか…と驚いたりする。

誰かに「もう30歳なのにそんなこともわからないのか」と言っていた過去の自分が、30歳になった自分を苦しめる気がする。怖い。

人に手厳しく意見すれば、それはいつか自分に返ってくる。だからこそ誰かを責めすぎず、そんなこともあるくらいの広い心でどっしりと構えていた方が、人生の幅が広がるのかもしれない。

誰かに言ったことと辻褄を合わせるために、自分の行動を制限しなければならなくなる。

あの人にああいったのに自分もできていない、なんて無様なんだ、と卑下しなければならなくなる。

怖すぎるよ、未来が。

人に厳しく自分にも厳しくという生き方を選ぶのであれば別にいいけどさ。
私はハッピーに緩く生きたいから、人に甘く自分にも甘くにシフトチェンジしようかな。

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