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暮れ泥む土手から、

「お姉さん、1人?」と声をかけられる。
どう見たって1人に決まっているので、その質問はナンセンスだし、この場所でのナンパは、殊更気が利かない、と思い、わたしはたちまち興が冷める。

大阪に住んでいた頃、1番のお気に入りの場所は、土手だった。

歩けば家から30分、電車に乗れば10分、の距離に淀川が流れていて、金曜日の夜、仕事終わり(基本的に23時過ぎ)や、休日に(早朝もいいけれど、断然夕方が良い)、なるべく晴れている日を狙って、足を運んだ。

1人で行動することが別段苦でもないわたしは、映画も美術館もカラオケも喫茶店もライブも演劇も旅行も、どこへでも単体で行ける質だけれど、土手はどうにも"1人で訪れる"ことへのこだわりがある。

なぜなら2人の場合、大概相手から「そろそろ帰る?」の一言を半ばおずおずと投げられ、わたしはそれに大概、えっもう?と内心驚き、まだ20分しか経ってないのに…と不本意に思いながらも(わたしが不本意に思うことに、相手は不本意に思うだろうし)、おとなしく引き上げることになるからだ。

わたしが土手へ行けば、最低でも1時間は滞在する。
場合によっては3時間以上の時もある。
心地が良いあまり、「あと15分…」を延々と繰り返してしまう(休日の朝のアラームのように)。

時間の延長を寛容に許してくれる人であればまた別だが、それでも気兼ねなく、有意義に、思いのままに過ごすには、やっぱり1人がちょうど良いのだ。

そして嬉しいことに、淀川の土手(及び河川敷)には、やはり思いのままに過ごす人がたくさんいる。

例えば、
てかてかした上半身を晒す、ハーフパンツ姿のお兄さんが、(おそらく)天然サロンをしている。
黒くぴったりした服の初老の男性が(おそらく)太極拳をしている。
お揃いのピンクパーカーをだっぽりと着た若いカップルが、ナチュラルを装った表情でポーズを決め、お互いに写真を撮りあっている。
木陰でチェアリングをし、涼しげに読書に耽る若い女性がいる。
ゼエゼエと肩で息をして苦しげに走る人も、それを颯爽と走り抜く人もいる。

とにかく「見応えがある」し、何よりも、ここにいる人たちがみな、気分良く過ごしているという点が良く、わたしはいつも、彼らに親近感を抱いていた。

(だけど、わたしは彼らに声はかけない。やはりここで過ごすからには、心は自由に、開放されるべきだから。「お姉さん、1人?」と声をかけてきた見知らぬ、気の利かないお兄さんも、あいにく無視を決め込んでいるわたしを見かね、いつの間にか姿を消した)


そんな中、わたしのポジションはと言うと、シンプルに、石階段の一番上だ。そこへ腰を下ろし、ぴったり合わせた膝に両肘をつき、顎を乗せる。決してぶりっ子しているつもりはないけれど、まあ、分かりやすく「ものや思ふ…」といったようなポーズだなとは思う。

兎も角そうして、わたしも気持ち良く、土手の世界に浸るのだ。


淀川を挟み、対岸には、梅田の高層ビル群がとつとつと、屹立している。

空が広大で、コバルトブルーのきっぱりとした昼間の時間帯は、そのブルーをキラキラと反射させる梅田の建物の毅然とした様子がとても立派で美しい。ちょっと近未来的なデザインのビルも幾つかあり、それもまた格好良い。

それから、目を瞑って音に耳を澄ませるのも良い。

風が心地良く吹き抜けて、ススキがさわさわと揺れる。
梅田の街へ向かうのであろう御堂筋線の電車が、ガシャンガシャン、ガシャンガシャン…と橋を渡り、徐々に遠のいていく。
近くの野球場からは、野球少年達の威勢の良い声や、打球音が響く。
散歩中の犬の、首輪に付けた鈴のような音が、後ろをゆっくりと過ぎて行く。

だけど、夕陽の沈み始めてからが、本当のわたしの、楽しみどころである。

暮れ泥む空が、まずいじらしい。
なかなか暮れず、わたしは迫る夕闇に息を潜めている。
そのうちに、高層ビルがライトアップされていき、存在の主張を煌びやかに始め、
そうしてすっかり濃い藍色の一面に拡がる頃には、対岸に、目を見張るほどの美しい夜景が現れるのだ。

これが本当に、惚れ惚れとする。老廃物を吐き出すみたいに、ほおお…というため息がたくさん出る。

通っていた接骨院の先生曰く、淀川河川公園付近(わたしのいる所)からの梅田の夜景はお勧めデートスポットとしても有名なよう(後から知り、やはり!と思った)。

わたしも、新幹線ではるばる会いに来てくれた交際相手と、(冬だったので)近くのベローチェで温かい飲み物をテイクアウトして、ロマンチックな気分で眺めた。
そして、信頼し慕っていた上司とも、切磋琢磨していた同期の仲間とも訪れた。


だけどやはり、何度も言うが、1人で過ごす時間が格別だった。

大阪での1人暮らしに心細さを抱いていた日も、
仲間と夢を語らい、胸を熱くした日も、
失敗が続き情けなく、理想との葛藤に涙を零した日も、
がむしゃらな努力がようやく結果に繋がった日も、眺めに赴いた場所。
自分の中の溢れんばかりの感情たちと向き合うための時間と勇気と激励をもらった場所。

どんな日であっても、どんなわたしであっても、変わらぬ景色はいつもフラットにわたしを迎え入れ、それがとても心地良く、心強く感じられたのだ。

♪Here I Go / Sam Ock

この優しい歌に、まだまだ道半ば、ここからさらに突き進むんだわたしは、と幾度も奮い立たされた。
「Here I go, far away. I'll keep running in this race」
笑顔でステップを踏みながら聴いた時も、俯いて涙を拭いながら聴いた時もあった。

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