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上司に「手伝います」と言ったら叱られた話

言葉は便利だ。ときには人を励まし、ときには人を救うこともある。
しかしその反面、使い方を間違えれば、人を傷つける凶器となり得る。もしくは、人間関係を悪化させてしまう。



2年前、8か月だけ働いていた空調設備の会社で、こんなことがあった。


その日は、いつものように現場で設備の点検をするのではなく、会社で事務作業や道具の整理整頓などをすることになっていた。

僕より早く出勤していた上司が、社用のハイエースに積んである部品などを補充したり、車内を掃除したりしていた。

出勤した僕は「おはようございます。あ、手伝います!」と、作業中の上司に声をかけた。
上司は「いや、いいわ」と少し不機嫌そうな顔で答えた。
僕は「あ、わかりました。ありがとうございます」と返し、オフィスに入ってノートパソコンを開いた。出張中の先輩に「今日中に報告書を作成して、メールで送ってくれ」と頼まれていたのだ。その日の僕の最優先クエストだった。

少ししてから後輩が出勤した。まだ入って間もない彼は手持ち無沙汰だったので、報告書作りを手伝ってもらった。といっても、プリントアウトした書類の誤字脱字なんかをチェックすることくらいだったが。

二人で黙々と報告書をしたためていると、車の掃除を終えた上司がやってきて「お前ら、ちょっといいか?」と僕らを呼び出した。


呼び出されたのは、喫煙所だった。上司はタバコに火を点けながら、僕らに言った。

「俺昨日『明日は現場ないから、車を掃除する』って言ったよな?」

あ、おこだ。上司、おこですわ。
今となってはこんなふざけた書き方をしているが、その当時の戦慄たるや。強面でスキンヘッドでちょっと恰幅がいいその上司は、普段は気さくで優しい人なのだが、怒るとすんごい怖い。主に見た目が。僕と後輩は、アナコンダに睨まれたちいちゃなカエルのようにじっと固まっていた。

車の掃除をする話は覚えている。それに、朝出勤したときに上司がすでにやっていたから、僕は声をかけたのだ。後輩も同じように、挨拶&「手伝います」のムーブをかましていたらしい。

しかし、上司の言い分はこうだ。

「聞くけどよ、車ってのは俺のものか? 俺がこの車を運転するから、掃除するのも俺なのか?」

僕らは黙りこんでいた。上司は続けた。

「車は会社のものだろ? みんなで使うものだろ? なのに俺が掃除していてお前らが『手伝います』って言うのは、おかしくないか?」

「手伝う」という言葉の意味は、「他人の仕事をたすけて、うまくいくように力を添える」となっている。
そう、“他人の仕事”を。
上司は、僕らが車の掃除を他人事に考えていたことに立腹していたのだ。

上司としては、もっと車を大切にしてほしいという気持ちもあったのだろう。僕らにその認識がないと気づき、心を鬼にして注意してくれたのだ。ぶっきらぼうな口調ではあったが、車にも部下にも愛を感じた。僕と後輩は万謝し、以後このようなことがないように心を入れ替えた。


傍から見ると微妙なニュアンスの違いかもしれないが、言葉一つで発言の印象はガラッと変わる。言葉を送る側と受ける側とで認識がズレていると、こういったことが起こってしまうのだ。物書きをしている今なら、その違いの重みが少しわかる。

だから、言葉の使い方には気をつけないといけないし、語彙が多いに越したことはないと思う。
言葉を知ることは人間関係を円滑にする力があるのだと、あのタバコ臭い空間で僕は学んだ。


その日の昼休み、叱責を受けてあまりにも落ち込んでいる僕を見かねたのか、上司は「そんなに落ち込むなって!」と笑いながらハンバーグをご馳走してくれた。あの日食べたファイヤーバーグ定食の味を、僕はあまり覚えていない。




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