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「頑張る女子」「自立した女子」「完璧な女子」が褒められる男女平等の時代だからこそ、『私はどうしたい?』という自分軸を大切にした方がいい話

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「ちゃんとしすぎ」「がんばりすぎ」な女子がここまで増えたのって、親の影響とかももちろんあるんですが、社会的な風潮もきっと大きいですよね。

「女も頑張らなきゃいけない」「女も稼がなきゃいけない」「女は男と対等でなきゃいけない」

もちろん男女平等は必須ですし、男女差別は許されませんが、その風潮に押されるようにして「自分らしさ」を喪失していないかを改めて考えてみるのも良いかもしれません。自立系女子の皆さん、改めて、本当に「自立」したいですか?



***


【ツイートはここから】


意外にメンタルが弱い人の特徴は「ちゃんとしなきゃいけない」「頑張らなきゃ愛されない」と思い込んでることです。

表面的には強く見えても内面には深い傷を抱えてる。

長子などで幼少期から「頑張りすぎていた」パターンが多い。

弱い自分も頑張れない自分も肯定してあげると生きやすくなります。


【ここまで】



「女性の自立」をテーマにした記事をニュースサイトやコラムなんかでチラホラ見ます。



「優秀な大学を卒業し、一流企業に入社し、女だから下駄を履いてるだなんて舐められないように着実に地力をつけ、成績をあげ、男性との出世競争にも競り勝ち、社内幹部への切符を手に入れていく。」そんなストーリーは山ほどありますし、

「私は専業主婦になりたいと実は考えてるんですが周りの同世代の子たちには専業主婦希望だなんて口が裂けてもいえません。周りの子は『女は社会的に自立してナンボ』という価値観ですし、そういった子たちにとって専業主婦は『自立してる女』だとは言えないからです。周りの子たちにとって、家庭に入って男性に養ってもらうなんていうのはとても情けない価値観みたいです。ついこないだも『専業主婦もいいけどそれって男と同等に稼いでる女が言うことであって稼ぐ力がない女が専業主婦目指すなんてただの逃げだよね~』なんて話題になって学歴もキャリアも全然ない私は愛想笑いしながら話を合わせるしかありませんでした、、、」そんな女性がテーマの記事をついこないだも読んだところです。



「男女平等」とか「男女の格差是正」とか「ジェンダーギャップを無くしていこう!」みたいなのが進んでいくのはとても良いことだとは思うのですが、裏の面が出てきているというかちょっと歪みが出てきているというか「自立してない女はダメ」「男を頼る女は格好悪い」「専業主婦なんて奴隷と同じ」「一人で生きていけない女はダメ」みたいな風潮がカウンターパンチ的に生まれてきてしまってるみたいで、生きにくさとか息苦しさを抱えてる女性も多いのではないかと思います。

もちろんもともと歪んでた「男女の格差」みたいなものを無くしていかなければならないのは言うまでもありませんし、それを否定してるとかではないのですが、社会が女性に求めるもの、男性が女性に求めるもの、あるいは上記記事のように「女性が女性に求めるもの」があまりにも重くなってしまってる気がするのです。

端的に言えば「働いてない女はダメ」とか。「男と張り合えない女はダメ」とか。



私の発信は社会問題やジェンダー格差やフェミニズムを扱うものではありませんので、そういったワード検索やら何やらからこのページを開いてくれた方はひょっとしたらガッカリかもしれませんが、ここまではあくまで導入でして本題はもちろん皆さまご存じの「自立系女子」そして「自己肯定感」「自分軸」についてです。



ご存じでない方のために「自立系女子」という単語を解説させていただくと、「頑張りすぎ」「ちゃんとしすぎ」「完璧主義すぎ」「人に甘えられなすぎ」「人を頼れなすぎ」「人を信頼できなすぎ」な女子たちのことを指す言葉になります。



例えば「ちゃんとしすぎ」ればうっかりさんな自分とか仕事でミスをする自分を責め立てて「なんて自分はダメなんだ」という自己嫌悪を抱えることになるかもしれませんし、例えば「頑張りすぎ」でハードワークに陥ってしまえば交感神経が働きっぱなしになってチリツモでストレスが積み重なっていき、慢性的な胃腸疾患や頭痛、睡眠不足、鬱っぽい症状などに悩まされることになるかもしれません。

「完璧主義」すぎれば自分を緩めることがとても難しくなりますし、完璧じゃない自分に罪悪感を感じたり周囲から見たらとても小さなことでコンプレックスを抱えるようになりますし、いわゆる自意識過剰のような状態になりやすいと思います。

あるいは自分に完璧を求めがちであれば「周囲」にも完璧を求めがちになり、チームで仕事をするときなど仲間を詰めがちになってしまうかもしれません。

もしくはパートナーシップであれば、彼に向けて「どうしてこんなことができないの」「どうしてそんなこともできないの」と不満を感じることにもなるでしょう。実際に詰め寄ってしまい関係が険悪になることもあるでしょう。



また、「甘えられなすぎ」「頼れなすぎ」であればタスクの背負いすぎやハードスケジュールに追われることになりかねなく、これもまた過剰なストレスの原因になります。家庭であれば家事もして仕事もしてという過剰負担の状態になるかもしれません。

実際にTwitterの「ママ垢」などを見てると「自立系ママ」が仕事をしながら家事も育児も育夫も手掛けてる状態になっていて、負担分担のための結婚であるはずが「夫がいないほうが楽」みたいな状態になってしまっています。

これは決してレアケースとかではなく、どうやら「あるある」みたいですよね。

夫の非協力の責任も多分にありますが、何よりも妻サイドが夫を「信頼」できておらず、「甘えられない」「頼れない」に陥ってしまっているのだと思います。



もちろん「夫の普段の振る舞いが悪いから『信頼』できないんじゃないの」という反論もあるかと思いますが、noteの常連さんならご存じのとおり、そういった現実の問題の究極の原因は自分のマインドの方に求めていく必要があります。

幸せになるためには「自責」の考え方がとても大切です。


具体的にどう考えればいいのかというと、

「夫が非協力的なのはなぜなのか」
「夫の普段の振る舞いが悪いのはなぜなのか」
「自分のどんな心理がそんな夫にさせているのか」

さらにさかのぼって「自分のどんな心理がこのような夫を引き寄せたのか」というところまで見ていくんですね。



そういう風に見ていくと自分の中に幼少期より培われた「傷」があったりだとか、親子関係においても常に頑張りすぎる癖があったりだとか、思春期のトラウマなどで「優しくて協力的な男性への怖れ」が芽生えてしまったりだとか、冒頭から書いてる「時代の風潮」が強く影響していたりとか、さまざまな原因が分かってきます。



「夫が普段から非協力的だから甘えられないんだ」「夫がいつも頼りないから頼れないんだ」「夫がもっとできる男だったら信頼できるんだ」という考え方はいわゆる他人軸(夫軸)ということになりまして、自分を「被害者」の位置においてしまっています。

すなわち「夫がこうだったら良いのに」「夫がこうならもっと良い家庭になるのに」「夫が尽くしてくれたら私は楽なのに」「夫の収入が良ければ楽になれるのに」「夫がもっと良い男だったら幸せになれるのに」という考え方ですと、幸せの主導権が「自分」ではなく「夫」に渡ってしまっているのですね。

「夫がこうだったらいいのに」と考えてるということは「自分では自分を幸せにする力はありません」と白旗を上げてしまってると言い換えてもいいかもしれません。



こういった他人軸、夫軸はけっこう楽ですし、「被害者ポジション」でいることによりある意味では能動的な努力を放棄できるので「夫のせい」「彼のせい」にしてしまう人は非常に多いのですが、これだといつまで経っても振り回されてしまいますし、大きくいえば幸せが「夫次第」になってしまいます。

「夫が協力的なら私の人生は幸せ」「夫が非協力的なら私の人生は不幸」人生夫次第。これが他人軸、夫軸の副反応とでも言うべきものです。せっかくの自分の人生なのにそんなのシャクじゃないですか。



「問題は自分のなか」と考え直すことが「自分軸」ということでありまして、そのとっかかりとして先ほどのように「自分のどんな深層心理が『甘えられない』『頼れない』を引き起こしているんだろう」「自分のどんな深層心理が夫を頼りにならない人間にしてしまっているんだろう」「自分のどんな深層心理が私と夫を引き寄せたんだろう」という思考方法が問題を解決に導いていきます。

「自分のどんな深層心理が、、、」の部分が見えてくればあとはそこに向き合っていけば現実は勝手に変わっていきますからね。これが自分軸であることのパワーです。




ーー表面的には強く見えても内面には深い傷を抱えてる。長子などで幼少期から「頑張りすぎていた」パターンが多い。ーー



「頑張りすぎ」「ちゃんとしすぎ」「完璧主義すぎ」「人に甘えられなすぎ」「人を頼れなすぎ」「人を信頼できなすぎ」つまり「自立しすぎ」の根底的な部分は幼少期の環境とか、思春期の環境とか、現代の「女性の自立」についての世間の目線にあるんだよということについては上の文中でちょっと書きました。

特に「幼少期の環境」と「世間的な風潮」はめちゃくちゃ密に結びついていまして、だからこそこれだけ息苦しそうな自立系女子がたくさんいるわけです。



どういうことかと言いますと、世間の風潮として「自立してる女性こそが素晴らしい」「自分で稼げる女性こそが今時」「男性に負けない女性でなきゃいけない」という考え方が優位を占めていると、当然お母さん、お父さんの心理としては「娘を男に負けない子に育てなきゃいけない」「娘を何でもできる子にしなきゃいけない」「娘を甘やかしてはいけない」「娘をめちゃくちゃ自立させなきゃいけない」という風になると思います。

娘を愛してるからこそ、娘に将来的に苦労をかけたくないからこそ、幼少期から色々厳しく教育しますし、習い事にもたくさん行かせますし、語学だのなんだのって習わせるでしょうし、「しっかりしなきゃだめ」という教育を施していくと思います。



娘サイドから見れば「ちゃんとしなきゃ褒められない」「ぼーっとしてちゃいけない」「ありのままの私では愛されない」「男の子に負けない自分にならなきゃいけない」「優秀じゃなきゃ両親に認められない」という価値観を得ていくことになりますから、結果的にどんどん「自立」していくことになりますし、優秀になっていきますし、「自立」していくことになります。

もちろんその自立性を多分に発揮して優秀な成績を得たり、学歴を得たり、「男に負けない有能さ」を身につけたり、出世競争で張り合ったりしていくわけですが、
その根底にあるのは「自分を緩めてはいけない」という完璧主義であり、「自分を甘やかしてはいけない/自分は甘やかされてはいけない」というセルフ拷問であり、「働かないなんてもっての他」という自分への強制であり、自立であり、「ありのままでは愛されない」という心の傷とまで言ってしまってもいいかもしれません。



これは本当に誰のせいでもなく、しょうがないことなんです。



確かに幼少期の環境や両親との関わりで「傷」をもらってしまったケースは多いのですが、述べたように両親は「これからの世界を娘が生きやすくなりますように」と教育を施したのであり、「娘にバリバリ稼ぐ力がつきますように」と厳しくしたのであり、娘を苦しめてやろうと、心に傷をつけてやろうとしたわけではありません。

娘を「自立系」にしたのは両親の愛であり、それを責めるのはお角違いというものです。こういう話をすると「私が生きにくいのは毒親のせいだ」とか「親の教育が悪かったんだ」とか「親がありのままの私を愛してくれなかったからだ」となってしまう人が多いのですが、それは先ほどの「夫軸」と同じ考え方であり、厳しい言い方をすれば「被害者意識」というものです。

親のせいだ、お母さんのせいだ、お父さんのせいだ、と言っていれば楽ではあるのですが、現実は何も変わっていかないのですね。

先ほどと同じく、自分軸で自分の人生をドライブしていくという考え方が大切です。






具体的に「自分を緩めてあげる」「自分を許してあげる」「自分を甘やかしてあげる」「自己肯定感を上げる」ということを実践していくための方向性やワークはたくさんあります。

例えば…

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