自己否定の心理、意見と否定の分離

「意見と否定の分離」というテーマでよくツイートをしたり、noteを書いている。

自己否定が強い人ほど「意見と否定の分離」は難しい。

自己否定とは文字通り「私が私を責める心理」「私が私を攻撃的に捉える心理」のことなのだけれども、この自己否定が強ければ強いほど単なる意見を「否定」「攻撃」「非難」「中傷」と捉えてしまいがちだ。

自己否定が強い人は、極端に言えばコミュニケーションの前提が「私は否定されるもの」という風になっているのであらゆる意見を「否定のレンズ」で屈折させてしまうのだ。

例えば恋人に料理をふるまい、「このエビチリ少ししょっぱいね」と言われたとしよう。

自己否定の度合いが少ない人であれば「あ、まじか!ちょっと塩いれすぎた!メンゴ(言い方古い)」で済むわけなのだが、
極端に自己否定をしている人では「私はやっぱりダメなんだ」「私はエビチリすら作れないんだ」「どうしていつもこうなんだろう」「この人は私を愛してないからこういうひどいこと言うんだ」というように相手の発言を屈折させて解釈してしまう。

もちろん、相手には決して攻撃的な意図などなく、相手は単なる意見を言っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

この屈折的な解釈こそが「意見と否定を分離できていない」ということであり、パートナーシップに、人間関係に、そして人生そのものに大きなネガティブな影響を与えるものだ。

自己否定が強い人であればあるほど反射的に相手の発言を捻じ曲げて解釈し、パートナー関係に微量であれ絶望的なものであれ亀裂を入れてしまう。

「相手に責められてる」と感じるのは、ほんとうに相手に悪意や攻撃的な意図がある場合もあるにはあるけど、極端に被害意識が強い場合には「自己否定」にも目を向けてみる必要があるかもしれない。

自分を攻撃するのをやめれば、プレッシャーが少なくなり、過緊張も和らぎ、メンタルは安定し、ずっと心が楽になるものだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?