さあ素直になって書こう。
ニューヨーク大学も3年目くらいになると経験が蓄積されるもので、たとえば授業や課題など、過去の経験に基づいてある程度見立てをつけられるようになるだろう、と、入学したときには思っていた。だから、3年目になった今でもまだ、大学生活のなかで新しい発見がたくさんあることに気づくと、驚くとともに喜ばしい気持ちにもなる。
はじめて受けている比較文学の授業のこと。英語を外国語として話す学生は僕ただひとり、そこに毎回文学の歴史のなかでもトップクラスに高度な語彙や文章構造を用いることで有名な作家 — たとえばウラジミール・ナボコフ、コレットやプルーストなど — を読むものだから、そうした文学を授業ですらすらと読むクラスメイトを横目に、少し肩身の狭い思いで、辞書を引いた跡が書き残された文章のコピーを手元に、毎日授業を受けている。そんな僕のことを教授は、「多様な学生を教えるほうが、私も楽しいわ」と言って、ひとりの生徒として僕を迎え入れてくださる、素敵な教室である。
さて、そういう授業で出るエッセイ課題。事前に課題文が発表されて、数日かけて自宅で書くタイプのエッセイをひとつ書き上げた。数日かけて書いてもこれだけ大変なのか… と思いながら、次に与えられたのは、2時間の授業時間内で書き上げる試験型のエッセイ。問題文を受け取って読むと、「ウラジミール・ナボコフの文学作品が、彼自身の人生における時系列に依存していると言える根拠と、反対に作品が時系列を超越した人間の本質を物語っていると言える根拠をそれぞれ挙げて対比させたうえで、ナボコフが20世紀を代表する作家と言える理由を論じなさい」と書いている。これは絶対に2時間で書き上げられない、と諦めの気持ちが浮かんだ。時間制限が厳しいことを教授も認識した上で、文章のまとまりよりもアイデアを重点的に評価するとは書かれているとはいえ、僕のまとまっていない文章を教授に読んでもらうのはなんだか申し訳ない… できるだけ書いて、採点を受けずに帰ろうかと思った。それでも、2時間試行錯誤したら、最低限文章として成り立ちうる単語の集合体はできたので、それをそのままPDFに出力して提出し、その日はとぼとぼセーヌ川の夕焼けを眺めながら家に帰った。
やっぱり文学の授業は、身の丈に合わなかったかな、と思っていた僕が驚いたのは、2時間でなんとか書いたエッセイのほうが、自宅で数日かけたエッセイよりも圧倒的に教授の評価が高かったことである。そんなはずがない、と内心思いながら、もう見たくもなかった2時間で書いた文章を改めて読み返してみる。するとそこには、僕が言いたかったことがとても素直に、とてもシンプルに、堂々と書かれていた。教授の評価が腑に落ちたのである。
このとき思い出したのは、僕が大学で最初に書いた社会学の文献レビュー課題。当時、数日間で英文を7ページも書くことを経験するのははじめてで、とにかく自分がわかったことを、最も素直な文章で書いたら、これもとても高い評価をいただいた。僕の思い出の文章でもあり、今でもたまに読み返すことがある。その文章に、今回の2時間の文章もとても近い。
いっぽうで、評価が低かったほうのエッセイは、あまりにもアイデアが複雑で抽象的すぎる。振り返ってみれば、今学期書いてきた課題はいくつか同じような傾向があった。いつもどおり、文章はいつもある程度自分で仕上がったと自信を持ってから出すのだが、今学期書いたものはなぜかどれも提出したらもう二度と読みたくなくなるような文章だった。
「考えすぎ」という、僕なりのいつもの不器用さが、最初のエッセイには現れていた。英語を外国語として話す自分の状況を考えすぎて、文章を読む自分に自信が持てず、エッセイで書こうとしている自分の考えに対する自信も失っていたのだと思う。だから、もっと考えないと、いや、もっと自分が書けることに専念しよう、だからこれは書かないとして、こっちをここに置いて、次はこれとこれをこういう具合に接続詞でつないで、ああそうだ、この動詞は自動詞だからここに前置詞が必要で、それから….
そんなわけで、もう大学の課題を書くのは3年目なのだが、それでも新しく学ぶこともあり、むしろ過去の自分から学ぶこともある。素直な文章を書くのは勇気がいる。自分の考えだけで勝負しなきゃいけない。それが怖くて、あの手この手で文章を飾って、自分の考えを謙遜させてしまう。それは、読み手の側には明確に伝わってしまうものなのかもしれない。逆に、文章を書くということは、自分が自信を持てるような考えを素直に持てるほど、日々学んで、試行錯誤し続けなければいけない。うまく書けないときは、考えをもっと深め、それをまた書くと決めたら、自分の考えを信じて素直に書く。良い文章は、良い試行錯誤がないと書けないが、良い試行錯誤は、そこから生まれた考えに素直になって書くことで、はじめて実を結ぶのだと学んだ。
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