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「類は友を呼ぶ」ー留学すると世界中に友だちができるのは本当?

世界中から集まった同年代の仲間と出会い、一生の友だちをつくるというのは、留学する人が抱く理想像だとおもいます。しかし、それは本当に起こりうるのかということについて、社会学の授業の課題で文献レビューに取り組みました。

友だちになるというのは、ある意味偶然であり、奇跡的な出来事。友だち関係をつくるのは自分と相手の双方の思いが合致してはじめて成り立つからです。たとえ自分が「世界中の学生と友だちになりたい」と想って留学したとしても、相手も同じように思っていないと、友だち関係を築くのは難しいです。

人種が絡むと特に難しいです。アメリカの高校や大学を対象にした様々な調査から、同じ人種の学生同士は友だちになりやすいということが明らかになっています。これを、Racial Homophilyと呼び、日本でも「ホモフィリー理論(同じような属性を持つ人同士は仲良くなりやすい)」として、ソーシャルネットワーク研究の基本的な理論として認知されています。類は友を呼ぶ(Birds of a feather flock together)ということわざに代表されるように、同じ人種の人同士が仲良くなりやすいというのは、いろんな人種の人との交流を求めて日本から留学にいく人にとって、ちょっと残念な傾向かもしれません。

ニューヨークに来てまだ3ヶ月ですが、僕もこの傾向は強く実感しました。大学の図書館でも、アジア人の学生同士が同じテーブルに座って固まっているのをしょっちゅう見かけますし、授業でも、同じ人種の学生同士は一緒に座り、場合によっては彼らの母国語で会話しているケースもあります。

(そんななか、僕と友だちになってくれた、写真家の友だちとの奇跡的な出会いはこちらからご覧ください↓)

では人種の多様性が強いほど、人種の垣根を超えた友人関係は増えるのでしょうか。アメリカの大学では、入学者を選抜するときに、多様な人種の学生がバランス良く担保できるように工夫しています。僕はこの考え方に対し、「人種の多様性がより強いほど、それぞれの学生が自らの人種のアイデンティティを守ろうとする思想が強まり、結果的に人種の垣根を超えた交流は減るのではないか」という仮説を立てて、先行研究を比較することにしました。


1994年に行われた、アメリカの132の学校に通う7年生から12年生(日本の中学1年生から高校3年生」90,000人を対象にした調査の結果、人種の多様性が強い学校ほど、人種の垣根を超えた友人関係の数は全体的に増える傾向にあるが、同じ人種同士で友人関係を築く可能性も同時に高くなるという結論が出ました。

白人が80%・白人以外が20%の学校を事例に、この結果を考えてみます。このとき、白人の学生が持つ友だちのうち、白人以外の学生が占める割合も20%であることが理想です。しかし実際は、4%から15%程度だということがわかりました。ここで、白人が40%・白人以外が60%の学校のデータを見てみます。先程の事例より、白人以外の学生の割合が高いので、白人が持つ友だちのうち、白人以外の学生が占める割合も高くなると考えます。実際は、20%から40%ほどだとわかりました。

このデータはどのように解釈できるでしょうか。確かに、学校全体を占める白人以外の学生の割合が増える(20%→60%)と、白人の学生が持つ白人以外の学生の割合も増えています(4%〜15%→20%〜40%)。しかし、2つの事例を比較すると、学校全体を占める白人以外の学生の割合が+40%増えたのにも関わらず、白人の学生が持つ白人以外の学生は+15%程度しか増えていません。すなわち、「白人以外の学生が増えても、白人が持つ白人以外の学生は、思っているほどは増えない」とも解釈できます。

この調査では、白人を含めた4つの人種(Whites・Blacks・Hispanics・Asians)で調べていますが、全ての人種で同じような傾向が見られました。このことから、人種が多様であると、確かに人種の垣根を超えた友人関係は生まれやすいが、同時に同じ人種同士で固まりたがる傾向も強くなると結論づけたのです。


人種の垣根を超えた友人関係と、同じ人種で固まりたがるグループが同時に発生しているとは、一体どういう状況なのでしょうか?シカゴにある4つの高校で、エスノグラフィー(実態調査)を行った研究者の著書に、重要な観察記録がありました。研究者が調査した高校に通うある女の子が、「自分の高校は多様な人種の学生が集まっているとおもうか?」という研究者からの質問に対し、「多様だけど、交流はない (It's diverse, but not integrated)」と答えたのです。さらに、研究者がこの学校を観察したときに、「多様な人種や民族の学生が同じ廊下を歩いたり、教室で隣同士に座っているにも関わらず、彼らが人種を超えて交流する『必然性』を感じているようには見えない(they do not necessariliy relate to or interact with each other)」と記録しています。研究者は、データで計測される人種の多様性(racial comopsition)の背景に隠れた、同じ人種同士で固まりたがる特性を明らかにしたのです。

「多様だけど、交流はない」という言葉は、僕のニューヨーク大学での体感とも完全に合致しているように思えます。確かに、キャンパスや街を歩けば多様な国の学生がいますし、寮のなかでは多様な人種の学生が生活を共にしています。しかし、僕の白人のルームメイト1人を見てとったときに、彼は授業や寮のなかで、僕のように白人以外の学生と交流する機会はたくさんあるかもしれませんが、部屋でも僕と顔をあわせることはほとんどないですし、土日になると彼の白人の友だちが寮の部屋に侵入してきて、彼を連れて一緒に遊びに行ったり、パーティーに出かけていくのをよく見かけます。彼にとって、他の人種の学生と交流する機会はあっても、必ずしもそのような学生と交流する必然性はないですし、同じ白人同士で交流することを選ぶこともできるのです。(ちなみに、ニューヨーク大学に2020年に入学した1年生の白人は全体の20%、アジア人は22%です)


大学のコミュニティで、多様な人種と交流する人と、同じ人種で固まる人の違いはどのように生まれるのでしょうか?2001年から2002年にかけて、アメリカのあるひとつの研究型大学に入学した新入生を対象に調査した結果を見てみると、入学前に自分とは違う人種の友人が多い学生は、大学でも異人種の友人が多い傾向にあることがわかりました。また、大学のなかでの体験だと、
・寮で暮らす学生(Residential College Experience)は、異人種の友人が多い
・Greek Organization(アメリカの大学の社交グループ)に所属する白人の学生は、(このような社交クラブは白人が多いため、)異人種の友人が少ない。ただ、白人以外の学生がこのようなクラブに所属すると、白人の友人ができやすく、彼らにとって異人種の友人が増える
・国籍や人種ごとのクラブ(日本人同好会など)への参加は、異人種の友人の量と相関がない
・大学の授業への参加は、異人種の友人の量と相関がない
などのことが明らかになりました。


冒頭でも述べたように、友人関係の難しさは「自分と相手がお互いに友だちになる意思が持てないと友だちにはなれない」ということです。例えば、先程紹介した僕の白人のルームメイトの例でいうと、僕と彼は「同じ部屋で一緒に暮らした」という点では仲間かもしれませんし、僕から見たときに彼が、「人生で初めて海外で生活を共にした大切な友だち」であったとしても、彼自身が「アジア人よりも白人、もっというとアメリカ人の学生と一緒にいるほうがバイブスが合う」と思っていれば、彼と一緒に暮らした事実が必ずしもお互いの友人関係に結びつくとは限らないのです。(彼の考え方は全く間違いではないと思っています)留学して海外で友だちができるかどうかは、留学するわたしたち日本人の英語力や、多様な国から集まる学生に対するオープンマインドネスの問題と同様に、留学を受け入れる側の大学や環境、そこで暮らす学生が、留学生(とりわけバイリンガルではない学生)を仲間として受け入れる意思があるかどうかにも大きく左右されるということがわかりました。

学生が、自分とは異なる人種の友だちの数が多いか少ないかは、過去の経験の積み重ねによって決定するということも明らかになっています。すなわち、「大学に入る以前に他の人種の友だちがもともと多い人は、大学でも他の人種との交流を持とうとするし、結果的に他の人種の友だちの数も増える。」ということです。これは読み替えると、大学自体が多様なコミュニティであるかどうかと同時に、そこに集まる学生が、多様な人種との交流を経験してきているかどうかも、異人種の友人関係が生まれる量に作用すると考えることができます。

ここで取り上げた研究事例は、あくまでも研究の結果に過ぎず、それぞれ多様な解釈が可能です。また、これらの研究が行われた時期と今を比較すると、SNSが大きな変数として、人間関係の構築に作用していると推測でき、取り上げた研究の結果と、今日の若者の感覚とは異なる可能性もあります。

今回の経験を通じて、僕自身が社会学を学ぶ学生として、大学が多様な人種との交流をどのようにデザインできるのかを引き続き学んだり、考えたりしていきたいと思うようになりました。また、この事実を日本の教育現場に当てはめたときに、学生が自分とは異なる考え方やバックグラウンドを持つ人と出会い、学んでいくためにはどのような方法が効果的なのかについても考えていきたいです。

最後に、アメリカの大学で学びたいと考える高校生へ、また海外留学を考えているみなさんへ。人種や言葉の壁にぶつかったり、自分自身がマイノリティになる経験をしながら、自分とは何者なのかについて悩み考えながら歩んでいく経験は最高に難しく、最高に楽しいということを、お伝えできたらうれしいです。

*追記:このnoteは、ニューヨーク大学に入学して、最初の学期で取り組んだ社会学の課題で書いたレポートがもとになっています。つたない文章&内容で恐縮ですが、参考までに、下記に実際に提出したレポートを添付します。アメリカの大学の課題ってこんな感じなんだなーというのを実感いただければうれしいです:)


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