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ウィズコロナのためのデザイン:広報のデザイン

コミュニケーションの仕事に従事していない他分野の専門家(今なら新型コロナウイルス感染症対策専門家会議あるいは厚生労働省官僚や内閣官房)がよくしてしまう間違いのひとつに、正しい内容のメッセージを発信すればそれは伝わる、と考えてしまうことがあります。
発信したメッセージが意図通りに伝わることは、まずありません。広報や広告関連の仕事をしていれば、このことは常識の範疇です。
伝えることに成功したとすれば、それはきちんと伝わるような工夫がされていたか、あるいは単に運がよかった(把握していない別の要因があった)だけです。
現状を見る限り、日本の医療専門家の大半はどうやらコミュニケーションに関する鍛錬や経験をしていないようです。専門家の観点から伝えたい内容を広報すればいいと思っている節があります。あるいは、大事なことは繰り返し繰り返し言っているので伝わっていると思っていたり。工夫はちょっと考えて、強いキーワード、強いメッセージを強く打ち出せば伝わると思っているような取り組みが、「3密」だったり「新しい生活様式」の提案に見受けられます。うまいこと言えば正しく伝わるわけでもないですし、繰り返せば伝わるということでもありません。コミュニケーションのプロがプロジェクトに関わっていないかあるいはポンコツによる仕事になってしまっているので改善する必要があります。このままではコミュニケーション自体は失敗します。そうなると期待する社会的行動変容になかなかたどり着けません。

広報コミュニケーションの際に考慮すべき4つの工夫があります。

 認知 > 興味 > 納得 > 行動

別の言い方でいうと、まず「おっ!」って存在に気づいてもらうことからコミュニケーションは始まり、「なになに?」と興味・関心をその場で持ってもらうよう注意を引きつけ、「ほほぅ」と理解してもらい、その時にできれば納得や感心までも得て、「いいね!」と発したメッセージが期待している行動につながることを意図するのです。この4つの工夫がきちんとできるとメッセージが適切に機能するのですが、残念ながら大抵はメッセージの多くがノイズやバイアスにやられてしまいます。なかなか突破できないハードな取り組みなのです。

まず知ってもらわないことには何も始まりません。通常の広報活動でもっとも大変な労力が必要になるのが認知されるための施策です。予算が一番投資される部分でもあります。
COVID-19対策についての広報に関しては、この認知部分の苦労は現時点ではほとんどないとみなせる恵まれた状況にあります。自分たちの命や生活に関わることなので、みんなが注目しているからです。そういう意味では、興味を持ってもらうという工夫もさほど苦労せずに済んでいるはずです。最初からとても注目されていますし、報道と各種番組や記事で取り上げられることによる拡散効果も抜群に高いです。政治家や官僚は慣れっこだと思いますが、感染症や公衆衛生の専門家集団からすると、たまにしかやってこないことですので、それこそ対処療法的にコミュニケーション作業と向き合っている状況なのだと思います。
ところが、認知や理解・興味をあげる工夫をしっかりやるという作業は、実は納得や行動という機能面も含めてしっかり検討するという意識につながるもので、結果としてトータルの品質を高められるというメリットにもつながります。苦労の甲斐が出ることにつなげられるのです。
「3密」にも「新しい生活様式」にも、この苦労の甲斐の痕が見出せません。思いついた体のいい言葉を並べているだけになってしまっています。「密」をみっつ並べたら語呂がよくて覚えやすくてわかりやすくていいだろ的な1970-80年代風の昭和ギャグセンスで乗り切ろうという意図がスケスケです。
「3密」という標語そのものにはきちんとした機能があります。 すごく頑張っていらっしゃるクラスター対策班によるクラスター・サーベイランスから導き出されたCOVID-19特有の特徴的なクラスター特性から、もっとも危険性が高い状況をうむリスク要因を的確に言い当てているからです。COVID-19クラスターの発生を最小限にするという機能が期待された標語として使われているわけです。クラスター対策に最適化されているといった方がいいかもしれません。
でも、逆に捉えると、クラスター対策にしか機能しない言葉です。この言葉だけですべての状況を防止したり、COVID-19を無力化するような機能はないと見立てるのが適切だと考えます。専門家会議自体はその機能は理解しているようです。ところがコミュニケーション上でその標語がどう機能するかまで吟味しているわけではないようで、「3密」をまわりのいろんな人が万能の象徴する標語としていろんなところで使おうとするから間違うのです。部分的機能を全体に適用しようとする行為からズレ=誤解が生じてしまうことにつながってしまいます。日本のクラスター戦略の限界が見えたので、緊急事態宣言を出してフェーズが変わりました。本来「3密」標語ではカバーしきれない状態が今の首都圏のはずです。これをまたクラスター戦略が取れるような状態=ダンス(戦略)の状態にすることができれば、「3密」にフォーカスするのも適切な状況になります。フェーズによってフォーカスを変える必要がある時にすら、「3密」は標語として使われ続けようとされています。こうなると標語が足を引っ張る危険性も同時にはらんでくる可能性が出ます。標語がひとり歩きしたり、標語自体が目的化して固定化してしまうのです。
こういう時、デザインはガイドラインを策定して活用します。デザインガイドラインやブランドガイドラインです。標語が意図通りに機能するよう、コミュニケーション方法に制約を設けます。意図通りにメッセージが伝わることに細心の注意を払うのです。きめ細やかにやります。当たり前です。医療だって姿勢は同じだと思います。臨床はきめ細やかにやらなければ、患者の命に関わるはずですから。コミュニケーションにとってメッセージは命と同じです。大切に扱う必要があるのです。誤解されないように伝えること、そして意図したような行動変容に結びつくように伝えること、このことを突き詰めてから提出するのです。ちょっと考えてうまいこと言ってみました、でうまくいくものと考えると 今はまだいいかもしれませんが(「新しい生活様式」はもうヤバい印象ですけど)、後でしっぺ返しが来たときに怖いです。

「新しい生活様式」については、言い出した最初からもうちょっと混乱をするような提案のように受け取られてしまっていて、コミュニケーションのやり方としては失敗事例の範疇に入る予測が立ちます。
しかし、専門家会議がこの「新しい生活様式」をどう位置付けて提言したかということに関して、5月4日の専門家会議による記者会見上では、きちんと説明がなされています。尾身氏がはっきりと位置付けています。感染症対策の3原則を示し、その3原則をふまえて、各場面でどのように立ち振る舞えばいいのかを具体例をあげて示したもの、これが「新しい生活様式」だと定義しています。
ところが、もう、すぐに「新しい生活様式」という言葉がまずひとり歩きします。標語化がまず専門家委員会の外で勝手にされてしまったかのようでもあります。標語として解釈できるような報道が多く出てしまいました。

打ち出すべきは、原理原則なんです。感染症対策の3原則がまず大事で、「人との距離」「手洗い」「マスク」を徹底してください、これでいいんです。ひたすら原則を繰り返すことがコミュニケーションとしてもメッセージとしても正しいです。この中で一番ノイズがのりそうなのは赤丸急上昇ワードの「マスク」ですが、「手洗い」はほぼ正しく伝わります。「社会的距離」はCOVID-19と共にやってきた用語ですが、各国で繰り返されることで、世界的な共通合意事項として抜群の認知になりました。あとは日本語でどう言うかだけです。「ソーシャルディスタンス」なのか、「ソーシャルディスタンシング」は採用されないでしょうね。「社会的距離」というのか尾身氏のように「身体的距離」というのか、「人との距離」なのか。個人的には「間合い」という言葉がぴったりだと思っていますが、ちょうど「1間」で畳の長辺約180cmと定義的にも意味合い的にもふさわしいですし。でも、「間合い」は採用されなさそうでちょっと残念です。真新しさでは「社会的距離」という言い回しがCOVID-19の「新型」感染症のイメージに重なるので、強いでしょう。意味合いでは「人との距離」という言い回しがもっともノイズが少なくて誤解がされづらいと考えます。こういうのこそ、専門家会議が定義して、率先して一貫して用語を使って浸透を図るのがいいのです。記者会見を見た限り、用語を統語することへの配慮はあまり重視していないです。いわゆる後回しですね。コミュニケーションに神経を使っていません。
で、あとはアプリケーションです。活用方法ですね。3原則を各場面に照らして解釈すると、どうなるかをそれぞれの現場で考えて行動すればいい、としています。それをまとめて「新しい生活様式」とやってしまった。アプリケーションにブランド名をつけちゃったようなものです。ワードとかパワポとか出ました。そう聞くと、ワードやパワポっていうブランド名でコミュニケーションが始まってしまいます。これもすぐひとり歩きしちゃいがちです。「新しい生活様式」ってまた人によって思い描くイメージが見事にバラバラとしてしまうカメレオン的な言葉に受け取れますし、パワーワードの様相を帯びたようにも印象づけられてしまったと思います。
「新しい生活様式」という言葉を使った説明は完全なミスだと思います。COVID-19対策の出口戦略上出てくる1フェーズを象徴する言葉のアイデアとしては、ほぼハンマー&ダンス戦略を利用して説明しているわけですから、「ダンスの踊り方(How to Dance)」とした方がよほど理にかなってますし、違和感がないです。ユーモアもあるし。他にもアイデアは出てくると思います。いろんなアイデアを出して、多角的に吟味して「総合的に判断」するのがいいと思います。今からでも遅くないので、改訂してしまえばいいと思います。
指標選びが大切なのと同様、言葉選びはコミュニケーションにおいて非常に大切です。おろそかにしてはダメです。興味関心がないのだと思いますが、医療問題を議論するのと同じくらいの時間を使って議論しないと、意図通りにはいかないものなのです。丁寧にやらないとダメだと確信しています。押谷氏や西浦氏が丁寧にやっているからこそ(いや彼らだけではないことくらい承知の上で象徴として)、日本は効果的に被害を抑えているはずです。コミュニケーション分野でもやるべきことは同じで丁寧にやれば、効果的に行動変容を引き出せるはずだと理解して取り組む必要があります。

専門家になるとありがちなのですが、自分の専門領域に関する基本的知識、そこには原理原則なども含まれますが、その知見を当然のことのように扱ってしまいがちです。専門家の暗黙知のようになってしまいます。でも一般人には、その知見は共有されていませんから、コミュニケーションがうまくいかなくなります。例えばこんどうの場合、PhotoshopやIllustratorなどの専門家ですが、ツールや機能の説明を行う際にやはり苦労をしてきました。デザイナーに説明する場合と、まだPhotoshopやIllustratorのことはあまりわかっていない人に説明する場合に、当然理解にばらつきが出てしまうからです。で、意外に、いずれもPhotoshopやIllustratorを活用したいので、機能の活用をしたいという目的は割に共通なのですが、PhotoshopやIllustratorの原理原則はデザイナーでもよくわかっていなかったりするのです。PhotoshopとIllustratorはどちらもデザインツールとして浸透しています。特にデジタルメディア用のデザインですと、どちらで作っても同じような仕上がりにすることができたりします。しかし、本質は、原理原則は大きく違います。Photoshopの本質は、一言で簡単に表すと、ピクセルの値を書き換えることです。いろんな機能を使ってマジックみたいな結果を出すことができるように見えますが、やっていることはいつも同じでピクセルの値をせっせと書き換えているのです。それに対して、Illustratorの本質は、プログラム(計算式)で絵(画)を描くことです。アウトラインに本質が宿ります。かたちの組み立てがIllustratorの道筋です。ピクセルの値の書き換えをPhotoshopみたいに正確に指示することはできません。このことをきちんと理解すれば、うまくこれらのデジタルツールとつき合うことができるようになります。原理原則を伝えることの大切さを常に意識しておくことが必要だと考えます。

日本のCOVID-19対策の戦略については、いまだに誤解があるのではないかと思います。これも主に広報の課題です。
はっきりとわかりやすく戦略を伝え、共有するということに成功していないのだと思います。これは主にリーダーシップの問題です。
日本がCOVID-19対策として採用している戦略自体はある程度説明されています。
こんどうは単なるにわかCOVID-19ウォッチャーで公衆衛生や感染症の専門家ではないので正しく理解しているかはいささか怪しいものですが、感染拡大のスピードを遅らせ、重症者数・死者数を最小限に食い止めるという目的をもった、疫学解析・数理モデル解析に基づくCOVID-19クラスター戦略です。押谷仁氏や「8割おじさん」西浦博氏がいち早く推論したCOVID-19特有のクラスターにフォーカスして戦略策定を行ったのだと思います。この戦略を採用したことは、今の時点で、非常に評価できると思います。結果に出ています。世界的にみても死者数はかなり低い水準に抑えられています。目的にかなっています。
ちなみに「8割おじさん」という世界的なあだ名はどうかと思います。誤解を生みますね。西浦氏の大きな功績は、COVID-19クラスターに対する推論です。クラスターという言葉が浸透したこともありますから、「クラスターおじさん」の方がいいと思います。
逆に後回しにされたのが、感染者数の把握です。ある意味ひっかかった部分を追っかけるのがクラスター戦略です。氷山の一角を相手にします。全容を把握することを戦略的に後回しにしたのです(いや、実際「大本営」の一部は後回しにはしていないと思います。表になかなか出てこないだけで並行して全容把握は試みてますねきっと)。このクラスター戦略の意図(原理原則と理解)の浸透を図ることが不十分だったので、日本政府の対応を批判する陣営の矛先にされたのです。全容の把握を追求しないとは何事か、と。これはもっともな言い分です。状況把握、情報収集は基本中の基本だからです。状況が把握できないので不安になります。社会全体が不安になることにはうまく手が打てなかった、これは反省点になると思います。ですから、後回しにしただけなので、着手が始まりつつあります。うまくダンスするには必要になるものだと思います。

やっぱり、全体に日本のリーダー達のプレゼンテーション能力の低さが浮き彫りになってしまいますね。すべて平常時のノリで対応しようとしているさまもあわせて、国民を不安にさせる要素は十分に兼ね備えています。行っていることや言っていることが正しくても、それが意図通りにはなかなか伝わらないわけで、そのもどかしさを当人が感じていればまだマシのですけれども。。。危機管理時のメッセージの出し方は、基本的にワンボイスワンメッセージだと思うのですが、残念ながら安倍首相も尾身茂氏も成功していません。ドイツのメルケル首相、ニュージーランドのアーダーン首相、台湾の陳時中衛生福利部部長、アメリカ合衆国のファウチNIAID所長などは的確なプレゼンテーションをし続けています。必ずしも「うまく」言う必要はなくて、自分の言葉で熱量と誠意をもって伝えるべきことを語ること、これができるかどうかがプレゼンテーション能力につながるのだと思います。

続く。。。

まだ草稿段階です。しばらくアジャイルで手を入れていくと思いますが、言いたいことが次から次から出てくるので、広がるのはいいのですが、なかなかすっきりとできない部分があります。論旨の根拠ももっとほしいですし。
ウィズコロナのためのデザインは考えていくほど根が深い問題に突き当たるので、俯瞰的に横断的に検討することとアジャイルの手法が必要だと考えています。


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