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童話ー僕と変な生き物ー




草の分け目から、翠色に光る何かがこちらを覗いてくる。


クローバーの雑草が頭に生えている。
モサモサとした生き物だ。
まん丸の大きな翠色の目が二つ、こちらを興味津々に見つめている。
僕は大きな虫網を片手に、ぼーっと立ってその生き物を見つめていた。
ヤドリギに似ているその生き物は、ヤドリギには無い目が付いていた。口がありそうなところは、髭の様に草が生えている。
大きな木々がまっすぐ伸びた雑木林で、僕は一人でカブトムシやアゲハ蝶なんかを捕まえようとしていた。でも、虫かごはすっからかんだ。

西陽が木々の葉を紅く染める頃、僕はそろそろ帰らなければいけないと思い、それでも、もう少し探したら、あの木の後ろにはもしかしたらとか、この茂みはいかにも何かいそうだとか、そう期待してその雑木林から離れられなかった。

そうしている時、その変な生き物は僕の前に現れたのだ。

僕はただじっとそれを見ていた。図鑑に載っているどの生物にも似ていない其れは、もはや宇宙の生物なのではないかと考えもした。

草の生えた丸く小さな身体。
大きな翠色の二つの目。
鳴き声は聞こえない、静かにこちらを見つめている…。

僕はこの危険な生き物では無い、むしろその生き物の姿に愛くるしさを覚えた。
向こうも危険では無いと感じたのか、小さなネズミの様な手足をのぞかせてこちらに近づいてきた。僕は立ち止まったまま、でも怖くて一歩後ずさりした。変な生き物は、まだ僕に興味がありそうな目をしていた。
「き、君はなんていう生き物なの?」
僕は、喋りもしないそれに話しかけた。
変な生き物はさらに興味が湧いた様に、僕の足元まで歩いてきた。
小さな手足は、歩いている時にのぞいて見えるものの、立ち止まると草の身体に隠れて見えなくなった。鼻なのか、口なのか、モゴモゴとその辺りが動いている。
その変な生き物は、僕の虫網を不思議そうに見てきたので、僕はその虫網を生き物の前に置いて見せた。
「これは、虫網だよ。今日はまだ一匹も獲れていないけど、カブトムシとか捕まえたくて。」
変な生き物は、虫網を端から端まで見て、さっと虫網の中に入った。
「わっ!駄目だよ、勝手に入っちゃ。」
僕は慌てて虫網を手に取り、網を逆さにして其れを出そうとしたが、頑として網から離れようとしなかった。
「困ったなあ。君を網に入れたままじゃ、虫を捕まえられないよ。出てってよ。」
僕はすっかり怖くなくなって、その生き物を両手で掴んで網から離そうとした。ひんやりと冷たく身体を包んでいる草は、柔らかい普通の草の様だ。
小さな手足は力があるのか、網にぴったりとくっついていた。
「君、結構力強いね。でもこの虫網はまだ使うから、離れてくれないと困るんだよ。えいっ!」
僕は勢いよく虫網を縦横にも振った。それなのに、その生き物は全く離れず、網にくっついていた。
それどころか、虫網が変な生き物の重さに耐えきれず、棒と網の間の付け根が曲がってしまった。
「ああ!壊れちゃう!」
僕は急いで網を地面に置いた。せっかくお父さんに買ってもらった大切な網なのに、虫も捕まえられずに使えなくなるのは悲しい。僕は諦めて変な生き物を抱える様にして、虫網を逆さまに持った。
「飽きたら離れてね。絶対だよ。」
僕はそう言うと雑木林から出て、田んぼの横を歩き、家までそそくさと帰った。
もう一番星が見えていた。僕は思ったより時間が過ぎていたことに内心焦った。
せっかく虫捕りに行ったのに、捕まえたというか、捕まったのは変な生き物一匹だった。

僕は電気の付いている明るい家に着いて、ほっとした。
少し小走りに歩いたせいか、胸がどきどきと鼓動を打って、額からは汗が垂れてきた。
手に持った虫網と変な生き物を、とりあえず家の横にある物置きの前に置いて、ただいまー!と言って家に帰った。
変な生き物は、置かれたまま静かにぼーっとしていた。鳴き声もしないし、動きもしないので、まるで玩具のぬいぐるみのようだった。
大きな翠色の丸い目の中にはキラキラと夜空が映っていた。口を少しもごもごと動かしたかと思ったら、すやすやと静かに眠った。

翌日、僕は何より早くにお父さんと話したくてうずうずしていた。
お父さんは仕事から帰ってくるのが遅くて、帰宅した頃には、僕はもう夢の中だった。お母さんは台所で忙しくしていて、僕に構ってはくれなかった。だから僕は布団に顔を埋めてお父さんが帰ってくるのを待っていた。虫網で虫を捕まえられなかったけれど、変な生き物を捕まえたことを早く言いたかった。頭の中はそのことでいっぱいで、あれは一体何の生き物なのだろう?と図鑑を広げて見ても分からなかった。似ている動物はいなかった。それより、大人しく物置きのところにいてくれているのかな、と少し不安にもなった。
でも、だんだんと瞼が重くなって、自分が何を考えていたのか分からなくなり、ぼんやりとしたら、眠りについてしまった。


はっと目が覚めた時には朝だった。

近くの鶏小屋で鶏が元気に鳴いている。
僕はガバッと起きて、布団を放り投げて居間に向かった。
居間には誰もいなかったが、お母さんは台所で朝ご飯のお味噌汁を作っていた。
お父さんは?と聞くと、昨日遅かったからまだ寝ているわと言われ、僕はがっくりとした。囃し立てられるように、顔を冷たい水で洗い、朝ごはんを食べた。
さっきまで目が覚めていたのに、まだ急に眠くなってしまった。
僕は縁側に不貞腐れたように横になって、庭の野菜畑をぼーっと見つめていた。

お昼前になってようやくお父さんが起きてきた。のしのしと階段を降りてくる音に、僕はハッとして振り返った。眠そうなお父さんを見て、僕は一目散に駆け寄って昨日のことを話した。
お父さんは話を聞く限りではその生き物が何なのか見当もつかないと言い、その変な生き物のことを不思議に思った。
僕はごはんを食べているお父さんに早く早くと急かし、家の横にある物置きまで手を引っ張って行った。
すると、物置には僕が置いたまま、置かれたまま動かずにじっとして眠っている変な生き物がいた。
しっかりと虫網にくっついたまま、その生き物は僕が来たことに気がついて目を覚ました。
後ろに立っているお父さんにも目配せしたが、特に驚きもせずにいた。
お父さんはまじまじと見てから、やっぱり今まで見たことのない生き物だと言った。もしかしたら、世界の大発見かもしれないぞと言うと、僕は目をきらきらと光らせた。
僕は生き物を持ち上げ、よく観察しようとしたが、生き物は相変わらず虫網にくっついたままだ。
むしろ、虫網の小さな網目に自分の体に生えている草が巻き付いて絡みついているような気がした。
僕は少し不思議に思ったけど、この変な生き物は少しも不思議でないと言うように僕を見つめた。
僕はこの時、やっぱり変な生き物だと思うべきだったかもしれない。




僕はすっかりお爺さんになった。
「これが、その時の変な生き物だよ。」
虫取りをして遊んでいた孫と近所の子供に話した。
物置きの横には大きく太く、立派な木が一本立っていた。
きらきらと緑の葉が風に揺れて、気持ちの良い木漏れ日が広がっている。
よく見ればカブトムシやセミもいる。
くねくねと根っこのように生えている枝に、あの時の虫網はどこかへ隠されてしまったようだ。
「おじいちゃん、この木は本当にお話に出てきた変な生き物だったの?」
孫は不思議そうにそう尋ねた。僕は少しも不思議でないと言うようににっこりと笑って見せた。
「そうさ。この木はあの時の変な生き物なんだよ。変な生き物の体に生えている葉が少しずつ大きくなって、枝になって、幹になって、僕の虫網を持っていってしまったのさ。」
「変な生き物の丸いお目目はどこにあるのー?」
今度は孫の友達が尋ねた。
「さぁー…どこだろうね。僕はずっと上の方にありそうな気がするんだけれど、もしかしたら、こちらを見つめているかもしれないし、寝ているかもしれないし。」
僕は、眩しそうに木の上の方を見上げた。
孫も、高い木を同じく眩しそうに目を凝らして見上げた。
孫の友達も、背伸びをするように見上げた。



今もあの変な生き物は、きっと何にも不思議なことではないと言うように、僕の虫網にくっついているのだろう。

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