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アドラー心理学に絡めた「天は二物を与えず」の考察

ここでは、日常で出会う出来事を、私自身が絶大なる影響を受けた、アドラー心理学を世に広めた『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』と絡めて考察したことを書いています.
実践を通して研究する日々の記録が、自分を前に進み続けさせる支えとなり、又上記読者の方で綺麗事として終わってしまった方のお役に立てると幸いです.

才色兼備、文武両道ということわざがあるように、世の中には、いくつもの優れた点を持った人がいる.天は二物を与えずなんて言うけど、何物も与えてるやん!って感じている方はどれくらいいるのかな?

それについて、ことわざを擁護する捉え方が天から降ってきたので、大発見だ!と思って記しとく.

予定だったんだけど、
天は、、、のことわざをググってる時に同じことを考えてた人が既にいたので、ここはさらっと説明して、私はアドラーと絡めて記しとこうと思う.


天から降ってきた捉え方とは、
天が1人の人に与えたものは一物で、そのあと二物三物と増やしたのは本人の力なんじゃないか、ということ.
一物とは容姿かもしれないし、記憶力かもしれないし、手先の器用さかもしれないし、感性かもしれないし、好奇心かもしれない.
もしくは、どこか身体の一部の身体的劣等性かもしれないし、忘れっぽさかもしれないし、異常な潔癖症かもしれない.

一見、ポジティブに見える特徴の可能性もあるし、ネガティヴに見える特徴かもしれない.(こう考えると天から与えられたものって、全くノーマークな点だったり、未だに気づいてないことかもしれない.)

ただ、何かはわからないけど、何かしら一物を与えられた、と.

問題は、これを私たちがどうしたか?ということ.アドラーの言葉を借りると、
“何を与えられたかではなく、与えられたものをどうするか?”
what → how に注目しなさい、と.

例えば私はちょっと大きいおっぱいが、与えられた一物かもしれない.が、今のところ上手く活かせている実感はない...太って見えるのはおっぱいの所為なのだ、と自己正当をする機会よりも、おっぱいの所為で余計に太って見られる機会の方が多いはずだ.また、おっぱいとお尻を除いて、全体的にスリムになれば、所謂“ぼんきゅっぼん”のグラマラスな体型を手に入れる可能性を秘めている.が、今のところ“秘めた”ままだ.世間ではこれを持ち腐れという.


つまり、羨まれる人たちは、与えられた一物が勇気づけになって更なる成長を遂げたか、
劣等感に対して正しい優越性の追求をすることで成長を遂げたか、もちろん環境の影響もあったかもしれないけど、何かしら自分の内なる力をもって発展させた先に、二物三物があった、ということ.


ワンピースのルフィーはゴムゴムの実を食べたけど、ゴムゴムの実を食べた人全員がルフィーみたいに強くなれるわけじゃない.
夏目友人帳の夏目くんは、妖力が高いことで苦労してきたし、今も苦労してるけど、でもニャンコ先生との出逢いが影響して、妖怪や人間のために自分の能力をつかおうって前を向いて成長してる.


そして、今の流れに全く関係ないが、アニメ繋がりとして挟ませてもらうが、無宗教の日本が一丸となる為に考えられた道徳を、近年こじらせちゃったお陰で生きにくくなった日本にとって、道徳に変わる存在はアニメなんじゃないか!!と今朝思いついた.


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羨んでるだけでいる場合じゃないんだよな〜〜
嫉妬してるだけでいる場合じゃないんだよ.

どうしようもなくしゅんとしちゃう時や、素直に「凄いね」「よかったね」「おめでとう」を言えない時ってあるけど、
そん時はそんな自分から目を逸らさずにいれたら良しとする.

それで、その時その時、出来ることに目を向けよう.すべき事はそれだけなんだから.
楽しい未来に繋がってるのは、その選択だけなんだから.

まずはガンダムなのかもしれない.2019年、半分を過ぎて後半戦.今年こそガンダムを観ます.6ヶ月のうちに成し遂げるよ.これが二物三物に繋がる1歩かもしれない.

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