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感謝できない人が払っている対価

物事には二面性があるから、いつだって、何を選択したって、私たちはそれに見合った対価を払っている.
私たちは、何を得て何を失っているのかをどれくらい知っているのか?

そんなの、考えた人しか知らない.
知ってる人しか、最良の選択なんてできない.
何が最良かなんて、本人にしか決められない.

自分には、ちっぽけな裁量権しかない、なんていうのは大間違いである.

ある職場に、朝一に出勤し、他人の分までお湯を沸かしてくれる人がいる.
そして、遅く出勤した人は、その恩恵を受け取る.
この時、2種類の受け取り方がある.

◇誰かがお湯を沸かしてくれている状態に対して
1:有難いと思う人
2:当たり前だと思う人、何も思わない人(無関心)

社会(大人)は”感謝しろ” だけ切り取って叫んでるけれど、わたしはどっちを選択してもいいと思っている.

1000回以上教わった道徳的な ”人に感謝しましょう!”なんて受け売りじゃなくて、実体験から学んだ感謝について”対価” の観点からアドラー心理学に絡めて記しとく.


散々自分勝手をやって、「自分の行動と周りの人がやってくれてる事をよく考えろ」と何度も言ってもらって、それに沢山反発してきた.
ある時、何の前触れもなく、今まで指摘して貰ってたことの意味が一瞬にして全身を満たした.

わたしは2→1の世界に足を踏み入れた. 
些細でありながら、世界をひっくり返す転換点.
幸せ実感と謙虚さを生み出す毎日になった.

◇1と2が得ているそれぞれの対価
1:他人とのポジティブな繋がりを感じる世界
  私はこの世界の一員である.
  助け、助けられながら協力して生きている.
  私はひとりじゃない. 私は今ここに存在している. 
→【安全な場所(居場所)・安心・仲間感】
2:他人との繋がりを感じない、もしくは繋がりを薄く感じる世界
  私はこの世界にひとり、ポツンといる.
  自分のことは自分でやるしかない. 誰の援助もなく生きている.
  利害関係の上に成り立つ関係性の中に、私は存在している.
→【危険な場所・不安・孤独感】

これが1と2それぞれが対価として得ているもの.
感謝の対象が増えれば増えるほど、世界と自分との繋がりの強さを感じる.
言葉だけとって感謝しても、表面的に円滑に見えるだけ.内面に湧き出る感情は、深層心理という根っこから生まれるから、頭で処理したって意味がない.心で処理する解釈を変えてはじめて、世界は変わる.

ということは、2→1に移動するには世界を変える必要がある.2の延長上はどこまでいっても2でしかないから.2の延長上に1はないから.

目の前の人が、もしくは顔も名前も知らない誰かが、1だろうと2だろうと、どっちでもいい.精確に言うなら、どっちを選択するかは、私がとやかく言うことではない.
ただ私は、
1の人は1の世界に住み、2の人は2の世界に住む、という考えを、興味のある人・必要と感じてくれる人に伝えるだけ.
立っているところから10歩くらい後ろに下がると視界が広がり、今まで正面しか見えてなくて気づかなかった、世界と私の繋がりに気づいたっていう経験を伝えるだけ.


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感謝を強要する人は、恐らく別の観点から“感謝”を捉えていると想像する.そして、その想像の内容についても興味深く思考しているので、またの機会に(^^)

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