当たり前の事実が見えなくなること、緊急事態。



よくかけられる言葉からみるSOS


上の子が小学生になったあたりから

「お兄ちゃんが、大きいからいいよね」

と入学前の子ども達の親御さんからよく言われるようになった。

帰りも遅いし、週末も習い事でいないでしょ?いいな、もよくかけられる言葉の一つにある。

良いなと思うということはつまり

小学生で手がかからなくて良いねということを言われているのかなと思う。  

確かに…トイレも食事も一人でできる。

幼児期育児は目が離せず大変なことが痛いほどわかるし、聞き流していたけれど

これらの言葉は毎年遭遇率が高くなる一方で

(たぶんこの一年はコロナの自粛生活も関係している)

毎回そうやって聞き流し実情も話さないで数年いたら、体調を崩した。笑

どうやら何かモヤモヤが溜まっていくようだ。

さてどうしようかと

とりあえず心の中でまずその「イイナ週末」を辿ってみた。(勝手に命名)

現在我が家のお兄ちゃんは小3。
週6回テニスをしていて週末は練習と試合だ。


朝5時半、お弁当と軽食の用意。
プレトレーニングとストレッチを朝練前にストップウォッチ片手に監督。
朝練へ。
迎えに行き、試合会場まで高速で1時間。
下の子付きでトイレやぐずりを宥めながら休憩を挟みなんとか会場に着く。

上の子の試合を見たいが下の子のお付き合いがメイン(初めて行く場所が多いのでトイレと、少し騒いでも大丈夫そうな場所を探すのがなかなかのサバイバル。
おやつを食べさせ汚した服を着替えさせたり、今ならマスクをさせるのに手を焼く)

夫が普段は長い試合はメインで付き添うため、名前と顔の一致しない保護者の方との付き合いはよく間違えてスルーして気まずい…(申し訳ない)

試合で応援含め騒ぎ声は🆖なのでわんぱく自由な次男はかなりキケン人物。
舌打ちと睨みにたまに心折れる。


…やっぱり無理だ。説明するのは。
だんだん、書いているうちに
もうげっそりしてしまってやっぱり何か嫌な気持ちになる。

それでも
あまりにも頻度が高い時期に、

少しすくってたまに
実情を話してみたりしたこともあった。


しかし、
逆に大変大変言っちゃって!という名もなき空気に返り討ちにあうことも多々なので

まぁもういいか、

とマインドコントロールでそのことでモヤモヤすることに対する執着をまた断ち切っていた。

それでも、頻度と自分の疲労度も関係しながらモヤモヤが溜まってしまうことは未だにある。


さて、どんな対応をしたら良いかと考え始めた。

対応を考えてみたら過去に行き当たる


最初に、頭の中の数々の反論から気がついたことがあった。


まず、聞き流し続けることは根本的にはその人のためにはなっていないのだろうなということ。

相手のなんの想像力にも繋がらない。

これは想像力で解決するはずの問題、
当たり前の事実では?と思ったところで


あれ、身に覚えがあるぞと過去を思い出す。


私も長男が小さな時、
我が子より上の幼児たち、ましてや小学生なんて一人で登下校している時点でなんて手がかからないんだ!と光り輝やいて見えたし、想像以上のあまりの自由の無さに
親として早く楽になりたいと思っていた。


少し手が離れて振り返られる様になったから

はっとしただけのことではないかと

はたと気がつく。

自分も同じ想いは抱いていたじゃないか。

そちら側の世界は、当時宇宙程遠く
ほぼ良い面しか想像が出来なかった。


あぁ、
これは幼児期育児の周りに向けた

SOSなのかもしれないと思った。


考えれば分かる当たり前のことがわからなくなる。


これは、緊急事態だ。


上記のことで少し考えればわかる事実は、

年齢が上の子を育ててきている人は皆
自分と同じ子の月齢をもちろん経験し
育ててきている。

兄弟の有無や内容に個人差はあれど。

大変なことも楽しいことも、経験してきている。そして今がある。

タスクの量もある、けれどそれだけではない


世の中には手がかからない子ってたしかに存在するけれど(分かりやすい所だと寝付きがよく、よく眠る子、好き嫌いがないなど)

自分より大変か大変じゃないかを引き合いに出すほど無意味なことはない。

他人がどのくらい大変かなんて自分には測れない。見えない。


子供も親の置かれている環境も性格も全然違う。

そんなことわかっていても口に出してしまう、出さずにはいられない時はあったように思う。


公園に行き、
ご飯を食べさせて昼寝をさせただけの日だって

タスク的には週末の過ごし方より
少なく見えても

その中に色々な事件やドラマがありバタバタして遠征の付き添い並みに疲れていたりする。

朝起きてご飯の支度をする。
夜泣きで睡眠は浅く頭が回らないが
次男がまとわりついてなかなか用意が進まないことに半分パニック。(寝起きは甘えたいBOY)
朝ごはんを食べさせこぼした口周りを拭きながら、片付けをして汚れた服を2回目の洗濯にかける。

洗濯場に行ってる間に牛乳をこぼしている。

公園に行くまでにも、すんなり行く日ばかりじゃない。
なかなか公園から帰り際引き離せない日もある。
極寒の中、夏なら灼熱の太陽の下知恵比べをする。
帰りたくないと泣き叫ぶ上の子を前に、
抱っこ紐に入れた下の子がぐずり出した日には全てを投げ出し逃走したくなる。笑

あげたらキリがなくて、タスクの多さで

大変さを図ることはできない。

楽しさや感動は共有し易いけれど、

小さいが毎日のそこかしこに点在しているこういった育児の「どうにもしようがない感じ」や見えにくいしんどさを想像できる男性を、
イケダン、イクメンと私は呼びたい。

タスクの量は、確かに関係している。

でも、それだけではない。


心が癒される方向と根本的解決

1歳には1歳の大変さがある。
9歳には9歳の大変さがある。

1人子持ちには1人子持ちの大変さがある。
2人子持ちには2人子持ちの大変さがある。
3人目、4人目もまた然りじゃないかと思う。

困ったら時間がある時はこう答えそれは
私の本音だけれど

正直なところ

「そっか〜、大変なんですね。」

と寄り添う方が心は癒されるのかもしれないと相手の様子を見ていて感じることも多い。

わたし、大人気ないのかな?と感じることもあり慎重さは大事なのかなと思う。
傷つけたい訳ではないから。


共感は癒しだ。

分かるよって言ってもらえる有り難さ。

身に染みるほど分かる。


でも、

時には本音も話しながら

相手が今の

「自分を切羽詰まらせている育児の原因」という本質に自然に向かえるといいなと思う。

いくら周りを羨んでも自分にしか自分の思考は変えていけないし、
自分の置かれている環境も自分が周りにSOSを出したり調べたり交渉しなければ変えていけない。

その人のハッピーな状態はその人にしか分からない。 

その家族の幸せの形も。
うまくいってそうな誰かと比べても
自分を掘り下げないと見つからない。

それぞれに原因は異なるけれど

詰まるところ育児に関する様々なことを解決するには巻き込み力が必須だなと思う故、

夫や仕事環境と向き合ったり、
内側外側の改革がマストになると思う。

しんどいけど、

あの時は大変だったね、と

後からどれだけ夫や家族と笑えるかはこの時期やプロセスにかかっていて

苦味の共有無くして夫婦の絆無し、と感じている。

その人の緊急事態宣言、SOSが

大切な周りの人にきちんと受け取られ
意味のある物になりますように。

そのママに笑顔でいられる時間が増えますように、と願う。


産後から幼児期までは、

心身に余裕がなくなるベースが毎日にできてしまいやすいのに改善も難しい時。

でも、猛烈にきゅんとくる可愛さもあり
日々の心の振り幅が恐らく人生で一番大きい時期ではないかと思う。
母だって揺れる。揺れてしまう。
人間が急激に成長する時期なんだもの、
それはそうだよなと過去の育児日記を読んでいても思う。

ナチュラルに緊急事態宣言が出てしまうほど、しんどさもあり幸せもある濃厚な時期。


手がかからない?手がかけられない?もはや入り込めない

子供の年齢が小さいほどこういう会話や
もやっとがあるなと感じていて、

年齢が上がっていくにつれそういう会話は
少なくなっていくように思うので機会は減る。

どんどん子供は子供の、個人の世界へとダイブしていく。

そんな風に以前話していたら
少しだけ先輩のママに今度は進路や、
悩んでいても子供対子供の世界に入れないもどかしさでそういう会話やもやっとが出てくんのよー!と言われ

小3になった長男が、今その世界に片足を突っ込み始めその言葉の意味を知る今日この頃。

手がかからなくなったらもう手がかけられない。

その世界に母親だからとなかなか入っては行けない。

いや、入っていかなきゃ行けない時もあるが

かなり神経を使う。

テニスコート外から試合を見守る様と似ている。(昔、HPコラムでも書いた記憶…)

やっぱりその月齢にはその月齢の

大変さがある。

でも、同時にその年齢にしか味わえない可愛さや感動もやっぱりある。

私の最近の感動は、
息子が学級委員になるために立候補しプレゼンして投票から役を得たこと。
ポケットからティッシュを洗濯前に出せるようになってきたこと。
お弁当箱を包めるようになったこと。

可愛いと思ったことは、

昨年のクリスマスからいよいよ気がついて

こちらサンタ側に回った長男がちょっと誇らしげな顔と

次男に気がつかれぬようとてもワクワクドキドキした様子で12月を過ごし、

クリスマス当日の朝を楽しみにしていたこと。

あんな小さな子供だったのに、といちいち感動してしまう。

終わりなき、育児。
まだまだ道半ば。

事実と想像力で大体解決する問題では?と

中盤で書いたけれど、

経験していないことはなかなか想像できないものだ。

だから、無駄な経験なんて一つもないのだなと思う。

経験しても忘れてしまっていたらまた思い出そう。

そのために、書いておこう。


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