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蟻になればよかったよ

 
「1、2、1、2」
「止まれ!」
 刑務官の声で、一斉に足踏みを止めた私は、スッと背筋を伸ばした。
「番号!」 
 号令に大きな声を張り上げる。私は、もう戻れないところまで来てしまった。ここが今の私の全てだ。どこで間違ったのだろうとか、どうしてこんな人生になったのだろうとか、そんなことは嫌というほど考えた。

 幼い頃から、はみ出ることを嫌って生きてきた。前の人間が進んだ道を、ただ従順に着いていく。弾き出されるものなら、この世界で生きていくのは難しくなると、私は、ずっと信じていた。平均であることに安堵し、平均であることに固執してきた。

 蟻はいい。
 蟻の世界ならきっと私は優秀だっただろう。

「どうしてこんなことを」
 面会にきた叔母はいつも泣いている。何のために会いにくるのか。殺したのは、父でも母でもない。私自身なのに、叔母は私を悪魔のような目で見るのだ。

「淳平も、病院にいられなくなった…」
 兄はもう、医者を続けられないかもしれない。叔母の責める言葉に、私は一ミリも罪悪感はなかった。

 きっと私が変なのだろう。父からも兄からも罵られ、母は見ないふりをした。集団で動くていくことを強制されていたのに、お前は周りより落ちこぼれているという。矛盾だらけだ。毎日のように続く痛みに、私は耐えるしかなかった。
 ある夜、これが家族の証だと、父は言った。何が家族か。人形のようにもて遊ぶ父の顔を、嫉妬に狂う母の眼を、この叔母は知らない。

 庭先で見つけた蟻のことを思い出す。蟻の列に水を注ぐとあっという間に集団は崩れていった。あぁそういうことか。私も自由になれる。そう思っていたのに、行き先を失った私は、どこへ向かえばいいのか、わからなくなった。あの蟻たちのように。

 今の望みはひとつだけ。ここを出たら、兄に会いに行こう。家族は皆、一緒がいいに決まっている。兄だけ独りになんてさせない。父も母もそれを望んでいるはずだ。だってそれが家族だから。

 あぁ、蟻になればよかったよ。


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