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『アテネのタイモン』ウィリアム・シェイクスピア 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

財産を気前よく友人や家来に与えることで有名なアテネの貴族タイモン。貯えが尽きることを恐れる執事の忠告も無視し贈与を続けるが、膨れ上がった借金の返済に追われることに。「友達を試す」と他の貴族らに援助を求めるものの、手の平を返したようにそっぽを向かれ、タイモンは森へと姿をくらましてしまい……。忘恩、裏切り、破滅。普遍的なテーマを鮮烈に描く。未完の戯曲として議論を呼ぶ問題作が、瑞々しい名訳で甦る。


アテネの繁栄に助力した資産家タイモンは寛大な心で人々に接し、毎日を盛大な晩餐で隣人を招き、多くの人々の望みを叶えて互いに満足していました。もてなすタイモンは、隣人として、または友人として多額の金を振る舞い、周囲には人情の人として知られて持て囃されていました。その行いが当たり前のように民衆には認知され、やがて見返りを求めて様々なものを売り付けようとする者が群がってきます。詩人は詩を、画家は絵画を、宝石商は首飾りをといった具合に、各々持参してはタイモンへ見せ、見返りに何倍もの金を持って帰ります。また、友人が逮捕されるとその保釈金を工面してやるなど、金ですべてを解決して友情の証を見せようとします。しかし、実際にはかつての資産は浪費によって消え去り、現在では借金が上回っている状態でした。執事フレイヴィアスはなんとかタイモンに現在の経済状況を伝えようとしますが、主人は一向に取り合わずに聞く耳も持たないといった様子で伝えられません。唯一のタイモンを批判する人間である哲学者アペマンタスは、そのようなタイモンの振る舞いに厳しい言葉で批判しますが、これもやはり響くことなく耳を通り過ぎていきます。


このような状況に不安を抱いた三人の債権者は、友人タイモンに対して厳しい督促を試みました。タイモンは狼狽しながらもフレイヴィアスに返金を指示しますが、そのような金はもちろん無く、ならば土地を売るようにと指示しますが、これもやはり抵当に入っており工面できません。タイモンは何故このような状況に陥るまで問題を放置していたのだと詰め寄ると、フレイヴィアスは真摯に訴えようと試みたことを嘆きながら主人に伝えます。タイモンは状況を理解したものの、ならば毎晩のように訪ねて友情を確かめ合っている大勢の友人の助力を乞おうと、召使たちを用いて金の工面を指示しました。召使たちは、それぞれ別の友人の元へ事情を伝えて金の工面を願います。ところが、毎晩の食事会で友情の言葉をあれだけ交わしていた友人たちは、タイモンの財産が無くなると知るや否や、態度を変えて全員が協力を拒みました。そして保釈金を手配した人物にさえ、協力を得ることができませんでした。この結果を聞いたタイモンは激昂し、友人と思っていた人々、さらには自らが繁栄の礎となったアテネの街そのものを憎悪します。気持ちを鎮めることのできないタイモンは、過去の友人たちを再び招いて仕返しをしようと企みます。一計を案じた彼は憎しみを放つ晩餐会を開きます。そして憎悪を放ったタイモンは友人を捨て、アテネの街を捨て、郊外の荒野へと身を隠します。


一方で、タイモンの友人であった将軍アルキビアデスは、部隊の友人が酔った勢いで殺人を犯してしまったことで、元老院議員に対して酌量を願い出ていました。軍人としてどれほど貢献したか、一時の気の迷いであった、自分の軍が果たした功績も考慮に入れて欲しい、と言ったことを並べ立てましたが結局は受け入れられませんでした。これに対して激昂したアルキビアデスは、自身の持つ軍隊をもってアテネの街を殲滅すると言い放って別れてしまいます。

何もかもを失ったタイモンは荒野の森の穴蔵で過ごしていました。腹が減っては木の根を齧り、喉が渇いては源泉から水を得ていました。ある時、木の根を探して掘り起こしていると大量の金が土のなかから現れました。金の必要の無い生活を過ごしているうちに金を手にして、困惑しながらもある程度は手に納めておきました。そこへ元老院と仲違いをしたアルキビアデスが訪れて、タイモンにアテネの街を破壊しようとする意思を伝えました。憎悪の先が一致したタイモンは手持ちの金をアルキビアデスへと渡して、ぜひアテネを破壊してくれと強く訴えました。そして、アルキビアデスはアテネの街へ軍隊を率いていきます。次はアペマンタスがやって来て、タイモンの愚かさを次々と毒舌を交えて語り掛けますが、これに負けないタイモンの応酬は僅かな共感を生みながらも、アペマンタスは嘆きながら離れていきます。その後、詩人や画家がやって来て変わらぬ友情と見せかけた無心を試みますが、タイモンはこれを盛大に拒絶して跳ね除けます。


アルキビアデスの進軍をなんとか止めたい元老院は、フレイヴィアスの協力を得てタイモンの元へと到着します。過去の栄光とそれ以上の名誉を与える見返りとして、アルキビアデスを止めて欲しいと交渉しますが、残念ながらタイモンはこれも拒絶してしまいました。交渉を諦めた元老院議員たちは、直接アルキビアデスの軍を待ち受けて和平を提案しようと試みます。アルキビアデスが街門に到着すると、元老院はアテネの全人間が侮辱したわけではないとして、殲滅する必要は無く、侮辱したものだけに憎悪があることを理解させます。これに同意したアルキビアデスは進軍を収めてアテネに入ると、遣いの兵士からタイモンの死を告げられます。彼の墓碑銘を嘆きながら読んだアルキビアデスは、自分を誰もが憎んでいると思い込んで死んだタイモンに、実はそうではなかったことを思い、彼に尊敬と悲しみの念を抱いて終幕となります。


本作は実に不幸が多く、救いの無い悲劇として描かれています。最後のアルキビアデスとの対比が顕著ですが、タイモンは数人の友人の裏切りによってアテネと全てのアテネ人を憎みました。しかしながら実際は、アルキビアデス、元老院議員たち、フレイヴィアス、そして恐らくアペマンタスと、劇中の関わりがあるだけでもこれ程の理解ある友人が存在していました。タイモンが真の友情に目を向けることができなかったのは、友への善行(実際には金をばら撒いているだけ)が過ちであったことを突き付けられたという衝撃が激しかったためであり、自己の信念が崩壊したことが理由であると言えます。友情の築き方を理解しておらず、金に群がる民衆を自分の徳ゆえに集まっていたと思い込んでしまったことが、タイモンにとっての不幸でした。


道化とともに荒野に現れたアペマンタスは、タイモンの心に最も近付いた存在でした。貧しい生い立ちであるアペマンタスと、急落して貧困の人となったタイモンは、世間に対して非常に近い距離を保っており、人々への批判、社会への批判は共感を持って(啀み合いながらも)語り合われます。しかし、それでもアペマンタスは理解を純粋に見せることもなく、友情の言葉を語ろうとはしません。ここには、他の群がる民衆と同類となるような優しい言葉を掛けることは憚られ、毒舌を交わしながらただ立ち去るのみという行動を見せたのだと考えられます。そして、道化とともに行動することで、「道化ではない」ということを主張しており、実ることはありませんでしたが、真の友情を持つ人物であることを明示しています。


というのは、実は最初にいい漏らした事だが、彼の言説もまたあの開けて見るようになっているシノレスに酷似している。実際、ソクラテスの言説を聴こうとする者には、それは最初はきっときわめて滑稽に見えるだろう。それはまさに、傲慢なサテュロスの毛皮にでも比較すべき詞やいい廻しで外側から包まれている。たとえば、その常々口にするのは荷驢馬や、鍛冶屋や、靴屋や、製革匠のことである、しかも始終同じ語句で同じ事を説いているように見える。それだから無経験で暗愚な者は皆彼の話を嘲笑せずにはいられない。ところが、それが開かれるのを見、その内部に押込んで行った者は発見するであろう。第一には、ただこの言説だけが内に意味を包蔵していることを、次にはそれが極度に神々しく、徳の像をきわめて多く内に蔵していることを、またそれは気高くかつ優良になろうとする者が目指すべき非常に沢山の、というよりもむしろ、一切のものを包括していることを。

プラトン『饗宴』


これはプラトン『饗宴』のなかで語られる、アルキビアデスによるソクラテスへの頌讃の辞です。アルキビアデスはタイモンと対比的に描かれています。ソクラテスに見るエロス(愛)の理解者たるアルキビアデスは、突き詰めると人間の徳性を伴う知恵の愛を理解していると言え、だからこそアテネを滅ぼそうと激昂した感情を制して「人々の親愛」を信じることができたのだと考えられます。これに付随して、親愛は人間の表面だけでは判断できないということをアルキビアデスは理解していました。これに対してタイモンにはその理解が見られず、金に群がる民衆の表面的な賛辞を間に受け、上面の言葉を信じていたがために愚かな散財を行ったのであり、民衆の真意を突き付けられた際に極端な憎悪を募らせたのだと、読み手は受け取ることができます。そして、アテネとの和平を手に入れたアルキビアデスと、アテネとの和解を得ることなく死を迎えたタイモンとは、対称的な明暗を見せています。


ああ、神々よ!
むこうにいるあの落ちぶれ蔑まれた人は、わが主人か?
あんなに痩せ衰えて? ああ、誤ってなされた
善行の驚くべき記念碑ともいうべきお方!
とことん困窮すると、名誉がこんなにも堕落するとは!
あんなに気高い人をこんなにも貶めるとは、
友達ほど忌まわしいものがこの世にあろうか!
「汝の敵を愛せ」とは、まさに
今の時代にふさわしい教えだ。
警戒すべきは、友達面をして害をなす者。
むしろ害をなしたがる敵こそ愛したいもの。

第四幕第三場


忠実なるフレイヴィアスの言葉には尊敬と悲しみが込められており、読む者へ清浄な気持ちを呼び覚まさせてくれます。最も近くに居た「親愛なる人」の真の価値をタイモンが気付くことが出来ていたならば、このような悲惨な結末を迎えることはなかったのだろうと考えてしまいます。非常に暗い雰囲気で進められますが、アペマンタスやタイモンの詩性溢れる台詞が随所に見られ、感嘆させられる場面を多く含んでいる作品です。『アテネのタイモン』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。


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