『不思議の国のアリス/鏡の国のアリス』ルイス・キャロル 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこの二作品です。
ルイス・キャロル(1832-1898)は、軍事や聖職者を多く輩出する家系に生まれ、彼自身も聖公会(Anglican Church)に所属して、幼い頃より裕福な環境で育ちます。熱心な信者でアングロ・カトリック(英国国教会を肯定する高教会派)に傾倒し、その運動の基盤となったクライスト・チャーチ(オックスフォード大学)へ通いました。持って生まれた数学者としての才能を存分に活かし、優秀な成績を修め、そのまま数学の大学教員の資格を取得して講義を行いました。また、後にクライスト・チャーチ図書館の副司書を務めるなど、元来関心を持っていた文学にも関わっていたことが認められます。二十六年という実に長い期間をこの場で過ごしました。多くの面で大学に貢献していたキャロルは、大学長を兼ねた学部長ヘンリー・リデル夫人に重宝され、家族ぐるみの交流を毎日のように行います。しかし、彼の数学者としての表情の裏には、想像力豊かな芸術家としての才能が潜んでいました。彼は写真家としての才能も持ち得ており、主に少女を被写体とした作品を数多く撮影し、写真館を開くに至ります。この被写体にはリデル夫人の三人の娘も対象であり、そのなかの一人アリス・リデルに熱意を注いで取り組んでいました。
三人の娘との交流はリデル夫人が不在の場面も多く、撮影も頻繁に行われていました。写真撮影だけでなく、共に草花を愛で、ボートを楽しみ、話に花を咲かせました。このような時にアリスはよく、キャロルへ「創作話」を求めました。即興で物語を求めるという高度な依頼に、キャロルは持ち前の創造力と論理的思考と文才を持って、多彩な物語を繰り述べて楽しみを与えていました。彼は数学者として活躍する傍ら、創作の才能も開花させ、詩や短篇小説を書いては雑誌へ寄稿していました。多くの作品が諷刺を効かせたものでしたが、非常にユーモアに富み、読書にも多く受け入れられていました。このような時期に、例の如くアリスへ創作話を繰り広げていると、彼女はこの話を書き留めて一冊の本にして贈って欲しいと願いました。それを受けたキャロルは、表紙のデザインや装丁、文章や挿絵もすべて直筆で描いた『地下のアリスの冒険』という作品を作り上げました。この頃、深い親交にあった聖職者であり作家であるジョージ・マクドナルドにこの旨を話し、草稿を持って行くとマクドナルドの家族は多いに楽しみ、「ぜひ出版するべきだ」という話になりました。そして未完成な状態であった作品をマクミラン出版社へと持ち込むと流れるように話は進み、加筆と改題を経て『不思議の国のアリス』が誕生しました。
キャロルは幼い頃に重篤な発熱に苦しみ、後遺症で片耳が聞こえなくなりました。さらに十七歳のときに彼は重度の百日咳を患い、これが後年、慢性的に肺を弱めた原因であったと考えられています。また、幼少期より彼には吃音癖が現れ、彼自身はそれを「ためらい」と呼んでいました。そして、彼の生涯を通して晩年まで吃音は残ります。コンプレックスとして捉えていた彼は、自分の名字(本名ドジソン)を発音の難しさに言及して、 『不思議の国のアリス』のドードーとして自分自身を諷刺したと言われています。しかし、三人の娘たちをはじめとして、子供に向けた言葉には吃音は出なかったと話しています。意識は吃音癖に囚われず、存分に空想し、創造することによって、童話作家として流暢な言葉が綴られ、色鮮やかな物語が構築されていきました。そして、キャロルの洗練された論理、社会風刺、純粋な幻想性の組み合わせにより、本作は子供と大人の両方にとって古典的な文学として読み継がれています。
『不思議の国のアリス』において、アリスは自分が遭遇する状況には何らかの意味があるとして考えますが、不思議の国で起こる事柄は理解しようとする試みを何度も挫折させられます。アリスは作中で多くの不条理な身体的変化を経験します。身体が大きすぎる、小さすぎる、といった憤慨は、思春期に起こる変化の象徴として現れています。絶え間のない身体あるいは精神の変動は、思春期の成長に伴う不快感として描かれ、自身の力では抑えられない強制的な大人への変化に当惑しているようにも感じられます。また、動物たちの党員集会の発言や、マッドハッターの謎掛け、女王に巻き込まれるクロッケーなども同様に困難で不条理でした。不思議の国でアリスが提示される謎や問題には、明確な目的や解答はありません。このような描写で、キャロルは問題が身近で解決可能であるように見えたとしても、人生や社会がどのように期待を裏切り、解釈に抵抗を見せるかということを、童話的に読者へ訴え掛けています。また、『鏡の国のアリス』では、アリスに「クイーンになる」という明確な目的を持たせ、双子のダムとディー、ハンプティ・ダンプティ、白の騎士などとの会話において、ただ受動的になるだけでなく、自身の意思を固持して主張するという姿を見せています。不条理に負けず目的を果たそうとする一貫した自己主張の姿勢は、これから世を渡る少女たちへのエールとも受け止めることができます。
キャロルが少女を被写体として写真撮影を行っていたことで、彼の見方を二分する動きがありました。一つは、少女を被写体とした写真ばかりが残存していたこと、そのポーズは裸体が多かったこと、吃音癖が子供の前では出なかったことなどにより、キャロルを「小児性愛者」として見る見方です。もう一方は彼が信仰深く、且つ、ロマン主義に強く傾倒していたことから、少女たちを純粋無垢な存在として見ていたという見方です。そして、これには明確な判断材料があります。当時の大学教員は教会の聖職者という扱いであり、子供と親しいことよりも、大人の女性と親しいことが大きな問題とされていました。キャロルの死後、遺族らが故人の評判に配慮して、成人女性とのあらゆる交際の記録を長年にわたり隠匿したことで、彼は少女にしか興味を持たなかったという誤解が生まれました。当時の遺族が社会的不名誉と恐れたものは、裸体の少女ではなく、露出度の高い年長の女性であったため、該当する写真がすべて破棄されたために、少女の写真だけが批評の対象として残されたという顛末でした。
しかし実際に、キャロルは幼少期の純粋な幸福に対する強い郷愁の念により、接する大人たちの前では強い不快感を感じていました。少女たちと共に過ごす時間は、キャロル自身が彼女たちに理解されていると感じ、大人になってから感じた純真の喪失を一時的に忘れることができました。このような束の間の幸福感情がキャロルの創造を安楽にし、『地下のアリスの冒険』を生み出し、そこに彼の抱く憂鬱と喪失感を吹き込みました。そして、夢から覚めるという結末で喪失を表現し、遠回しに彼女たちへ世の中の不条理に対する心構えを与えています。このようなことから、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は少女たちへの応援歌とも言えます。
信仰に厳格で、論理的思考に長けており、政治や神学においては頑なに保守的であったキャロルの人生は、ごく若い頃から綿密に計画されていました。作家として大成するという不確定な要素さえも、「いずれ成せる」と自覚的に意識していた彼は、一貫した自己主張によって実現させるに至ります。しかし、彼は富と名声を獲得したにもかかわらず、生涯を形成した何十年も生活を変えず、晩年までクライスト・チャーチで教鞭を振るい続け、亡くなるまでそこに住み続けました。キャロルの数学と論理の鋭い理解力は、持ち前の言語的ユーモアと機知に富んだ言葉遊びにインスピレーションを与えました。そして、少女たちの心に対する彼独特の理解によって、未来を担う幼き人々へ向けて想像力豊かな作品を残しました。書籍情報社版の『不思議の国のアリス』では、『地下のアリスの冒険』のレプリカを手にすることができます。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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