「女雀士から愉快に生きる社会教育の発信者に変身! 」湯川カナさん 〜モトヤフインタビュー〜
本日はヤフー・ジャパンの創業時メンバーの一人で、サーファー第1号でもあった湯川カナさんにお話を伺いました。ヤフー退社後はスペインで10年間過ごされ、その後「一般社団法人リベルタ学舎」と「なりわいカンパニー株式会社」を設立され、現在も代表として運営されています。
-お名前を教えてください。
湯川カナです。あ、当時は旧姓でした。そうだ、初期サーファーはテレビドラマの「太陽にほえろ!」みたいにニックネームで呼ぶ慣習があったのですが、私は「カナ」でした。まんまですね。
-お生まれはどちらですか、また現在どちらにお住まいですか。
長崎生まれで、いまは神戸在住です。
-これまでのプロフィールをご紹介ください。
早稲田大学法学部在学中に、孫泰蔵さんの学生起業に参加した縁で、ヤフー・ジャパン創設メンバーとなりました。社員番号は8だったかな。その後、数億円分?のストックオプション権を返上して、言葉もわからないスペインへ移住しました。
現地では10年間、「ほぼ日刊イトイ新聞」をはじめ雑誌などでフリーライターとして活動していました。
帰国後は神戸を拠点に、共に生きる力を高める学びの場「一般社団法人リベルタ学舎」、共に生き抜くフリーランス・複業コミュニティ「なりわいカンパニー株式会社」を設立して運営しています。また兵庫県初代広報官も務めました。
そのほか、TedxKobeでは「弱みを軸とした最強のチームづくり」についてプレゼン。
あとは内田樹氏との対談を収録した『他力資本主義宣言―“脱・自己責任”と“連帯”でこれからを生きていく』(徳間書店)等、著書が4冊あります。すべて「私はポンコツですが、ポンコツなみんなで楽しくやっていこうぜ!」というテーマかなと思います。
-ヤフーに入ったきっかけは何でしたか?
司法試験に落ちて就職浪人が目前となった大学4年生のタイミングで、バンド仲間の友人に紹介された孫泰蔵さんが学生起業することを知り、その会社「インディゴ株式会社」の営業兼広報部長になります。
これを契機にヤフー・ジャパンの立ち上げに関わり、その後、まだ得体のしれないヤフーに私だけ転籍することになって、第1号サーファーになりました。それが大学を卒業して直ぐの1996年4月、ヤフー・ジャパンのローンチのタイミングです。その後、1997年12月まで在籍していたと思います。
-ヤフーでのお仕事はどんな内容でしたか?
サーファーでした。
ローンチ前は、基本的にはデータベース用のウェブサイト登録をしていました。ローンチ後は、第1号サーファーとして引き続きウェブサイト登録や、クールマークをつけたり特集記事を企画して書くなど編集的な仕事もしつつ、サーファー用マニュアルを作ったりもしていました。当初、現場に有馬さんと2人しかいなかった時期もあって、電話やメールのユーザー対応もしていましたよ。本当に「いえ、ヤッホーではないんですー」って必死で説明してました(笑)。
その当時いちばん印象に残っているのは、本当に多くの登録依頼フォームのコメント欄に「〇〇村から、世界に発信!!」という言葉が躍っていたことです。
それまでは常に情報を受け取る側だったたくさんの人が、今度は情報の発信者となるんだという、爆発的な喜び、その大きな大きなうねりを、毎日、鳥肌が立つくらい実感していました。
-ヤフーで学んだことはどんなことでしたか?
前例のない仕事をするおもしろさ、比類ない個性的な仲間と仕事をする愉快さです。「インターネットでフラットな社会が実現する、そのためには情報格差を生んではいけないから、インターネット上の図書館をつくる」という、ジェリー・ヤンの熱い思いを受けた日本の初期メンバーの「俺たちがインターネットで日本に新しい社会をつくるんだ!」という鼻息の荒さと、こういうわけのわからない場所に来てしまうおっちょこちょいが織りなす、ドタバタの毎日は、振り返ってもめちゃくちゃ痛快でした。
-ヤフー時代のエピソードやトピックはありますか?
私は前の会社から転籍したため面接を受けてないのですが、その後社長の井上雅博さんがサーファーの採用条件について「他の組織ではやっていけないくらい、突出してダメなやつ」という意味のことを話していたのを、強く記憶しています。
理由をきくと、「いままでの社会ではダメなやつって言われてた人が幸せになるのが、インターネットの可能性。とくにサーファーはヤフーの心臓部だから、好き勝手にやってるのが大事。だからカナちゃんも好きにやってね」と、例の顔でニッと笑って。そういえば「ヤフー」という言葉が「ならず者」という意味なのはそういうことでもあるんだな、なんかいいなぁと思いました。
あとは、大瀧詠一さんと大喧嘩したことも、強く印象に残っています。うろ覚えなのですが、大好きだった大瀧詠一さんのウェブサイトを登録したら、「ファンだけが見る前提なので」と削除依頼が来ました。たしか当時は、ウェブサイトにパスワードをかけるなどの技術はなかったんですよね。
私は「情報格差を生まず、誰もが公平にアクセスできるフラットな社会を」というヤフーの理念を誇りに思って毎日仕事をしていたので、断腸の思いで削除依頼をお断りするメールを出したら、先方と、自分の印象では「大喧嘩」になりました。でも私は「ここで譲ったらヤフーの理念を曲げることになる」と一歩も引きませんでしたし、組織としても23歳の小娘に「サーファーがヤフーの魂だから」とすべてを委ねてくれました。そのことが本当にありがたく、嬉しかったです。……で、結果どうなったか覚えてないのですが(笑)
-辞めたから分かるヤフーの良さというものはありますか?
とくにサーファーかもしれませんが、変な人ばっかりでした! 変な人だけど、いままで見たこともないわけがわからないことに、「自分がやりたいから」という理由だけで機嫌よく突っ込んでいくひとばっかり。そういう「人」そのものが、「ヤフーの良さ」だと思います。あとになって知り合うモトヤフの方々も、「なるほどモトヤフでしたか。納得、おもしろ!」ということが多いです。
(注:モトヤフ:ヤフー卒業生)
-ネクストキャリアを選んだ決め手は何ですか?
本にも書いたのですが、ストックオプションでよくわからない大金が入ってくるのが怖かったというのが、大きな理由です。学生時代に学費を稼ぐために雀荘でアルバイトしていたこともあり、いろんな人が身の丈を超えた大金で人生を狂わせる話を何度か聞くことがあって、大きなお金は怖いな、と思っていたせいかもしれません。
-ヤフーを辞められて直ぐにスペインに渡られ、しかも約10年間を過ごされたそうですが、スペインに行かれた理由や、行かれてからのエピソードがありましたら、ご紹介ください。
オフィスに寝泊まりするような創業期の過酷なハードワークが続く中で、ふと「もう何日太陽を見てないんだろう、美味しい朝ご飯を食べたいな」と思ったんです。それで、当時自分は「世界の国と地域」のディレクトリ担当だったのですが、翌日の登録依頼リストの一番最初の国に行くことにしようと思い立ってしまって。
そして実際に翌日のリストの一番目がスペインの会社だったですね。その頃、スペイン語で知っていた唯一の単語は「フリオ・イグレシアス」だったのですが、ま、やってみるか、と(笑)
でも、行って本当に良かったと思います。現地には落語に出てくる「長屋」のような雰囲気があって、必ずしもみんな裕福ではないのに、お互いに助け合って幸せな生活を送っているんです。ITバブル期の東京に疲れていた私には、初めて行ったのに、なんだか心の故郷のような場所でした。
スペインに行ってから、これからは文章を書くことを仕事にしたいと思い立ち、当時始まったばかりの「ほぼ日刊イトイ新聞』に連載を執筆する機会も得ました。また現地で子供も出産しました。でも残念ながら後年になって治安が悪くなったこともあって、子育てに不安がでてきたため、10年後、やむなく日本に帰国することになりました。
-現在のお仕事は具体的にどんな内容でしょうか?
神戸を拠点に、社会教育の「リベルタ学舎」とフリーランス・コミュニティでもある広報プロダクション「なりわいカンパニー」を運営しています。両社は「自分も誰もが誇りをもって生きられる社会を、みんなでつくる」ための、学びと実践の場という関係性にあります。
「なりわいカンパニー」のメンバーは、現在60名ほどいますが、みんなフリーランスなのでクセのあるひとばっかりです。井上さんの言葉を借りるなら「いままでの社会ではダメなやつって言われてた人が幸せになる」実験なんじゃないかと思っていて、みんなにもそう伝えています(笑)。
また、なぜフリーランスのコミュニティというかたちなのかを考えると、インターネットの本質である「自律・分散・協調」が原点なのではないか、これもあのインターネット黎明期にヤフーで体得したことなのではないか、とも感じたりしています。
またリベルタ学舎では、「ダイバーシティ&コラボレーション」を軸とした企業や行政の研修に加えて、中高生向けソーシャルアントレプレナーシップの地域協働PBL教育なども行っています。
これは「自己課題解決から、社会課題を解決しよう」というもので、具体例としては、坂の町の神戸ならではの「天気に関係なく楽しく学校に行きたい!」3人の中高生によるMaaS開発「WE:BIKE」プロジェクトなどがあります。
神戸の学校は坂の上にあるから、シェアリングサービスの乗り物を使いたい。でも既存のシェアサイクルはクレジットカード決済なので、中高生は使えない。もちろん車の運転免許もない。
「雨の日も含めて坂道を楽に楽しく学校まで行きたい」と「中高生もふくめてみんなが使える乗り物」というワガママからスタートして、「シニアカーに雨よけの屋根をつけて、自分たちが乗りたくなるようにかわいく改造する」という彼女たち3人ならではの発想が生まれました。
実験走行では、神戸市の協力も得て、公道で実際に走行しながら屋根つきシニアカーの乗り心地を確かめたり、市が運用しているシェアサイクル「コベリン」に雨よけの屋根をつけてみたりと、行政も巻き込んでのプロジェクトに発展しています。
最近、MaaSの車両開発に非常にお金をかけているのを見ますが、ひょっとしたら彼女たちのように、中古でのシニアカーを再利用する方法もあるのかもしれない。まだプロトタイピング中ですが、「アップサイクル型MaaSプロジェクト」が、実際に生まれつつあります。
その他には地元の武庫川女子大学やグロービス等で、ダイバーシティ組織運営や、市民協働参画についての講義や講演等を実施しています。また2018年から23年3月までは兵庫県初の官民複業広報官として、住民主役・地方主導というビジョンを立てて「廃藩置県」ならぬ「廃県置藩」を実施するなど、官民協働を推進してきました。どれも、「いろんなひとが主役になって、みんなで自分たちの社会をつくっていこうぜ」という活動だと思っています。
-現在の仕事の面白いところや素晴らしいところを教えて下さい。
自分と隣人がもっと幸せに生きられるよう、まだ誰も見たことのない社会を実現していこうという、クレイジーでポジティブなひとたちと一緒に仕事ができることです。……って、考えたらヤフーのときと同じですね。
-今、特に力を入れていることは何ですか?
なんかね、「バックキャスト」とか「課題解決」とか飽きちゃって。そうではなく、「プロセスのすべてを『宴会的』にすること」を、組織運営からサービス設計まで軸にするようにしています。
宴会的というのは、教育哲学家イリイチの「コンヴィヴィアリティ(自律共生)」というコンセプトの訳のひとつです。学びとは上から下に提供するものではなく、お互いを引き出しながら共に愉快になっていくことである。いろんなひとがいて、その誰もが主体的に参加できて自律的にふるまい、共に愉快になっていく場。これは「宴会」だろう、と。
イメージとしては、ヤフーの草創期にやっていたピザパーティ!フレックスタイム制だったのですが、ピザがあれば、宴会があれば、みんなが集まって、フラットな関係性のなかで話が弾んで、何かが生まれてくるんです。
事務局注
コンヴィヴィアリティ(conviviality):
<辞書的意味>宴会、陽気さ、上機嫌、共生
<学術的意味>自発的な個人が、人間的な創造性により、相互依存の中で構築される個的な自由。「自立共生」、「自律共働」。
-コロナで変わったことはありますか?
雇い止めになるひとが増えたり、こどもなど家族と一緒にできる仕事を選んでフリーランスになるひとが増えると思ったので、このコロナのタイミングでフリーランスのコミュニティ「なりわいカンパニー株式会社」をつくりました。
そもそも「カンパニー」という言葉は、「ひとつのパンを分け合う」という語源から「仲間」という意味をもつようになったといいます。みんなで「なりわい」をつくっていくような仲間の組織、という意味合いの組織です。基本的に全員、育児も含めて複業で、地域のゆるやかなネットワークのひとつのハブとなっています。
日本って、フリーランスの立場が非常に弱いですよね! 社会的信用も本当に得づらい。私がスペインから帰ってきたとき、家を借りるのも、クレジットカードをつくるのも、めちゃくちゃ大変でした。なのでコミュニティでは、フリーランスが誇りをもって仕事を続けていけるための環境設計や、ベーシックなサービスを、当事者たちの声からひとつずつ構築していっています。
オフィスには弊社とは関係ない自分の仕事を持ち込めますし、畳敷きでジャングルジムもあるのでこども同伴で作業できます。焚火など趣味の部活もありますし、要望に応えて社員「風」旅行として定置網いっこ買って大騒ぎしたり。あと、「いつでも食っていけるように」と昨年はお米を500kgほど生産してまして、農作業した分持ち帰れるようにしたり、オフィスに精米機を置いて社員「風」食堂を開いたりしています。
-これからチャレンジしたいことは何ですか?
あのですね! もう、こんなポンコツな私は、生きているだけで毎日が挑戦なんですが……。これからはとくに、次世代支援のところ、教育のところで、大きな挑戦をしたいと思ってます。
社会人だったらフリーランス、学生だったら不登校や通信制高校など、既存の制度に違和感をもって組織を飛び出してしまったひとに、私は強いシンパシーを感じてしまいます。そして、私が住んできたスペインや、家族が住んでいるアメリカに比べても、組織や制度への依存度が大きい日本社会では、組織を飛び出してしまった人が「得られなくなる」機会があまりに多いことに、めちゃくちゃ危機感を抱いてます。
とくに、私の娘もそうなのですが、いま急増している不登校の学生にとって、知識ではなく「協働すること」をリアルに学ぶ機会が失われていることは、すごく危ないんちゃうか、と。彼らがその後生きる社会は、協働で成り立っているので。
これまで2年間、放課後プログラムとして学生を中心に社会人を巻き込んで一緒に現実を変えていく実験をしてみて、既存の制度からはみ出してしまう学生たちのエネルギーをひしひしと感じてきました。
神戸で主催したプログラムに、阪神間はもちろんですが、2割の学生が首都圏から、さらに広島・名古屋・アメリカからも参加してくるんです。彼らのような、社会を変えたい、何かやってみたいと思う学生に、実際に社会を変えるプロジェクトを様々なひとと協働で取り組んでみる学びを軸とする高校を作りたいと考えています。
簡単じゃないと思うのですが、学生たちの声に押されて、動き始めました。今年はまず、プログラムを東京でも実施予定です。学校づくりは何年かかるかわかりませんが、もしもクレイジーでポジティブな方がいらっしゃったら、ぜひ仲間になってくださーい!
-イマヤフやモトヤフにひとことメッセージをお願いします。
ポンコツな私がいまでも誇りをもち続けられるヤフーをつくりつづけてくださって、本当にありがとうございます!
(注:イマヤフ:ヤフー在籍メンバー、モトヤフ:ヤフー卒業生)
-読者に伝えたいメッセージをお願いします。
新卒で生意気でポンコツな小娘は、1996年、息苦しかった日本にぽつんとできたヤフーという小さな場で、そこにいた素敵な方たちから、圧倒的に「信頼される」「自由にできる」経験をさせてもらいました。
だから私は同じことを次の世代に提供したいなと願って、ドタバタしているんだと思います。この世、シャバは苦行みたいな場所ですが、あなたにもきっと先行世代から贈られたギフトがあるはず。それを大きくして次世代に返していこうぜー!
そしてポンコツじゃなくても変わり者のみなさん、今日生きているだけで奇跡だよ、おめでとう! もっと愉快に生きられる明日を、一緒につくろー!!
-湯川さん、本日はありがとうございました!
モトヤフ公式noteマガジン トップページは
こちら↑クリックしていただくと他のインタビュー記事もご覧頂けます。
------------【事務局からお知らせ】----------------
こちらのnoteでは「モトヤフ」メンバー向けの様々なイベント情報や各種記事などを今後掲載していく予定です。「モトヤフ」メンバーは、このnoteのほかに以下の方法で正式登録をしていただくことにより、「モトヤフ(Yahoo! JAPAN:公式)」のFacebookプライベートグループメンバーになることができます。
このメンバー登録をご希望の「モトヤフ」の方は、以下の方法で入会申請をお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?