離婚後の初デート
離婚して半年が経った医局の納涼会だっただろうか。ビアホール独特のオレンジ色の灯りと明るさを残す夜空の下で、突然先輩にこう言われた。
「いいよなぁ、また恋愛できるなんて」
地元で誰もが知っている会社の社長令嬢と結婚し、可愛い3人の娘さんがいる先輩の言葉は、私には到底届かない高みから聞こえてくるようだった。かかっていたはずの恋するフォーチュンクッキーは遠ざかり、見上げても見上げてもどこにあるかわからない世界の眩しさにくらくらした。くらくらしながらも良い子ちゃんの私の自我は、これは励ましだ、とすぐに脳内変換した。羨ましさをにじませつつも、先輩もそのつもりだったと思う。そして私はなんとか「えへへ、いいでしょ」と微笑み返すことができたのだった。自分の言葉に置いてきぼりにされた私に、未来はそんな悪くないよ〜と可愛い声が歌っていた。
結婚してからも遊んでいる男性医師を、それはそれはたくさん知っている。結婚して遊んでいる女医さんには会ったことがない。なのに、独身じゃないと恋ができない、みたいな台詞は男性医師がよく口にするのです。この謎があなたに解けますか、レディースエンジェントルメン。
再スタートした独身生活は、先輩が思っているほど心躍るものではなかった。実は離婚していて…と周囲へ告げると返ってくる「あなたはどこか欠陥品なのでは?」という無言の問いに、地味に傷ついた。気丈な女ぶってるうちに、いつのまにか【私は大丈夫】というタスキをかけたバツイチ女が出来上がっていた。ハリボテのタフ女に、周囲は気づきはしても裏側までのぞくことはなく、自分だけがその気になっていたように思う。
初デートの彼とは、よく電話をしていた。自分の失敗談や黒歴史ばかり話す彼に、なんでこの人はそんな話ばっかり?という疑問があったが、自分をよく見せまいという誠意だったらしい。毎日電話するようになり1週間経ち、付き合ってくださいと言われた。そのときの私は、吉本ばななさんの『アムリタ』のワンシーンを思い出していた。
「会っていない私なんて私じゃないよ」
小学生の頃、大好きだったセクシーなシーンだ。
なので、とにかく明日会いましょうということにして、すぐに飛行機を予約した。
空港に迎えに来てくれた彼は、びっくりするほどダサかった。今どき冴えない高校生でもそんな格好しないだろうという組み合わせの服と(以前会ったときは普通だったのに)、散髪に行ったばかりであろう髪型はおぼっちゃまくんみたいで、すみからすみまで絶妙にダサかった。私を探し落ち着きなくキョロキョロする彼にはすぐ気がついたのだが、声をかけられなかった。
「本当にあの人と付き合える?」
「帰るなら今しかない」
1分は経っていなかったと思う。あまりにも一生懸命私を探している彼が可愛くなってきて、私は決心した。電話を受けて振り返った彼の、安堵と緊張の入り混じった笑顔をきっと忘れない。
その日は車で桜を見に行った。彼は公園の駐車場で、縁石に車をぶつけた。運転が得意なことは後になってわかるのだが、彼の緊張は見た目以上にすさまじかった。桜は涙がでるほどきれいで、それは恋の魔法でもなんでもなく、ただただきれいだった。
晩ご飯は彼が作ってくれた。普段から使っていると思われるなんてことない器に丁寧に盛り付けられた食事は、特別美味しいわけでも豪華でもなかったけれど、キラキラしていた。彼が持っていたカバンも乗っている車も使っている電話も、大切にされていることがよくわかった。そんな彼が出してくれた焼き魚はなんと、傷んでいたのだった。「あれ?これ腐ってない?」と差し出すと、彼が一口食べて「ほんとだ…ごめんね」と言って、アハハと笑った。
服はダサく、車はぶつけ、魚は腐っているどこまでも決まらないデート。
夜はたびたび目が覚めて、暗闇に浮かぶビデオデッキのデジタル時計を何度も確かめた。少ししか進んでいないのが嬉しいなんて。そんな私を、彼は見つけてくれたのだった。
帰りの飛行機の窓の外は雲一つない青空で、私はそっとつぶやいた。
「えへへ、いいでしょ?」
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