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ああ、寂しい。

23歳も半分を過ぎた。歳を重ねていくうち、生き方が下手になっていると感じる。

人間は皆等しく個であり、命をひとつ分け隔てなく与えられている。しかし、生きていくことは皆ひとりではきっとなし得ないだろう。つまり孤独というものとうまく付き合っていくことも皆が与えられた人生のテーマだと思う。

ここでの生き方とは、素直さとの向き合い方ということである。

生きていく中での孤独さや寂しいという感情というものに気づいてから、歳を重ねていくうちにその感情との付き合い方を忘れ、そしてその感情に対しての素直さをも忘れてしまったように感じる。

学生時代は、家にいれば家族、学校やバイトに行けば友人、と生きていく中で孤独を感じる時間は基本的に少なく、きっとそんな孤独、寂しいという感情を認識すらしていなかったと思う。でもきっと感じた際には素直に家族なり友人なりに甘えていただろう。だからはっきりと感じず、認識しなかったと思うのかもしれない。

しかし、一般的に誕生日を迎えるごとに「大人」といわれるものに近づき、世間から求められ、一番に自分がその「大人」な自分を期待する。

歳を重ね、身も心も成長しているはずなのに、ひとり暮らしも4年目でひとりというものへの耐性はついてるはずなのに、寂しくて寂しくて寂しくて、人に会う。そんな自分を振り返って、情けなくなり、反省して、自己嫌悪に堕ちって、悲しくなる。それでも寂しさはまた募ってきてを繰り返す。

でも、人に頼らず、何事もひとりで行い、過ごすということが決して「大人」の象徴ではない。寂しさを感じたときに人に会いにいくことは普通のことであるし、歳を重ねようが重ねまいが関係ない、人間が生きてく中で必要不可欠な時間であると思う。

でも今はその感情にまっすぐで素直に振る舞っている自分に嫌気が差す。
「もう大人でしょ、しっかりしてよ。」そんな言葉が頭をよぎる。

いつからだろうか、素直さと一緒に歩めなくなったのは。素直さと手を繋いで仲良く歩いて、ときには喧嘩をして、でも仲直りして一緒に過ごして。今は喧嘩ばっかりだ。一緒に生きていた時間が恋しく、そんな自分を取り戻したい。

素直にまっすぐ生きるってどういうことだろう。「大人」になるってなんだろう。

いつか正解に辿り着いて、その導かれた「大人」に少しでも近づいられたらいいなと思う。




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